【タイトル】  ホームシック 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  詩 【種別】  短編小説 【本文文字数】  2127文字 【あらすじ】  中学生から高校生になった気持ちを徒然と。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  疲れきり、重い荷物となった身体を引きずるようにしてソファに沈み込んだ。別に点いていても点いていなくてもどちらでもいいので、照明は後回しにして一息を吐く。  少し寒々しい。人ッ気の無さが原因だろうか。霧消に、哀しくなる。いつもそうだ。こうも静寂が満ちると、思い出してしまう。  耳で残響が、鳴り響く。  身で暖か味が、鳴り響く。  ざわめきを思い出した。家族と暮らしていたあの頃が、ふと脳裏をよぎった。心が蠢いて仕方がない。両膝を引き寄せ、顔をそこに埋め、耳に手を押し当てる。何も見ず、何も聞かず、ただただ衝動が去るのを待った。  少ししてフッと脱力し、ようやく照明を付けるために腰を上げる。スイッチまで歩き、殺風景なリビングを光によって露わとした。  飯でも食うか。しかし、それよりも早く睡眠を貪りたい気分だ。明日も講義を受けなくてはならない。家族に無理を言って一人暮らしをさせてもらっているのだ。少しでも優秀にならなければ合わせる顔がなくなってしまうだろう。それならば、やはり飯を食べた良いような気がする。朝は朝で時間がないだろうし――  とそのとき、電話の方がピコピコと点滅していた。訝しげに思い、近づいてよく見てみれば、その原因に思い至る。受話器を手に取り、耳へとやりつつボタンを押した。 『勇作。元気にしてる? お母さんよ』  ドキリとした。ハッと息を呑んで、それ以上呼吸が続けられなくなる。 『最近顔出さないから、心配してるのよ。お父さんも、口には出さないけど、とっても心配してるわ。麻里もたまにぶつくさ言ってるんだから。お兄ちゃんなんだから、心配させてばかりじゃだめよ』  お母さん。お父さん。麻里。顔が即座に浮かび、走馬灯が駆け巡った。途端、じわっと何かが込み上げてくる。 『目指したいものに突っ走るのはいいけど、たまには帰ってきなさいね。アンタの身は、アンタだけのものじゃないんだから』  その言葉に、デジャ・ヴがした。誰に言われたのか、おぼろげすぎて断言はできないけれど、たぶんお父さんにも同じことを言われたのだ。家を出る日に言われた。何を言われたのかは、全く思い出せない。 『それじゃあ、留守電聞いたらちゃんと折り返し電話しなさいよね。絶対よ。いろいろ話したいことあるんだから、できればちゃんと帰ってきて欲しいんだけど、アンタが夢に向かって走る邪魔はしたくないからね。うふふ、私もお母さんらしいこと言うでしょ。実は、何を言えばいいのかわかんないのよ。離れすぎてて、おかしくなっちゃったのかもしれないわね』  たしか、約束をしたはずだ。何か大事な、約束。大きくはないんだけど、いや、とてもとても大きな約束だ。思い出せない。過去のことすぎて、現在のことじゃなさすぎて、まるで小説の内容を思い出すような妙な感覚。  いつしか留守電は終わっていた。受話器を置き直し、リビングの中央に鎮座するガラステーブルへと向く。  俺は今も弱いままで、残酷な今から逃げ出さないので精いっぱい。夢に向かって走るだけで全力で、何も見えてはいない。道を進むことは疲労するということにすぎなくて、今ふと思えばほんとうにそれでいいのかと疑いたくなる。  立ち止まっちゃ駄目だ――生命のかぎり夢に向かわなくてはならない。今俺のいる居場所は、そういう場所だから。  いつしか、溢れようとしていた涙は頬を伝って顎へと伸びていた。そこから大きめの雫となって、床に落ちる。  今は前だけ見れば良い。信じることを信じればいい。今は前だけしか見れないだろうし、信じることを信じるだけでいっぱいいっぱいだから。  だからこそ、こういうときに崩れ落ちそうになる。戻ってくる、あの頃の自分。妹のやかましい声に起こされ、リビングへと降りればお母さんとお父さんが挨拶をくれる。俺は寝ぼけ眼をこすりながら席につき、トーストにかぶりつく。追いついてきた妹が隣に座って、ぐちぐちと俺への文句を垂らしたり最近のことを話したり。時間がくれば、俺と父さんと妹は玄関へと急いで、靴を履いたあとに母さんに手を振る。何の変哲もない。  そんな日々がたまらなく恋しくて、弱音を吐きたかった。  俺はリビングから出て、息絶え絶えにベッドへと倒れこむ。毛布にくるまり、グッと目を閉じて願った。  もう一度会いたい――あの頃のみんなに、会いたい。  同級生、クラスメイト、親友、悪友。憎たらしかった先生達にも挨拶したい。しかし、どれも叶わない。  今の俺の居場所はここだ。俺はここで、こうして孤独に生きている。  望んだことだというのに、哀しさが途絶えることはなかった。  俺は俺自身を騙しているのだろうか。本当の俺は、家族と過ごしたいのだろうか。否定はできない。だが、否定しなくてはならない。この場所にいるために。期待を裏切らないために。思い出せない約束がどんなものであっても、俺はこの居場所で力強く走り続けなければならない。どんなに傷ついても、たとえ壊れてしまったとしても、俺は走り続けなければならない。  子供でいられる時間は終わったのだ。  俺は、今この瞬間にも大人になろうとしている。  そうしていつしか、俺の脳裏で鳴り響き続けていた想い出は薄れ消え去り、ゆったりとした心地よさのままに深い眠りへと落ちていった。  朝が、来る。