宝探し 水瀬愁 現実に苦しいも楽しいもない。つらい現実などありはしない。現実は平等だ。不平等なのは、現実に耐えるための力のみ。 つらい現実なんてない。現実に屈したから、つらく思えるだけなのだ。 ******************************************** 【タイトル】  宝探し 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  恋愛 【種別】  短編小説 【本文文字数】  5423文字 【あらすじ】  ある男がいた。男には、恋人がいた。恋人は、頭の中に消しゴムを持っていた。消しゴムが総てを消し去って、彼女が"死んだ"あとの世界は、そう美しくはない。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ ◇  春から夏へ。  未だ枯れていない桜の木の前に、一組の男女。  男は桜を仰ぎ、  女は桜に触れ。  途端、女が振り返り、言った。 「優希……私のこと、よろしくね」  彼女は、記憶を失う。  自分自身が死んだあとを心配して、彼女は男に託した。  男は、コクリと頷いた。  頷くしかなかった。  桜が、ひとひらひとひら散っていく。  記憶も、ひとひらひとひら散っていく―― ************************************************  宝探し ************************************************ <1>  電話がトゥルルトゥルルと鳴り響いた。  ちょうどパソコンに向かう仕事を終えたばかりだった。  この家に住む者はいつなんどきも俺一人、俺に用のある者が電話しにきているとわかる。  仕事の増量だったら困るなと、不安要素を感じつつも受話器を手に取った。 『あの……ユウキさん、ですか?』  耳に届いた声に、ドキリとした。心臓を鷲掴みされたような気がした。  聞き覚えのあるソプラノの、どこか透き通った声。"聞き覚えのある"などという程度ではなく、むしろ瞬間で声の主の顔を思い描けるほど、俺の中に根付いてしまっている。 「どちらさまですか」  早口すぎて少しわざとらしかったかなと、言い終えた思う。しかし、特に気にした風なく、向こうの者はしどろもどろに言葉を返してきた。 『あの……み、ミサキといいます。美しく咲くと書いて、美咲。 この名前に、聞き覚えはありませんか。この声、でもいいんですけど』 「何をおっしゃりたいのか、よくわからないのですが」  汗がふつふつと噴出してくる。じとっとする手のひらを、シャツにごしごしと擦りつけた。  その間にも、取り留めの無い言葉が紡がれている。  少しして、落ち着きを取り戻したらしい電話越しの者がこう伝えてきた。 『私、あなたのことを知っていたはずなんです。写真があったんです。私とあなたがいっしょに写っているやつなんですけど。だから、あなたなら私のことがわかるかなって』 「……辻褄の合わないことがあります。写真が見つかって、それでどうして私の番号を知ったのです?」 『知ったのではなく、なんとなくそうじゃないかなって気が――』 「それなら、記憶喪失というのもあながち間違いなのでは? あなたの見つけた写真というのが、実は数十年も前である中学時代のものだったとしたら、忘れていたというのもおかしくはないでしょう? 」 『……よかった。やっぱりあなたは、私を知っていらっしゃるのですね』  ほっと緊張がほぐれたような声が向こうから聞こえた。微笑みを想像させられ、否応なしにもどかしさがこみ上げてくる。  変わらない。久しい彼女は、やはり彼女らしいままだった。 <2>  切符を改札に通して駅の外へ出たところ、おぼえていたかのように右方のそちらを見た俺は簡単に彼女を見つけた。  夏服装らしい、ミニスカートに薄手のシャツ。バス亭のそこにいる彼女も俺を見つけ、ぶんぶんと手を振ってくる。  携わっている微笑に、俺は思わず顔をしかめた。 「あ……すみません。私、少し馴れ馴れしいですよね」  俺の様子を見て取った彼女が、近寄ってきた俺にショボンと肩を竦める。  一喜一憂するその姿は、子供さながらといったところか。 「昔はこういう風にあなたと親しくしていたような気がするんです。たしか、この場所で、さっきみたいに、私が声をかけていましたよね」 「どうして、そう思うんです?」 「えっと……電話番号のときみたいに"なんとなく"です」 「そんな直感のようなもので、よく俺に会おうと思いましたね」 「迷惑をかけているのはわかってます。でも、いてもたってもいられなかったんです」  次に肩を竦めるのは、俺の番だった。どうしようもなく呆れてしまい、自然と口元がゆるむ。  それに気を悪くしたのか、彼女が不満げに頬を膨らませた。童顔で背の低い彼女は、それだけでも学生に見えるのに、子供っぽく振舞えば余計社会人には見えなくなる。いいところ、少し背伸びしている学生といったところだ。 「元気か、美咲」 「体調は、いいです。でも……ここ最近は、もやもやすることがあるんです」  自らの胸に手を添えた彼女が、顔を伏せる。  次に彼女は、お尻の方のスカートに付けてあるポーチに手を入れ、なにやらごそごそとし始めた。 「これ、何の紙かわかりますか?」  そして取り出されたのは、折り畳まれたぼろぼろの一枚紙。  おそるおそるそれを受け取り、開いてみる。  地図だった。手書きの、幾分か簡潔に纏められた。記号等が少なく、線ばかりの地図なため、一箇所に付けられた×印がよく目立つ。 「宝の地図じゃないかな」 「……人事のようにおっしゃるんですね。もっと真剣に答えてほしいです」  ――まったくわからない。  また膨れてしまった彼女を横目に、俺はよくよく考える。  彼女がこんな地図を持っていたなど、知る由も無かった。×印に何があるのかも、いかんせん、まったくわからない。 「それで、これがどうした」  折り目どおりにきちんと折りなおし、それを彼女へ返した。そんな俺へ、彼女がクスクスと微笑んだ。  訝しげに見ると、察したように彼女が話し始める。 「私、久しぶりにうきうきしてるんです。いつもは空っぽだったのだけど、もしかしたらあなたとこんなにうきうきしてたら思い出せるかもしれません」 「……でも、それだけで満足してはいない」 「よくわかりましたね――っというか、やはり前の私も、今の私みたいだったのでしょうか。それなら納得ですけど」 「話すなら、歩きながらにしよう。行くのだろう?」  彼女が、コクリと頷く。 「はい」  その瞳は、"希望"という光に照らされてきらきら輝いている。  俺も少しだけ、その光に照らされていた。 <3> 「私、独りっきりだったから。だから、あなたに逢えて、ほんとうに嬉しいんです」  そう話す彼女の横顔を盗み見ながらも、俺は何も答えない。 「お父さんと呼ばれる人も、お母さんと呼ばれる人も。いるにはいるんですけど、何にも感じなかったんです」  街並から、裏道へ。奥の細道という言葉の浮かぶ、古風な家々を縫うような道だ。 「でも、写真で、あなたが私の知り合いなんだなってわかったとき、ぼんやりとなんだけど思い出せたことがあって」  いくつか角を曲がる。景色がそう変わりないが、間違ってはいないだろう。 「それで、あなたに会いたくって」  現在地を紙の地図上で何度も確認しながら、真っ直ぐな道を突き抜ける。 「……あの、聞いてくれてますか?」 「ひとつの感激について、そう何度も話されてはな」  苦笑。 「ひどいなぁ。少しは、記憶喪失の少女に付き合ってくれてもいいじゃないですか?」 「記憶をなくしていようとなかろうと、お前は明るいから心配していない」 「うわ、ひどい。私の知っているあなたはそんな風じゃなかったのにっ」 「ある意味読者を裏切る展開だな。記憶喪失という前提を覆す超展開だな」 「なんだろう。この会話にはおぼえがあるの」 「残念がれ。お前と俺は昔にもこんなコントをした」 「まあ♪」 「嬉しがらないでくれ……」  今も昔も、俺は押し負けているな。  クスクス微笑んでいる彼女に対し、俺がぜぇぜぇと息を切らしている。俺が玩ばれる図というのは、今も顕在だった。  昔が戻ってきたかのよう。だから、余計、希望を持ってしまう。  ――彼女の中にいる神様は、もう彼女を殺さないのではないか、と。  そうであればいい。彼女を蹂躙する神様が彼女に飽きてくれることを、どれだけ望んだか。 <4>  ――よりにもよって、この場所か。  彼女の遺思(いし)と意思は、まだこの場所に染み付いているらしい。  空き地と呼ばれるのであろう、ある程度の広さがある平野。生え荒れた雑草に表面は覆われ、しかし一箇所だけはそうでない。その場所には、枯れた大木がある。その根っこは、まるで結界でも張っているかのように周囲で草を蔓延らせていない。その枝は、奈落から差し伸べられる死者の腕のよう。  不気味で、虚ろだ。しかし彼女は、恐怖を知らぬ子供のようにそれに近づいてゆく。 「……綺麗」  我が耳を疑って、彼女を見た。そして、彼女が見ているのはこの現状ではないと気づく。  彼女の瞳の奥でこの木は咲き誇っている――彼女は、知らない過去を見ているのだろう。 「この木、なんでしょうか?」 「いや、そうじゃないだろう」  ×印の座標としては合っているだろうが、俺の記憶とはちょっとした違いがある。  俺は、俺へと振り返る彼女の脇を抜け、大木に駆け寄った。  根っこの方。そこは、不自然に土が盛り上がっている。記憶との違いが、そこだった。  踏み鳴らしてみる。土を踏むでない感触に当たり、違和感が確固なものとなった。 「何か、あるようだ」  適当に土をばらせば、缶の姿が曝け出される。缶は、可愛らしいイラストがなされていて、クッキーでも入っていそう。 「これ……見たことあります」  俺を押し退ける勢いで、サッとその缶に近寄った彼女。お尻が地面に着きそうなほどまで膝を折り、両手をそっとその缶に添えた。  そして、添えたその手で上蓋をゆっくりとはずしていった。  中身を開けた途端固まってしまった彼女を、訝しげに思って覗き込む。  ――俺の目にも、それは入ってきた。  ガラクタのようで、お宝な数々。価値などないけど、だけど価値がある。 「ああ、わかりました。これ、私がここに埋めたんですね。忘れる前に想い出を詰めて、それでここに埋めたんだ」  物のひとつを摘み、彼女は目を細める。 「見て。これなんか、あなたも知ってるでしょう?」  そして、俺に振り返ってきた。 「……お前」  思い出したのか――コクリという頷きと、懐かしむような柔らかい微笑みが応えてくれる。  希望が、現実となった。  今ここにいるのは、まぎれもなく俺の知っている彼女。 「久しぶりね、優希」  望み焦がれていた現実が、突きつけられて。  俺は思わず、力無く地面に膝をついた。 <5>  ――実はな、俺、お前のことを捨てたんだ。  事実を告げた。  ――毎日、毎朝、一番最初に『おはよう』を交わしてもどうにもならないような。毎日、毎晩、一番最後に『おやすみ』を交わしてもどうにもならないような。俺は"忘れ去られてしまう"ってのを甘く見てて、それで、耐え切れなくなったんだ。  "死んでしまった"彼女ではなく"死に続ける"彼女の傍にいるのがつらすぎた。  ――お前と約束したあの日から、もう二年になる。この二年間、俺は空っぽだった。お前とずっといっしょにいたから、たとえお前でなくなったお前なんだとわかっていても、いないよりかはマシだったと気づいた。いつからか、俺は自分のことしか考えていなかった……バカなやつなんだ。こんな俺を呪ってくれ。約束を守れないような男を、捨ててくれ。  真実を、懺悔した。  彼女が答える。  ――ごめんね。  一瞬、我が耳を疑った。  ――酷いよね、私。勝手すぎたよね。ごめんね。私なんかのせいで、優希が傷ついちゃったよね。  だけど、現実だった。  ――ありがとう。いっぱいいっぱい我慢して、いっぱいいっぱい無理して、私との約束を守ろうとしてくれて。私、そんな優希が大好きだよ。  輝かしすぎて、目が眩んでしまいそうだったけど。  だけど、しっかりと目蓋をこじ開け続けて目に焼き付けた。  帰ってきたこの時間、この瞬間、この刹那を。  夢のような現実が、本物の現実とすり替わるまで。 <6>  電話がトゥルルトゥルルと鳴り響いた。  ちょうどパソコンに向かう仕事を終えたばかりだった。  この家に住む者はいつなんどきも俺一人、俺に用のある者が電話しにきているとわかる。  仕事の増量だったら困るなと、不安要素を感じつつも受話器を手に取った。 『あの……ユウキさん、ですか?』  耳に届いた声に、ドキリとした。心臓を鷲掴みされたような気がした。  聞き覚えのあるソプラノの、どこか透き通った声。"聞き覚えのある"などという程度ではなく、むしろ瞬間で声の主の顔を思い描けるほど、俺の中に根付いてしまっている。 「はい、そうですが、あなたは?」  できるだけ優しげに言う。向こうの者はしどろもどろに言葉を返してきた。 『あの……み、ミサキといいます。美しく咲くと書いて、美咲。 この名前に、聞き覚えはありませんか。この声、でもいいんですけど』 「あ、わかりますよ。お久しぶりですね、元気にしていますか?」  喜び一心という悲鳴がしきりに耳を痛めてくれた後、落ち着いた、しかしまだ少し嬉しげな感じのある向こうの声が言葉を紡ぐ。 『私、あなたのことを知っていたはずなんです。写真があったんです。私とあなたがいっしょに写っているやつなんですけど。だから、あなたなら私のことがわかるかなって』  ――この物々はね、もう一度ここに埋めておくわ。 「わかりますよ。ええと、電話ではなんですし、今度どこかで会いましょうか。都合が良ければ、今日にでも」  ――お宝がないと、地図が意味を為さないでしょう? 『……よかった。やっぱりあなたは、私を知っていらっしゃるのですね』  ほっと緊張がほぐれたような声が向こうから聞こえた。微笑みを想像させられ、否応なしにもどかしさがこみ上げてくる。  ――約束、もうひとつ追加していいかな。  さあ、今日も彼女と想い出(たから)探しだ。  ――また、会いに来て。 ◇