【タイトル】  ショートふぁんたじあ【  呪  】 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  ファンタジー 【種別】  短編小説 【本文文字数】  4457文字 【あらすじ】  俺の両手は血に汚れていた。俺の身体は血に埋もれていた。俺の心は罪に苛まれていた。俺という存在は死を求めていた。それでも死ねなかった。死ぬことは許されなかった。俺を殺すものはいなかった。だから――今日も狂痛にトチ狂う。今日も汚れた世界を見渡し続ける。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ 0.  キャラじゃねぇだろ――デッドヒィトの言葉は正しすぎた。嘲笑ってやることしかできない。  雨が降っている。俺が降らせている雨だ。紙の雨。紙幣の雨。金の雨。  クソどもは、この雨の前で醜く変わる。仕方がなかった。醜くなる必要が、彼らにはあるのだから。  俺は俺のやるべきことをした。その事実は変わらない。揺るがない。  振り返る。 「……契約は完了した。そうだな」  返答。頷き。俺がほしかった返答の端的表現。それ以上の事は欲しない。もうすこし醜い豚どもを見ようかと視線をはずし。  "ありがとう……"  呟きを、聞いた。  ありがとう――なんと輝かしく、なんと美しく、なんと汚(きたな)くなく。  なんとうそ臭い言葉だろうか。  目を閉じる。  ――目を開ける。  金(かね)の雨は、降り止んでいた。  うそ臭い言葉の呟き主も、いなくなっていた。  雨の作る溜まりに群れる、醜い豚ども。俺が醜くした人間ども。  だから、俺が一番醜いのだろう。  足元に落ちていた紙幣を踏み潰し、俺はこの場から去ることを決めた。 1. 「なんであなた自身が動くの?」  ツインテールに纏められた金髪。白人の象徴たる蒼眼。俺とは違う種族の人間。しかし、仲間であった。  俺の下で働くことへの不満――ないように見えた。他の部下は不満そうだった。だが、文句はなかった。  弱肉強食――秩序。有能者が無能どもを支配しこき使う。力ある者が勝者で、他者を嘲り笑うことができる者が勝者な、生まれ故郷にはない秩序。  生まれ故郷――思い浮かべる。日本。甘ったるい社会。遠い。遠すぎた。  この世界は、あの世界とは違う――アメリカという空間が、今の俺の世界だった。 「文句は言わせない。アリス」 「……なんて言ってるか、わからない」  日本のことを思い浮かべていたせいか、しゃべっていた言葉は日本語だった。  切り替える。言い直す。 「俺自身が動くほうが、成功率が高い。ただそれだけだ」 「部下を使うことをお勧めするよ。私を使ってくれてもいい。あなたの満足どおりに動ける」 「駄目だ」 「なんで――ッ!」  馬鹿なアリス。世間を知り尽くしているから、俺を知れない。有能だから、俺の癇に触れる。  甘い息遣い。甘い喘ぎ――快楽の世界があまりにも遠く感じられた。  鳴き狂う女を組み敷く喜び――感じられなかった。 2.  失った精力。どれくらいかはわからない。飲む必要はないかもしれない。だが、飲みたかった。  イスに座る。目の前の小汚い机に目をやる。置かれたビンを見る。  ビンの中でギュウギュウ詰めにされている白い錠剤――ドラック。  一粒を口に含む。  ――総てが無になる。  ――平常という異常が手に入る。  ――吸い込む息に味ができる。  女肉を喰らうのと同じほどに、不愉快だった。  だが、これだけは必要だと思えた。だから持ち歩いていた。  理由――言葉に表せるような、柔なものじゃない。  思考する。限度を忘れた思考回路の活動。俺が追いつけないほどに速い。  デッドヒィト――女から快楽を得る。それが総てのクズ。  だが、この機関に情報をくれる伝手であった。  アリス――俺がいることで上にいけない、哀れな女。  俺に抱かれるために生き続ける女。俺に抱かれるためだけに生きている女。望んでいないのは明白。しかし喘ぐ。肉欲は快楽ならどんなものであっても受け付ける。たとえ嫌いな者から与えられたものであっても。  生殖行為――吐気がするほどに嫌だった。だが、アリスを馴らすために必要なことだった。  一生俺の下で働くであろうアリス。哀れに思えた。そして、とても愚かに思えた。  アリスを自由にしようなんて考えは、浮かぶだけだった。  視線を動かす。目に留まる文書。斜め読む。同時に舌打ち。  俺は立ち上がった。 3.  GTRをぶっ飛ばし、行き着く廃屋――GTRから降りると同時に、懐から取り出したトカレフを発砲。目標は定めない。視界内に敵(まと)はいない。効きはしないとわかっていても、こちらの灼熱を伝えるには十分だと思えた。  残響――その中に隠れる、小さな笑い声。捉える。方向まではわからない。だが、俺の中を灼熱で満たすには十分すぎた。 「……悪霊風情が」  笑い声が強まる。灼熱が勢いを増す。喩えるならば、それは業火。喩えるならば、それは劫火。  コロシテヤル――黒い炎のままに立てる誓い。  トカレフを強く握り締めた。  悪霊。邪なる存在。人にとって邪魔な存在。だから滅される。討伐される。抹殺される。生まれたことが罪な、哀れな存在。  哀れ――偽善的な言葉だった。俺には似合わなかった。  俺に似合う、やつらにかける言葉といえば。 「失せろ、屑共……」  笑い声の音量が――頂点に達した。  "フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ――"  狂喜の声だった。狂気に満ちた声だった。  他者の心を抉る、兇器のような声だった。  舞い降りてくる影。風に吹かれるカーテンのような容姿。黄色い瞳。瞳の中で渦巻く闇。俺を見ていた。俺を見ている少女の瞳の中にいる俺を、俺は見ていた。少女の瞳に映る俺の姿。其れは、一切の光をも許さぬ蟠闇の――絶望を誘う亜人。  ニセモノの瞳は蒼く。ニセモノの俺は黒く。  ――何にも映らぬホンモノの俺は、それよりも黒い。  あの少女は知らない。俺の真実を。  教え込んでやろうか。叩き込んでやろうか。  真実を。  真の絶望を。  畏怖の何たるかを。 「ッ!!」  トカレフを振るう。照準は一瞬で定まる。発砲までにかかった時間は、およそ三秒。  発砲音が甲高く響く――望んだ結果は、目の前にない。  霊体――瞬時に判断。対応策を思考、選択、取捨。ドラックの魔力が俺に不可能なことを可能とさせてくれる。  トカレフを投げ捨て、横へ跳ぶ。  駆け抜けていった少女は、少ししてから俺へと振り返り始めた。  憑依型悪霊――|あっち(・・・)のものでなくては消せない、厄介なやつ。  このタイプがこの世から消える理由は、たった二つ。  生きる力を失うか、憑依に失敗するか。  普通の人間は、憑依に対抗すらできない。故、前者を選択するのが妥当。  目を閉じる。  ――目を開ける。  俺は、少女へと飛び出した。  少女の両腕が開く。祝福。俺を受け止めるという合図。少女は微笑んでいた。俺は自然と笑みを浮かべる。  そうして俺は――思考回路が弾け飛ぶのを、感じた。 4. 『フフ……私に見惚れてくれてるの? 嬉しいなぁ』  視界が安定する。  声。幸せに溢れる声。嬉々とした女性の声。  見えるもの。女性。女性の裸。白かった。しかし肌色だった。白人じゃない女性の裸体――記憶にあるものと合致していた。  言いたくなかった。思いたくなかった。思い出したくなかった。回転する思考は俺を裏切って走馬灯を駆け巡らせてくる。  歯を食い縛る――消えない。消えない。どうしても、消えない。  安定した視界で花咲く、俺よりも頭ひとつ分小さい背丈の女性の微笑み――畏怖すべきものに思えた。 『好きにしてくれて、いいよ』  おかしい。すべてがおかしい。  鼻に来る臭い。目に映る桜の花びら。なのに暗やみの中で光っている裸体。  矛盾。おかしい。  ――幻想。  総てが暗闇に落ちた。  花びらも、臭いも――この世界自体が。  幻想との隔絶。幻想でないものが残り、幻想であるものがなくなる。  ――幻想でない少女が残っているのも道理。 『なんであなたは、夢に現を抜かさないの?』  なぜ、か。 「……幻想とは、決別したんだ」  すべてを失い、無敵となってから。  気が狂って、世界に絶望してから。  俺は変わった。変わりすぎた。  目を閉じる。  ――目を開ける。  己の胸に、手を当てた。 「さあ、来い」  自分の目が血走っていることを感じる。 「此方へ」  自分がトチ狂っていることを、感じる。 「俺の中へ」  血が駆け巡る。 「俺を掌握してみせろ」  俺をつくる総てが、俺に賛同してトチ狂う。 「俺を壊してみせろ」  ホンモノの俺が、ニセモノの俺を打倒する。 「俺の灼熱を打ち消してみせろ」  ホンモノの俺が顕現する。 「さあ!」  狂気――わかる。ドラッグの魔力によるものではない、完全なる悪意。人の作り出せる、最大にして不完全な悪意。  それが俺となった。それが俺の総てとなった。それが俺をつくる総てとなった。  違う。元々そうであった。今それが表に出されただけにすぎない。  俺は元から、悪意でできている愚か者なのだ。  少女が俺に覆いかぶさってくる。伸ばされる手。白い指が俺を透け越えて、俺(・)へと触れる。  ざわめく――異物感。吐気がこみ上げる。はっきりとした冷たさが胸の中に触れているのがわかる。在り得ない。在り得ていることが在り得ない。しかし、在り得ている。在り得てしまっている。それがこの世界。  俺を殺すことができる、唯一の世界なのだ。  殺してみせろ。悪霊。  処斬を繰る貴様等同胞は、俺を殺せなかった。  傷をつけることはできても、俺を消すことはできなかった。  悪霊よ。 「貴様は――俺を消してくれるのか?」  答えは――返ってきた。  ひとつの破裂音。ひとつの破砕音。ひとつの破綻音。ひとつの瓦解音。  俺の目の前で、俺を握りつぶさんとしたはずの少女より響くそれは。  ――俺の昂ぶりを衰えさせる、一番聞きたくなかった音だった。 『な……』  少女の驚愕。  目の見開き。俺はニヤリと微笑んでみせる。 「俺を消せないみたいだな」  少女の片腕が、滅び行く。  片腕だけではない。片腕に繋がる少女総てが、消え行きかけている。  なぜか――少女は俺に憑依できなかった。ただそれだけのこと。 「理解できないか? 答えは簡単だ」  戸惑い硬直している少女の耳元に顔を寄せ、言う。 「俺はお前よりも穢れている。俺はお前よりも呪わしい――ただそれだけだ」  少女の顔に五指を食い込ませる。悲鳴があがると思った。悲鳴は聞けなかった。人が認知できないところまで音程が上がっているのだということに気づいた。  俺は死にたいと願っている。俺は誰かに殺されると誓っている。その誓いは間違っていて、トチ狂っていて、汚れていて、しかし純粋な『呪(じゅ)』であった。  憑依の拒絶は、断固とした精神力によって為すことができる。たとえ、その精神力がどんな形であっても、憑依を行う者を凌駕していれば――拒絶となってしまう。  死にたいという想いであっても、その極みであれば憑依を失敗に終わらせる力にしかならない。  これが、俺の生きている理由だった。これが、俺の生かされている理由だった。  これが、俺の死ねない理由だった。 5.  口の端が自然と吊りあがる。  ドラッグ以上の麻薬――絶望。  俺は満たされていた。死ねはしなかったけれど、だけど満たされていた。  顔を押さえる。タバコが吹かしたくなった。残虐な自分を見てみたかった。 「……また、死のうとしたの?」  声。指と指の間から覗き見る。少女。金髪碧眼の少女。アリス。寂しそうな無表情をしていた。  俺は、そっと――顔を伏せた。