【タイトル】  ショートふぁんたじあ【  聖  】 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  ファンタジー 【種別】  短編小説 【本文文字数】  4019文字 【あらすじ】  俺に救われるなど在り得ない。俺が救われるなど、在り得ない。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ 0.  闇夜に振り上げられたその刃は、曇りに汚れ満ち、狂気に研ぎ澄まされていた。  振り上げられたそれは、他を虐殺することだけを想って、月光に照り返り黒く輝いている。 『其は何故(なにゆえ)――我を畏怖せぬ』  刃の繰り手が問うてくる。  俺は答えた。 「畏怖など、せぬさ」  当たり前であることを。 「俺を殺そうとする者には、賞賛を与えるのみ――歓迎するよ」  そして、上げる。 「誇り高き剣士から生まれた【かまいたち】……腐り切ったカスども」  戦闘の開始を告げる旗の――一声を。 1.  雲ひとつない闇黒の世界で、俺は死を感じていた。  鼻先を掠める一閃――俺の生を紡ぎとってくれるかもしれない一撃。  期待の昂ぶりを感じた。ついに死を受け入れられることへの歓喜――俺は狂喜の燃え広がりを感じた。 『……なぜ避けぬ』 「生きることをやめたいからだ――てめぇの全力を、俺に見せろ。 てめぇだけじゃない。その後ろにいる同族も……」  暗夜に照らされる刃は、ひとつではない。 「……恨み辛みの全力を、俺に叩き込んでみろ」  俺は興奮を高める咆哮を掲げ上げた。  トカレフから流れる硝煙の煙――甘い芳香。  黒い炎が総てを凌駕していた。無敵になれた気がした。そんな気になれたのは俺だけではなく、やつらもそうで。 『KISYAAAAAAAAAAAA!!』  "殺戮劇(グランギニュール)序曲たる一瞬が、始まる――"  首を刈る横一文字。  居合いよりも迅い逆袈裟(ぎゃくげさ)。  両肩、喉、眉間(みけん)を穿(うが)つ四の刺突。  右と左の半身を分断す大上段からの振り下ろし。  鎧をもかち割る豪の閃撃。  音速超過の衝撃は斬撃の一部へと変換され、その様はすでに光。 「……データから聞いた話では『【かまいたち】は必殺の一撃を放つ』だったんだが、な」  興奮が醒めるに等しい――意気の消沈。  俺は生きていた。  今も、生き続けていた。 『人間ごときが……我等の連撃を、受けきっただと!?』  血が滴り落ちる。  俺の血だ。俺だけの血だ。  赤かった――あまりにも赤かった。 「……続けろ」  死の鼓動を感じる。 「……はやく」  死の鳴動を感じる。 「……次の、一撃を」  死の歩みを感じる。 「俺を殺す、刃を」  生が零れ落ちるのを、感じる。 「振るってみせろ」  故に、要求する。 「さあ!」  しかし――答えの声は、震えていた。 『……無理だ』  ――皮肉だ。  人を畏怖させる悪霊――その上位階級である妖怪に。  こんなにも畏怖されるとは、皮肉極まりない。 「……そうか」  首を刈る横一文字も。  居合いよりも迅い逆袈裟(ぎゃくげさ)も。  両肩、喉、眉間(みけん)を穿(うが)つ四の刺突も。  右と左の半身を分断す大上段からの振り下ろしも。  鎧をもかち割る豪の閃撃も。  俺に甘い期待をさせただけで――散ったのか。  目を走らせる。  【かまいたち】の象徴たる、鋭い刃の尻尾を持つものは――もう一人もいない。  俺を殺せるものは、一人も残ってはいなかった。  俺はまだ、生きていた。 「……なら」  トカレフを噴かせる。  黒い血が舞った。俺の血じゃない――断末魔の不愉快が、燻(くすぶ)る闇黒すらも冷却し切っていった。  思う。思うしかなかった。絶望に満たされて、ただただ思うしかなかった。  また、俺は。  ――死に切れなかった。 2.  血に染まったコートが重い。脱ぎ払おうとした俺を、極光が照らした。  目が眩む――細めた目で、迫り止まるGTRを確認する。  俺の車だった。ドアを開け飛び出してきたそいつは、金髪碧眼をした少女。 「……ここの討滅は終わった。君が来る必要はないし、来いと命令したおぼえもない。 俺の記憶は確かかな、アリス?」 「命令違反に関しての罰は、どんなものでも受けるよ」  駆け寄ってきたアリスの瞳が、鼻先にある――揺れているようだった。何かの衝動に揺れているように見えた。 「……生きていて、良かった」  俺の頬に触れてきた細く白い指の、小刻みな震えは――確かなものだった。  可哀想なアリス。俺にはアリスの心が手に取るように理解できる。嘲り笑ってやりたい。ストックホルム症候群の女を笑い飛ばしてやりたい。しかしできなかった。ピクリとも頬は動かなかった。 「ほんとうに……死んでなくて、良かった」  何かを堪えるように絞りだされた声。俺にすがりつくアリスが呆然と呟いた言葉。  俺の胸板に圧し掛かってきたアリス――様々な感情が揺れ動いては明滅しているのではないかと、感じ得ることができた。 3. 「一応、クリスマスを祝おうかと思っていろいろ用意しといたんだけど」 「俺は無宗教者じゃないから、クリスマスは祝うつもりだった」  アリスの運転捌き。俺の上を行っているように感じれた。アリスのつれてきたホテルは一流の更に上のように思えた。  置かれているワイン。一本数十万もする高い品物に該当するそれ。やはり、と確信した。 「……毎日をカップラーメンで過ごしてる俺とは、格が違うな」 「あなたの口座にも、これ以上のゴージャスをして暮らせるだけの給料が貯まりに貯まってるけどね」  使うつもりがなさすぎる俺。手持ちは最低限。金の雨を降らせたことが脳裏を掠める。 「フライドチキンも用意してあるから、今すぐ取ってくるね」  とてとてとキッチンへ消えるアリス。  俺はそちらから目を離し、ガラス窓から見える世界を見下ろした。  人工の光。明るく、美しく、しかし―― 「少し冷めちゃってるけど、まだあったかいよ」  振り返る。  テーブルの上に皿を運んだアリス。俺の凝視に首を傾げる。  無垢だった。組み敷かれる恐怖を忘れたようだった。俺に対する嫌悪を消し去ったようだった。  在り得ない。在り得るはずがない。 「……なんで」 「ん、もしかしてお腹すいてない? でも、ケーキだけでもいっしょに食べようよ。 折角のクリスマスなんだし、ね?」  またキッチンに消えようとしたアリスの手首を、ぎりぎり掴み取る。  グッと引き寄せた。瞳を覗き込む―― 「……なんで、って疑問。答えは簡単なんだけどな」  そう言って微笑んだアリス。今までにない表情な気がした。絶望は微塵も含まれず。黒さは微塵も含まれず。 「ボクが、あなたとクリスマスを祝いたかった。ただそれだけ」 「在り得ねぇ」  納得できるはずがない――アリスの表情に寂しげが加わった。 「あなたは、おぼえていないのかもしれないけれど。ボクがあなたの下についたのだって、あなたが好きだからなんだよ。 だから、嬉しかった。あなたがボクを組み敷いてくれること。あなたがボクを近くに置いてくれること。 だから、悲しかった。死のうとするあなた。死にに行こうとするあなた。 クリスマスをいっしょに祝いたいってのも、好きだから――なんだよ」  合わさる視線。はずせなかった。逃(のが)れられなかった。 「おねがい……ボクを犯して。ボクを狂わせて。あなただけを想わせて。ボクの頭ん中を空っぽにして――あなた色に染めて欲しいの」  衝動が総てに勝りはじめるのを感じる。  押し倒すときに覗き見た窓の外。  ――雪は降っていなかった。 4.  バカになっちゃうよ――バカになっていいと言う。  喘ぎ声。近い。今までで一番、心があった。  高まる。高まりが頂点に達する。叩きつける。吐き出す。 「あぁ……」  小さな、満足げなアリスの声。  異常なほどの脱力。のしかかった俺に潰されるアリスは、苦しげな呻きをあげた。 「…………重いよ」 「悪ぃ」  喝を入れて起き上がる。同時、暖房が唸りを再開し始める。  イスになだれ込む。息を吐く。タバコが吸いたくなって、床に落ちているシャツを探る。ブラが見つかった。俺のシャツじゃないと知った。 「レディの下着を漁るなんて、もしかしてそういう系のフェチ?」 「間違えただけだ。変なレッテルを貼るな」  自分のシャツを掴み取る。ポケットから煙草を取り出す。ライターがないことに気づいた。ライターはGTRに置きっぱなしにし続けていることに思い当たる。舌打ち。煙草を握りつぶした。 「あ…………」  声。振り向く。アリスがどちらかを見て硬直していた。視線の先を追う。気づいた。  ――雪が降り出している。  ホワイトクリスマスという言葉が思い浮かぶ。 「――メリークリスマス」  柔らかなアリスの微笑――神聖だった。  直視できないほどに眩いという錯覚。  こそばゆさをひた隠した一言――脆さと美しさを兼ね備えているように思えた。  麗しい天使の響きをもっているように思えた。 5.  アリス――俺を希望と称した。俺が総てだと断言した。嘘は微塵も含まれていないとわかっていた。  今更になって嘲りが頬に張り付く。アリスの前では動かなかった頬が動く。俺の意思のままに表情が作られる。これが俺だった。これが俺であるはずだった。アリスの前で無力となった俺は俺でない。俺であるはずがない。  深呼吸――雪が俺に圧し掛かっていく。雨であってほしかった。俺を冷却しつくしてほしかった。俺を罵ってほしかった。  闇黒に伸ばした手――血に汚れている幻覚。耳に絡みつくいくつもの声が俺を罵っていた。こびりつく記憶が俺に愛情を注ぎ情熱を高め哀切を生み葛藤をおぼえさせ欲望をつくり憎悪させた。  ちりちりと俺の内側で燃え盛る――黒い炎。憎しみ。違う。それ以上に暗く汚(けが)らわしい。聖(ひじり)に在らない破壊衝動。言葉で表すには不可能な、在り得てはならないはずの悪魔。  俺は世界に絶望していた。俺は世界にトチ狂っていた。俺は死んでいた。俺は死にながら生き続けている。  目をつむる。強くつむる――思い出す。生きていたあの頃。世界を天国だと思っていたあの頃。世界が地獄に早変わりしたあの頃。世界が俺を裏切ったあの頃。  俺は神聖だった。汚(けが)れきっていた。灰色は不純。黒は純粋。黒は白と同じ分類にある。だから、俺も神聖だった。  アクセルを踏み込む。火を付けた煙草の香に意識をクリアする。がむしゃらになりたかった。没頭したかった。炎を霧散させたかった。  脳裏に浮かぶアリスの微笑から目を逸らし――ホワイトに彩られる街の闇を切り裂くように、俺はかっ飛ばし続けた。