【タイトル】  三つのお願い 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  その他 【種別】  短編小説 【本文文字数】  2942文字 【あらすじ】  おほしさまへの、みっつのお願い。それが叶った形のお話 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  おほしさま、おほしさま。  あのね、お願いがあるんです。  ちゃんとかんじでかいたから、かなえてもらえるとうれしいです。  んとね、ひとつめのおねがいはね、ママのことなの。  みみのママはね、とってもとってもたいへんで、やすむひまもなくって、うんとたいへんなの。  だから、お願いします。ママからたいへんをなくしてあげて。  そうすれば、ママもにこにこしてくれるの。  ふたつめ。ママはよくわがままいっちゃだめですっていうから、ふたつもおねがいしたらおこられちゃうかもしれないけど、でもお願いします。  パパがいつもくるしそうなの。おけががいたいいたいなのかなとおもったら、うるさいっておこられちゃったの。  だから、お願いします。パパからもくるしいをなくしてあげて。  またいっしょにぼーるであそびたいな。  みっつめのおねがい。おほしさま、これだけはぜったいにかなえてね。もちろん、ひとつめもふたつめもかなえてね。  お願いします。  ―― 「幼い頃ってのは、眩しいよな」  いつだったか書いた、ちょっとした作文。内容が幼稚すぎて、笑えてくる。端々は、ぼろぼろな上に黄ばんでしまっている。指を這わせるだけで崩れてしまいそうな紙はくしゃくしゃすぎて、発泡スチロールの断面みたいな触り心地だ。  紙に添えている両手。片方をそっと離せば、くるんと紙が丸まってしまう。どこかおかしくて、私は小さく笑った。  笑い声をたててはいないのに、渇く響いた気がする。そう、この感覚はまるで場違いに微笑んでしまったかのような。最近のことと示し合わすなら、シンと静まり返った授業の中でいきなり飛び上がってしまった居心地の悪さあたりが妥当だろう。  静まり返っているという点においては、ここも同じだ。人気から切り離されたかのようなこの部屋も、時の流れから逃れた廃墟のようなこの家自体も。  カーテンの無い窓際。物のない一部屋。ぐるりと見渡せば、見える物はドアくらい。がらんとしていて、空気すらも死んでしまっていそうだ。 「それも、処分なさるのですか?」 「んー……だめ?」  視界の隅にスッと立っている彼女は、横へと首を振った。  しかし、彼女はもうわかってしまっていることだろう。私が、この"思い出"に対してどんな判決を下すか。  ひょいと振りかぶり、投げる。パサッと、ぺらぺらの用紙が一枚床に叩きつけられた。 「没」  そのまま深い深い海の底へと沈んでいってくれればいいというのに、床に当たった後は静止したまま。  彼女はそそっと歩き進み、飼いならされたわんこよろしく用紙を拾い上げる。 「絵に……作文、ですか」 「下手っていうなよ。もう十五年は前のことなんだから」 「綺麗に描いていらっしゃいます。たしかに、これは少しばかり眩いですね」  こっ恥ずかしくなって、がしがしと髪を掻きむしった。激しく揺れる金髪がぺシぺシと首の後ろを叩く。 「でも、お捨てになられるのですね」 「……まあね。とっくの昔のことだし」  喉までこみ上げてくるものはある。だけど、それを口にするのはどことなく憚られた。柄じゃない。それに、口にすることでどうとなるわけでもない。貯め込めるうちはぎりぎりまで貯め込むべき類のものだった。 「それに、私はこーゆー年頃だから、さ」  自分を指差して、同意を誘ってみた。返事は来たけれど、願ったものではない。まったく彼女らしいなぁと、私は渇いた笑みを漏らした。  ――振り返ってみないと、自分がどれだけ前に進んだのかわからないこともある。  たとえばアルバムだ。写真を入れていっているのは親だったら余計、見直したときの驚きが増す。一頁にも満たないだろう、という錯覚が裏切られ、アルバムは二十頁も三十頁も越えて、ああ昔の自分はこんなんだったんだなーて懐かしく思う。感慨よりも遥かに大きな感想というのが、言葉に言い表せない戸惑いなのではなかろうか。  ――今にとって、昔とは別世界も同然なのだ。  境があれば、わかりやすい。中学生から高校生に、グループからグループへ、そうして変化が訪れて人は戸惑う、居場所を間違えたと。  だけど振り返れば、もう今までの居場所は無くてひたすら悲しい。悔しい。切ない。  まるで独りぼっちに取り残されてしまったかのように、絶望してしまう。  少しは、私にも絶望はあった。でも、それに慣れすぎてしまっている私には、戸惑いなんてありはしない。  いや、違う。  戸惑うことにすら、慣れてしまったのだ。  心は動かない。動くことを忘れてしまったかのように、それか、動けないとでもいうかのように。 「っていうか、それ見てるとすっげぇ悲しくなるし、うん、やっぱ捨てるわそれ。いらねいらね。処分よろしく」 「……ひとつだけお聞かせください、お嬢様」  ドアの向こうに逃げ切れなかった。背中に言葉をぶつけられ、半分押し出した身を仕方なく彼女へ向ける。 「三つのお願いは、一時のものであったとしても、叶ったのですか?」  私の返答。肩を大げさに竦めてみせる。 「何言ってんだよ。今でもずっと、叶い続けてるさ」  言い切ってすぐ、私は部屋を飛び出した。これ以上尋ねられると敵わない。  ――ひとつめのお願い。  叶った。母は、"たいへん"に耐えかねて自殺した。"たいへん"から解放された母は、私の傍から去ってしまった。  ――ふたつめのお願い。  これも、叶った。中学生の若い女を二人乗せた自家用車とともに事故で、帰らぬ人となった。覚せい剤を使ってまでごまかしていた"くるしい"から逃れ、母の後を追うようにして父も死んだ。  全部が全部願って少し経った頃のことだったから、気分が悪い。  ――みっつめのお願い。  叶っていたよ。私の知らぬところで、いつの間にか。  私が投げ捨て、彼女が拾ったあの絵にぎゅうっと詰め込まれているだけ。どうせならもっと近くにあるものになってほしいけど、そう、あの頃の私はあまりわがままではなかったのだ。  目蓋の裏に残ったあの絵を思い出せば、すぐに泣けてくる。  だから、やはり全部処分してしまうべきなのだ。  願いは叶わなかったと憶えたほうが、まだ目覚めが良いことだろう。  みっつめのおねがい。おほしさま、これだけはぜったいにかなえてね。もちろん、ひとつめもふたつめもかなえてね。  お願いします。  パパも、ママも、えがおにしてください。それでね、みみとおててつないで、あるくの。  みみのおねがいはこれだけです。ぜったいお願いします。おほしさまへ。あまみやみみより。  描いた絵は、ずっと笑顔を浮かべ続けてくれる。手はいつまでも離れない。三人は、いつまでも仲良く並んで立っている。  願って、叶って、失って、吐き出しても吐き出し切れない絶望が私は満たす。  切なくはない。悲しくはない。悲しくなってもどうにもならないし、切なくなってもどうにもならないし、それなら悲しくも切なくもならなくていいではないか。  だから余計、切ない。だから余計、悲しい。  ――何かが崩れる音がした。  何かとは、崩れないでいてほしかったもののことであろう。  崩れても、悲しくはない。なにをどう想ってももう遅いのだから、切なくはならない。  だからこそ悲しげに、だからこそ切なげに、心の底から願う。  たったひとつの、願い。  ――お願いをやり直させてください。