ノート 水瀬愁 このタイプのものはなんというジャンルにすべきかわからなくてこまる ******************************************** 【タイトル】  ノート 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  その他 【種別】  短編小説 【本文文字数】  3630文字 【あらすじ】  テスト前くらいはちゃんと勉強しましょうというお話、ではない。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  高校一年生の私は、高校生活初めての中間テストを明日に控えて勉強に勤しんでいる。  ……いや、表現に間違いがあった。勉強せざるをえなくなってしまっているという方が正しい。  中間テストはよっかっかんに渡って実施され、今は四分の一を果たしたあたり。迫ってきている日をこなし終えれば、中間テストは後期になるってわけである、が、いかんせん、人間とは不可思議な生物なことだ。不可思議というのを私で喩えるなら、そう、切羽詰ったから始めた勉強だというのにいつの間にやら脱線してゲーム的に解答集をめくっていることか。  ゲーム的というのを説明しよう。私が今目の前に広げている問題達のジャンルは英文であるのだが、和訳問題でもないのに解答集にはご丁寧にも日本語での読み方を表記してくれちゃっていて、それがたまにおもしろい順序で並んでいるのだ。少し前に見つけたものは『彼女は着物を着ているときは美しく見える』という文のあとに『それはお気の毒に』があり、もしこれが本当にあるシチュエーションだったらと妄想すれば笑えてきてしまえて仕方ない。そうやって、何かおもしろいシチュエーションを二文か三文の連続から想像していくのが、私の言うゲーム的である。  つまり、勉強していることにならない感じなのだ。  熱心に英文を見ているという点からすれば、少しは頭に入っているだろうが、この勉強は課題――問題を解いてノートに書き込んでいく――も兼ねている。残念ながら、そっちが全く進行していない。そろそろ自分に言い逃れせず課題の方もやり始めたほうがいいなぁと、二十三時四十五分を指す時計を見上げてしぶしぶ決心した。  サボったとしても提出期限があるためにどうせ自分の首を絞める結果にしかならないのだが、わかってるんだろうかねぇ自分はっ。 「あ、これも良い感じ」  再びちょっとやり始めて、また思いついてしまった。少し前にあった英文と組み合わせればとノートを数頁分振り返ろうとしてしまうあたり、まだまだ余裕のつもりらしい。結論、精神的には全然切羽詰ってない……こりゃ、テストは大丈夫でも、課題提出は間に合わなさそうだ。  机は小型の電灯で照らしているし、部屋も照明を全開につけているけど、やはり夜なせいか、どこか薄暗いように思えた。  シンとしていると、やっぱり心も寒々しくなる。べつに、独りが怖いというわけではない。でも、なんで独りなんだろうと、しなくていい後悔の念がこみ上げてきてしまう。友達が行く高校を選んでおけばよかったかなぁと、そういう有り勝ちなものだ。  五月の後半になっても、クラスに友達はできない。最近では、無口キャラが出来上がり始めてしまっている。進路決定のときにそうは思わなかったけど、友人が誰一人行かない高校を我を突き通して選ぶというのは些かつらい選択すぎたみたいだ。中学のときは簡単にとけこめたのが原因かどうか。と、嫌気が差してくるくらい何もかもが上手くいかなさすぎる高校生活一年目。なんだか、適当に過ごしていた中学時代に戻りたくなってしまうな。マンガだけのことなどと思っていたけど、こんなホームシック的な気持ちはほんとうに湧き上がってしまうものだったんだと痛感する。  そして、はぁっと溜息を吐いた。そうもしないと、自分をつくる基のあたりが崩れてしまいそうだった。グラグラとぐらついているのがわかって、物思いに耽るように突っ伏しようとする。  コンコン  静まり返った室内に、その控え目なノックは随分と大きく響いた。  パッともやもやした感情が吹き飛ばされて、その衝撃に幻痛を抱きながら声を返す。 「はぁい?」 『あ、姉ちゃん。悪いんだけど、辞書貸してくんないかな』  そんなものお安い御用。と、私はイスから腰をあげて、ドアに向かった。  ドアノブを回し、引く。視界に、辞書を要求してきた声の主が入ってきた。  ……彼は私の弟である。黙っていれば母性本能を掻き立てられてしまいそうな顔立ち。クリッとした瞳は、何か細工があるんじゃないかって思えるほどキラキラしていることがあって印象に残りやすい。守られてるってタイプの容姿に似合わないほど、その実はバリバリのスポーツ熱血少年だったりして、中学では野球でレギュラーをはっていたはずだ。ころころ表情をかえたり、大らかだったり、自己主張がはっきりしていたり、申し分ない弟ではある。 「……ねーちゃん。その服装は、どうにかしてくれないかな?」  どんな服装。見下ろしても、首を捻るしかなかった。  ただのパジャマなのである。露出もあんま無いし、短パンで足を出しすぎているくらい。上の方も、胸が大きすぎてくしゃくしゃになってしまうのが嫌だからプリントが無く、シンプル極まりないのである。  なんだろう。何が、この子の欲望に刺激を与えてしまっているのだろう。もしかして美貌っ。私って罪な女っっ。  ……なんて冗談はともかく。 「それより、辞書。要るんでしょ? 本棚から、勝手に漁ってってよ」 「はぁ、了解」  私はたったと勉強開始だ、ゴーゴー私。  再びイスに座ったそのとき、ふと弟に聞こうかと思ってしまった。しかし内容が内容なので、言い難くはある。  第一、姉が弟にお悩み相談を頼むだなんて、あってはならない気がするなぁ。  ううむ、どうしたものか。悩みモード全開ら―― 「あ、姉ちゃん。こんな萌えっぽい漫画読んでんだ」 「見るなぁぁぁぁあああああああ!!」  本棚の前に立つ弟の一言に、私は反射的に叫びつつ弟の手からニ冊の雑誌を奪い去った。  まったく、油断も隙もない。しかも、デリカシーも無い! 「辞書持ってさっさと帰るら!」 「はいはい……っと、姉ちゃん、ひとつだけ言っていい?」  肩を竦ませとてとて去っていこうとした弟が、ドアを閉め切る直前にひょこっと頭だけ室内に戻してきた。  油断ならず。警戒しつつ、言う。 「な、なによ」 「あのさ――制服と間違えてスク水を着てくるような女の子、まず現実に在り得ないから」  ボンッ  この短時間に、雑誌の中身を見られてしまったようだ。  私の誇る唯一の恥ずかしい趣味【ドジっ娘萌え】を……  思わず手元の雑誌を見下ろして、キャッチフレーズやイラストがエロ可愛い表紙を目に入れてしまう。途端、恥ずかしさが加速してさらにボンッ。  そうなれば、あと私にできることはただひとつ。 「〜〜〜〜! 二度と来るなぁ!!」  ドン  復讐を狙って雑誌を投げつければ、すでに加害者は退室済み。ドアと床に当たって、雑誌が二度音をたてた。少し空しくなる。  そう運動してもいないのに上がってしまった息を整え、自分でもわかるくらい熱くなった顔の冷却を念じる。  気に入らない弟、ちょっかいかけてくんな。落ち着けば、ふつふつと憤怒が煮えくり返ってきた。  負けた悔しさを押し殺し、机に齧りつく。勉強だ。猛烈に勉強して、サッサと寝てしまおう。今までの遅さはなんだったのか、まるでテスト中のように筆がさらさらと動き始め、集中とも"キレた"とも判別できない無我夢中の状態がつくられる。ともかく感情が激流になっていて、それをどうにかすることしか頭に無かった。  いつの間にか、気が滅入っていたことすらもほんの些細なことと忘れ去って。  ……ノートも、日記のようなものである。  私の今日のノートを振り返ればそう、和訳の仕方が変わっていた。  ゲーム的に遊んでいたりしていたときは、どういうわけか、丁寧に『〜です』『〜ます』の形をつくっていて。反対に、むしゃくしゃしてしまった後には、発するには仏頂面が似合うであろうというくらい不躾な感じとなっている。  5W1Hなんてもののない、日記。書き留めれてはいないから、時間が経てば、自分ですらもわからないものとなってしまう。この日記は、そんな解き方のある暗号で書かれているのだ。  日記をつけていない者も、日記をつけている者も、そう。  知らぬところでみんな、今日という日を暗号にして書き残している。  それが自分自身でもわからないくらい些細なものでも、確かに記している。  今日で感じたことを。今日で思ったことを。  だから、昔の、自分の使っていたぼろぼろのノートを掘り返してみれば、暗号は容易く見つかることだろう。  汚い字で乱雑に書かれていたり、綺麗にポイントを纏めていたり、一生懸命解こうとしている痕がそのままだったり。  葛藤や達成や決意や努力が残る暗号が、知れば知るほど応援の言葉になってくれたり、胸を張れと先生のように叱ってくれたり。  ああ、それじゃあ、この一文一文も重要なものなのね。私は激情を叩きつけるように力強く書かねばと思った。  そうでなくては、未来の私へと伝わってはくれないだろう。  前を向く力。小石で蹴躓かないよう、どしっどしっとグングン前に進んでいくための、力。  今のこの気持ちがそのまま伝わってくれれば、いつまでもずっと前を向いて歩き続けられる。そんな確信に似た妄信を、私は笑い捨てられずに筆を握る手をぎゅうっと強めた。  ……。  ……。  ……。  あ、芯が連続三回も折れちゃった。