【タイトル】  ショートショートすと〜り〜ず【  伝  】 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  恋愛 【種別】  短編小説 【本文文字数】  1255文字 【あらすじ】  人は大人になる。それは薄汚れると言う意味でも、削れるという意味でも、擦り切れていくという意味でもある。あのとき思ってたはずのことが、今は思えなかったり。薄汚れると、昔の自分じゃないものになってしまう。そんな摂理に気づいた僕のできる、たったひとつの言葉。彼女の暖かさに今一度気づくことで――僕は、僕であることができるのだろうか。これは、職業での上位とか下位とかに振り回される僕の、ちょっとしたお話。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  ほんの一握りの幸せですら、私は掴めないんだね。  携帯を片手に頭を捻る。  高層マンションの一室。今ここにいるのは、僕だけ。  ドアの鍵をしめたかどうかはおぼえていない、そんなことにまで気が回っていないからだ。  行き交う人々が、米粒程度の価値にしか思えない。  接客という仕事をしている僕でも、今は一大事すぎた。  ――彼女と喧嘩した。  いや、喧嘩というより、想いの決別かもしれない。  大事な正念場だったんだ。上に上がるか、下に下がるか。それでも、彼女の微笑みに苛立ちをおぼえたことなんて、初めてだった。  彼女の冷たく醒めた瞳を、今でも忘れられない。  彼女の、絶望したような呟きが、今も忘れられない。  今の自分、あのときの自分。両方が――僕の心を裏切る。  辺りを今一度見渡した。  闇に埋もれた街。人工の光が、人の心を妖しく誤らせる。  空気が重いと感じたのも、はじめてかもしれない。  隣にいてくれた人が、今はいなくて。  隣にいてほしい人が、今はいなくて。  衝動に突き動かされて、携帯を開いた。  起動、メール作成、入力――手が止まる。 「……クソったれ」  自分を罵る声が、とても弱く思えた。  伝えたいことは多いはずなのに、謝罪したいこともたくさんあるはずなのに。  このまま何もせずに、時に身を委ねようとする自分――腹立たしい。  目を閉じる。  思い描いた。彼女との永遠と思えた日々を。  彼女が隣にいない――自分を。  その背中は、酷く小さく思えて。  僕は今度こそ携帯に指を叩く。  たったの三文字――送信を押すと、死をもたらすのではないかと思うほどの脱力感が押し寄せた。  自分の手が冷たい。震えていないのに、震えている。  携帯が鳴ったのは、すぐだった。  メールを開く自分の指が、自分のものじゃない気がしてくる。  だけど――メールに記されていた一言は、あまりにも残酷で。  儚くて。  正しくて。  僕を完膚なきまでに叩き壊してくれた。  型からはずれることができたんだ。  だからこそ、いえる。 「………………ありがとう」  涙が流れた。  止められない、何度も何度も拭って、諦める。  断たれてしまった絆は、もどらない。  二度と、彼女の愛を得ることはできないだろう。  その絆に、心を奪われたままでは。  僕が一方的に悪くて、殴られても叩かれても仕方がないというのに、メールに記された言葉はそれ以上に僕を震えさせた。  止まらない涙。  僕を撫でる手があることに気づいた。  さらに、想いのダムが崩壊する。  僕は、手の主へと身をもたれかけた。  涙とともに溢れる感情は、いつしか自分自身すらもわからなくなるほど混沌としていて。  もう二度と離さないとばかりに――両腕の中にある存在を、強く強く抱きしめた。  僕は間違いを犯していた。  彼女を大切だと思っていたけど、それがすべてじゃなかった。  彼女は、僕にとって、もっともっと大切な人だった。  僕を躊躇させていたことのすべてが、どんなに小さくて、どんなに馬鹿らしいことだったか――今ならわかる。  僕は、彼女を抱きしめた。  彼女は、僕を抱きしめてくれた。  今はそれだけで――良いと思えた。  僕の幸せに君が必要だから、消えないで――