白クマちゃんのなく理由 .txt 水瀬愁 -The beginning of the story of the great adventure- to -Till this hand gets something- ******************************************** 【タイトル】  白クマちゃんのなく理由 .txt 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  恋愛 【種別】  短編小説 【本文文字数】  9825文字 【あらすじ】  前作のクオリティが高すぎた。続編を書いたことに、今は後悔してる。※後日本格的なあらすじ(紹介文)を書く、かも。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ 0. 「晃(あきら)……私は変人だ」 「そうか」  どんよりとした雲。それから降り注ぐ恵みの雨が、行く先に広がる薄暗い住宅街に降り注いでいる。  屋根とゴミ山――カラス対策がされていないため、カラスが食い散らかしたかのようにゴミが散乱している――を叩く雨は、弾丸のごとくと言っていい。一発なんてものじゃないから、マシンガンか。  その想像にクスリと微笑んでしまう。  斜めにつくられた赤い屋根の家を細めた目に捉え、もう一度呟くことにした。 「私は……自分勝手な我侭娘だ」 「そうか」  ぶっきらぼうな返答。横目で晃の表情を伺いそうになり『なんとなく負けた気になる』のが嫌だったので雨を見上げ続ける。  ……大雨だ。ものすごい豪雨。  自分から外を歩きたがるやつはそうそういないだろう。 「……私が行うのは、奇行だ」 「道を踏み外すのは慣れてるよ。なんたって、不良だからな」  私の目と鼻のさきにぐわっと出てきた、ニカッとした晃の笑顔。  思わず吹き出して、ああと思う。  私はいつも……晃の前では笑顔だ。  こんな私はキャラじゃないけれど、嫌いじゃない。  こんな私でいることは、どちらかといえば――最高に心地良い。 「っていうか、今更だな。俺はとっくの昔に気づいてたぞ? お前が変人で自分勝手で我侭で屁理屈こねで超変人で超自分勝手で超我侭なことなんて」 「う、うるさい……言いすぎだぞ、晃」  晃にそっぽを向こうと思い、わざと回れ右をして晃に背中を向ける。  過剰かもしれないが、このくらいはいつもどおりの晃との駆け引きだ。「何事にも全力 これ日々の課題なり」バイ円(まどか)。  景色が駅の中に移り変わって、私は思わず晃を忘れた。  この簡素な駅では、改札口を抜けなくても線路を見ることができるらしい。張り紙がずらりと並んでいる壁――その狭間にある低い背丈の改札口の向こうを、私は見ることができた。  ちょっと遠くて、点字タイルやらが邪魔で見えにくいけど、向こう側にある線路が雨にうたれていることくらいは――手前は悲しくも見えない――捉えることができた。  思い出す『スタンドバイミー』歌じゃなく、映画のほうだ。  あれは、線路沿いにどこまでも進んでいって、死体を見つけましょうっていうお話だった――なぜかはわからないが、どういう結末だったかがポックリ抜けている――はず。  だけど、羨ましいと思う。  とっても、羨ましい。  私のように、見つかるかわからないわけじゃ……ないのだから。  それに、私のように道がわからないわけでもない。 「背中向けんなよ。ここからが俺の、とっておきの名台詞が炸裂する大切なシーンなんだからっ」 「なんだ、対抗心でも燃やしているのか? お前もまだまだ青いなぁ」  晃を思い出し、なんとか皮肉を取り繕う。  仕方ナシに振り向いてやると、頬をぽりぽりと掻く晃がちょうど口を開き始めた。  そして――発せられる。 「俺は、そんなお前だからいっしょにいるんだ、ぜ♪」  唖然とした。  呆然とした。 「……今時、三流映画でも取り扱わないぞ。そんな言葉」  だから、私は勢いよく雨の中へ飛び出した。  背後で何やら喚いている晃を感じ、やれやれと思って笑みをつくる。  ……ほんと、クサすぎるぞ。  そのまま目を閉じ、ピンと背伸びして受けた雨は、痛いくらいに冷たかった。  普段なら少しでも触れるのが嫌だけれど、今はちょうどいい。  こんなに冷たいのなら……晃が追いついてくるまでに、この熱い頬も冷え切ってくれるだろうから。  胸がドクンドクンと高鳴りをあげている。  自然とニヤける表情を整えるのは、今はムリそうだ。 1.  雨の中に消えていく男女を見て、やれやれと駅員は息を吐いた。 「若い子は風の子というけれど……」  深いしわの刻まれた顔。白に染め上げられている髪。  そんなご老体の駅員は、細い目をさらに細め、一組の男女が消えていった方向を見た。 2.  辺り一面を覆い視界を狭くしている、霧っぽい"もやもや"を見上げてから。  私は、ふと思いついたネタを口にすることとした。 「晃。どうしてお前は晃なん――」 「雪がなぜ白いかは知らないが、雪は綺麗だろうさ」  ちっ、先読み回答とは……なかなかやるようになったな、晃も。  だが、晃なんかが私にオタク度で勝(まさ)っているはずがない。ルル様バンザーイ。再放送決定バンザーイ。第二期決定バンザーイ。 「っていうか、ボケる暇があったらさっさと記憶辿れよ」 「……フッ。甘い、甘いぞ晃。 記憶などという曖昧かつ論理的でないものをキーとして使う場合、少しでも真実性を追究しなくてはならないのは当たり前のことだ。今回の事例の場合、回想を辿ることによって記憶の精確さを高めることは最重要とされるべきであり――」 「つまり、自分の記憶力に自信がない、と」  私は晃に拳による連打を制裁する。人は真実を見抜かれるのが嫌なのだ。 「ということで、ゆっくり進むぞ」 「はいはい、わかりましたよ……」  ……むむぅ、男女にはなぜ成長の差が存在するのだ。私が非力であったり晃が頑丈であったりするせいで、殴ることに意味がないではないか。  ないではない。という表現が前回の頬杖の突き心地と同じくらいあれだったので、訂正アンド修正を行いたい所存でありますです。 「おい、ゆっくり進むんじゃないのか?」 「あ、ごめん」  振り返ると、私の方針通り歩いていたらしい晃がジト目を向けていた。私は大げさに合掌して、彼の目と鼻の先まで小走り、|可愛らしく(・・・・・)上目遣った。  うげっと半歩退く晃に、私は内心で微笑んでしまう。  ……ふふ、どうだ。精密計算の末導き出された最高かつ清麗かつ愛(うつく)しいこの萌萌カットインはっ。 「許してね、おに〜たん♪」 「お、おに〜たん言うなぁ……ぁぁ…………」  力なく反論し、耐え切れなくなったように私へ背を向けた晃。  その反応に、私の心は満足感で溢れていた。  しかし、しかしだ。悲しくも、雨による打撃が心に募らせてくる憂鬱は消えてくれない。つまり、今満足感を超量産するのはモターイナイということだ……モッターイナイだったか? 外国語的発音への変換は難しいな。  対幼女萌属性有系男性悶絶カットイン――唇に人差し指を当て小首を傾げる――を披露した成果もあって圧勝できたわけだが、いかんせん……雨|五月蝿(うっさ)い、騒音だけでも自重しろ。 「……非常に名残惜しくはあるが、お取り置きというのも悪い判断ではないな」  やっぱり雨のザーザー音が非常にあれなので、他のカットインの披露を諦めいざ大冒険へっ。 「行くぞ、従者晃!」 「間違ってないんだけど霧消に腹立つわっ!」  うぅん、ナイスツッコミ。私は思い至らされる。  ……私は幸せ者だ。  晃をいじり、赤面させ、はたまた晃にいじられ、赤面させられる。こんな毎日だから、絶え間ない笑顔は絶え間ない。  なぜ絶え間ないかは、適確な言葉で表せないけれど……多分、晃が大人だからだろう。  大人というか、なんというか。私を理解してくれているっていうか。  ここ最近は自分でもわからなくなってきている|本当の自分(・・・・・)とやらを、ちゃんと見てくれているっていうか。  妙に言葉を多くせずとも、解り合える――つまりはそういうことで。 「つまり、私が子供ということか。そうなのか、晃よっ!?」 「いきなりだなオイ」  今そんなことは関係ない。私はプイッと顔を背けると同時に、意識を切り替える。  時刻が全然違うせいもあって、記憶のものと景色が被りにくい。  だけど。  ちょっとだけ……鮮明に思い出した。  あれは――十年以上前の、引越のときだったのか。 3.  ――今日でこの町ともお別れよ。ちゃんとばいばいした?  ――うん。いっぱいバイバイしたよっ。  通勤ラッシュの時間帯のせいで、改札口前には人混みができていた。  小さな女の子は、ふっくらとしたほっぺたと、白い白いクマちゃんのぬいぐるみのほっぺたとをくっつけて、お母さんに満面の笑顔を向ける。  ――それじゃ、お母さん。ちょっと切符買ってくるからね。良い子にして待ってるのよ?  ――うんっ。  人混みに向かっていったお母さんは、すぐに女の子には見えなくなって。  女の子は、白クマちゃんを自分に向かせて、言いました。  ――いっしょに、良い子良い子で待ってようねっ。  ところが、人混みへ向かう男の人の足が当たって、女の子はこてんと転んでしまう。  起き上がった彼女の手に、白クマちゃんは抱かれていなくて―― 4.  喜ばしいことに、この雨の中街を巡らなくてもいいようだ。  私は立ち止まり、晃へ振り返った。 「……何思い出したんだ?」  私の表情から察してくれたことが、とても嬉しい――自然と頬が緩むのを感じたが、顔を引き締める必要もないのでそのままに緩ませることとする。 「喜べ、従者よ」  正直、その先を想像すれば全然喜ばしくないのだけど、私はある意味で嬉しかった。  だって……これは、私の我侭なんだもの。  この雨の中で風邪を引いてもいいのは、私だけ。付き添うことに了承してくれたのは嬉しいけど、晃に風邪を引いてほしくはないから。  だから、結構嬉しいことでもあるのは間違いない。 「……あの頃の私は、駅でクッマーをなくしたようだ。急遽方向転換、全力前進なり〜よ♪」 「もしかして、なくしたぬいぐるみの名前がクッマーっ!?」 「……どこか変だった?」 「お前のネーミングセンスに絶望したっ。気づいてないことにもっと絶望したっ」  ……。  ……。  ……可愛い名前、だよな? クッマー。 5. 「……やれやれ」  煙草を吹かしていた駅員が、一服の手を止めた。  雨の中から戻ってきた一組の男女が、あまりにも物珍しいからだ。  それだけでなく、その男女はゴミ山の前をうろちょろしている――駅員はこう推測した。 「……ひょんなことから出会った男女。彼らは一目見合った瞬間に恋に落ちてしまう。 だがその恋は簡単なものではなく、地位の差から両親の猛反対が飛び、二人は引き裂かれてしまう。 そんなある日、悲しげに月様を見上げる女の前へ、愛しいと思い続けた男が現れた。久方ぶりの再会に、男女から離れるという選択が消えた。 そして、彼らは家出を決意する。二人だけの世界を求めて……ううっ、泣けるなぁ」  自分の独白に自分で涙し、ハンカチで鼻を啜る駅員。  煙草を灰皿に置き、彼はよっこらせと立ち上がった。 6. 「晃。無茶を言うでない」 「だけど、ここにあるかもしれないんだろう?」  バカか、こいつは。  ゴミ山を漁ろうとする晃を抱きとめることに、私は全力を注ぎ込む。  しかし所詮は女性の力。晃の慈悲で晃を止められてはいるが、晃を下がらせることは叶わない。  ……むむぅ、むむむむぅ。 「なくしたのは十数年前だっ。このゴミはここ一週間のものだろうっ?」 「ああ、そっか」  やっぱりバカだ、こいつはっ。  いや、訂正。  攻撃力5か……コケめっ……  うん、やっぱりこっちのほうがいい。遊者のくせに生意気だのコケ君は最強だったなぁ。入って牛蒡大作戦は爽快だった。遊帝さん瞬殺はまさに悦楽。  ――って、そんなこと考えてる場合じゃないっ。 「いいか、晃。私がここに戻ってきたのは……」  晃の前に出て、晃へ一発蹴りを入れ、それからゴミ山の横にある【ゴミ収集日程】の張り紙をバンッと叩き、私は言う。 「……ゴミ収集場がどこにあるかを、知るためだ」 「なんで蹴った!?」  むむむむむむぅの復讐でっせ。 「ということで、次に向かうべき場所は決まった! さあ行くぞ、助さん兼角さんの晃!!」 「絶対無理な一人二役――ッ!!」 「鋭いツッコミ、ナイスだぞ若いのっ!」  最高に素晴らしい会話のキャッチボールに、異物が入り込んできた。  ぐるんとテンションが反転するのを感じつつ、私は晃の向こうへ目を上げる。  すると―― 「……駅員の者(もの)よ。そなたももう若くはないのだから、だまって舞台から降りるがいい」 「最近の若い者(もん)は礼儀もなっちゃおらん」  ――頭のハゲが可哀想に思えてくるおっさんがいた。 「いや、無礼なのを心得て、あえて言わせてもらう……羞恥を晒す前に降りるのが得策ですぞ。孫娘もいらっしゃるのでしょうし」 「嫌な気遣いすんなっ」  ――頭のハゲを気にしてるらしいおっさんが怒った。  いや、もうおっさんのことなんて書かなくていいか。うんそうだよな。 「おい、空気になりつつある晃も何か言ってやれ」 「え? 俺?」  ぼぉっと私とおっさんのやり取りを見ていた晃は、ぎょっと目を見開いた。  ……ふふん、私が無茶振りしないと鷹を括っていたようだが、甘い、甘すぎるぞ。カフェラッチ好きの私には滴る蜜のお味様だぞっ。  ……これでおっさんとしゃべらなくて済む。ほっと一息。 「あ〜……え〜っと、何か用でスか? 切符はおつりなしだし、間違いとかはないと思うんですけど」  まず浅いところに突っ込むと、ふむふむ。 「ふむ、若い者オスは礼儀を弁えてるみたいだな」  不良だけどな。 「確かに切符等の問題はひとつもない。というか、わしがおみゃぁらに話しかけたのはそういう理由じゃないけんのぉ」  いきなり弁入れるなよ。  そうして、私はとても重大なことに気づいた。  思い至ったそれは、あまりにも現実味溢れるが故に否定できない。  悪あがきのように首を振るどころか、絶望したっと膝をつくことさえままならない。  だからこそ私は私を騙しきれず、私は私を理解できなかった。  嘘だ――  意地でもそう発したかった。  だがそうできなかった。  嘘であってくれ――  悲願は現実を変えてはくれない。  嘘であるならばどんなにいいだろう。  どんなに思い連ねても、現実という結論は揺るがない。  であるがゆえに、私には分からない。  いや、それは正しい表現ではないだろう。  分からないはずはない。  もう分かっているからだ。  ほんとうは、分かりたくないのだ。  私は私を分かりたくない。  そう、それが真実に対する本当の私。  ――私は心の底で、おっさんにツッコミを入れている。 「……さて、次回作は死のノートっぽくするらしいから、推理の練習でもしとくかな」 「円。一人で肩を落として欝るのは、いろいろと反応に困るんだけど」  ハッと気づけばあのおっさんはいなくなっていて、晃が私に苦笑(にがわらい)を浮かべていた。  ……なんというシーンスキップ。  いろいろとあれであれなんだが、まあ仕方ない。私は気持ちを入れ替えた。  線路なんて分かりやすい道しるべはないけれど、とりあえず向かうべき場所はあるから。  一筋の希望は、まだどこまでも続いている。 7. 「……無理だな」  環境事業センターの巨大敷地の門前で、私は思ったことをあるがままに呟いた。  ここにはこの街以外のゴミも集まっているようで、敷地内に入っていく大型車は後を絶たない。  渋い青の傘――晃がおっさんにもらったらしい――で身を寄せ合い雨を回避している私達へ、運転手達は訝しげな目を向けて来る。  ……彼らはきっと正常な判断力の持ち主だろう、うん。大雨の中、お仕事ご苦労様です。 「無理じゃない」  いつになく真剣みを帯びた晃の一声に、私は雨以外の寒さを感じた。  咄嗟に、叫ぶ。 「無理だ……もう帰ろう。ここが終点で、クッマーは焼却されたんだ。 駅でクッマーをなくした記憶は、正しい確率が高い。そして、駅に接するようにしてゴミ収集場所は設置されている。クッマーが他の燃える塵共(ごみども)といっしょに運ばれた、というくらいは容易に想像できるだろう?」 「でも、もしかしたら、ここの優しい人が拾っておいてくれたかもしれない。一人ずつ聞いて回るか、上の人に円がクッマーをなくした日働いていた人の名簿を見せてもらおう」 「途方もなさすぎる――」 「必死にならないと、何も手に入りはしない」  私の三歩先から、私へ振り返る晃。  その瞳は、真っ直ぐだった。  その瞳に真っ直ぐと見つめられ、私は怖い何かを感じた。  怖い何かは、表現するのが難しい正体不明の何か。  形あるものとしての比喩は何も思い浮かばず、形ないものとしての比喩ならば、大まかにいうならば遠慮。謙虚さ。  我侭に無理やり付き合わせたというのに、今は我侭に付き合って欲しくない……そういう、身勝手な言い分。  いや、どちらかといえば、深入りしてほしくないというべきか。  そして、ああと気づいた。  この気持ちは、きっとただの胸騒ぎ。  私のために火も水も掻い潜るんじゃないかっていう、不安。  晃の瞳は、だめだ。  あの瞳をさせる何かは、晃を愛(いつく)しみはしない。  今はちょっとしたことだけど、将来的にはもっと大きなものになりかねない。  それが私のためかどうかなんてわからない。対象はどうでもいいことだ。  大事なのは、あんな瞳をする晃はどんなことにも突っ走り続けるということ。  気づいたから、私は―― 「…………行かないで」  手から傘が零れ落ちるのを感じた。だけど、気にはならなかった。  傘の代わりに掴み、抱きついたもの。それの冷たさと暖かさを、感じた。 8. 「……おいおい」  三本目の一服に入ろうとした駅員は、己のハゲをきゅっきゅっと撫でた。  雨の中からもどってきた一組の男女が、それはそれは珍しいからだろう。  先ほどのやり取り――男のほうに「ある物を探していて、今当てが見つかったところ」といわれた――を思い出し、駅員はこう推測した。 「……見つかんなかったのか?」  改札口前の窓口前までやってきた男女を見て、駅員は己の推測がグンと事実に近づいた気がした。  あのときは異常なまでにつっけんどんだった女が、今はしょんぼりと肩を落としている。  しおらしいと案外可愛いジャンッ――駅員は男のほうに目を向けた。  男は、コクリと駅員に頷いて、おもむろに女から手を離す。 「切符買うから……ちょっと待ってろ」  女の返事を待たず、男は張り紙が大量に鎮座する壁のさらに向こうにある切符購入口まで走っていった。  駅員と女が、二人っきりで残される……駅員は煙草を灰皿に置き、黙りこくり続けた。  女の目が虚ろに泳ぎ、張り紙へ向かう。  何という理由もなく、ただ目をそちらに向けただけなのだろう。だが、それが……唐突に、女の瞳の中で"光"を爆発させた。  弾かれるようにしてひとつの張り紙に顔を寄せる女。駅員はしどろもどろに、窓口から顔を出して女に声をかけた。 「おい――」 「おっさん。この【地域自主清掃活動】って、ずっと前からずぅっとやってるよな?」  それに割り込み、女は顔を上げる。  その剣幕に押され、駅員は「若いもんはなっとらんのぉ。ってかおっさん言うなっ!」とツッコミすることも忘れてああうんと答えた。 「や、やってたと思うけど、なぁ?」  その一言で満面を笑顔とした女は、バシッと駅員のハゲを叩いてきゅっきゅっとナデナデして男のほうへと走り去る。  何がどういうことなのかわからず呆ける駅員は、さらにグッと身を引き出して男女ともがこの辺りからいなくなったと知り。 「……【地域自主清掃活動】ねぇ」  ぶつぶつと呟いて、ハッとあることに思い至った。 9.  ――ぬいぐるみさん。どこ行っちゃったの。  ――ぬいぐるみさん。ぬいぐるみ……さん。  ああ、円ちゃん。僕はここにいるよ。  気づいて。気づいて。  ――円、どうしたの。行くわよ。  ――嫌。ぬいぐるみさん探すの。クッマー探すの。  気づいて、気づいて。  ――ぬいぐるみさん、いなくなっちゃったの。  ――まだ帰らない。ぬいぐるみさん探すの。  ――痛っ。  ――……ぐすん。  ああ、円ちゃんっ。よく、よく泣かなかったね。偉いよ、円ちゃんっ。  ――ほら、行きましょう。  ――ぬいぐるみなら、向こうで買ってあげるから。ね?  円ちゃん。気づいて。僕に気づいて。行かないで。僕を置いていかないで。円ちゃんっ。  ああ、ああ。悲しいよ。僕、円ちゃんと、ずっといっしょにいられると思ってたのに。違うんだね。僕は、もう円ちゃんといっしょにいられないんだね。しくしく、しくしく。  しくしく、しくしく。置いてかないで。僕を置いてかないで。  しくしく、しくしく。捨て行かないで。僕を捨て行かないで。  しくしく、しくしく。忘れないで。僕を忘れないで。  悲しいな。悲しいな。  円ちゃんのこと、ずっと思ってる。円ちゃんのこと、ずっと呼んでる。なのに、円ちゃんは来てくれない。忘れちゃったのかな。置いていって、捨て行ったから、忘れちゃったのかな。  ううん、違うよね。円ちゃんは気づいてくれてるよね。円ちゃんは、きっと僕のことを探してくれてる。  ここだよ。僕はここにいる。来て。円ちゃん。  ――クッマー。  ああ、円ちゃん。  ――クッマー、やっと見つけた。  ――ごめんね。寂しかったよね……一人にしてごめんね。  円ちゃん。ああ、円ちゃん。  あの時と同(おんな)じだ、とっても暖(あった)かいよ。一人のときはとっても寒かった。とっても冷たかった。とっても寂しかった。だから、とっても暖かいよ。  ――ごめんね、ごめんね……  謝らないで、円ちゃん。もう一度抱きしめてもらえたんだ、僕はそれだけでとっても嬉しいんだ。  だけど、ひとつだけ約束してほしいんだ。それと、ひとつだけ言わせて欲しいんだ。  ありがとう……もうひとりにしないで。  ひとりは、とっても切ないんだ。  僕のこと、ずっと傍に置いてほしいんだ。  ――……これからは、ずっといっしょだよ、クッマー。  ああ、円ちゃん。ありがとう。ほんとに、ありがとう。  そういえば、円ちゃん。とっても可愛くなったね。激しく萌えだよ。幼少時代のほうも無垢っぷりがものすごく萌えだったけど、そのすらりとした脚とか綺麗だよ。胸にうずめてもらえると生きてるって素晴らしい気がしてきそう。ハァハァしちゃうよハァハァ。ムフフ。フリフリとか着てほし以下自重。 10.  自主清掃で拾ったものや駅の落としものなんかを、丁重に保管してくれていたなんて……晃は素直に感謝を思う。  駅から数分歩き、駅員と晃と円が辿り着いたのは立方体をした倉庫だ。  その倉庫には、駅員がこれまでに拾った落し物――捨てるのが可哀想だったらしい。優しい性格で、羨ましいと晃は感じる――の総てが詰め込まれている。  クッマーと思しきデカ物を抱きかかえ、頬をとろけさせて帰路につき始めている円。彼女を振り返り、晃は頬をぽりぽりと掻いた。  納得いかない……晃の感想は、至極簡単だった。  以前、なくしたぬいぐるみの名はクッマーだと知ったあのとき、晃は円のネーミングセンスを疑った。  しかし、それは間違いだった。晃は修正する。  ……円がおかしいのは、ネーミングセンスなんてものじゃない。  もっと根本的なものが間違っている。そう思った晃は振り返り、倉庫のドアにカギをかけている駅員に頭を下げた。 「あのぬいぐるみ拾っといてくれたこととか、いろいろありがとうございます」 「アンタが言うことじゃ、ないだろう? ワシに礼するのはあの娘じゃし」 「本当は、そうなんですけど……幸せそうな円の邪魔はしたくないんで、俺が代わりに」  駅員と晃は、へらへらと笑いあった。 「それじゃ、仕方ないな。お前さんの礼で我慢しといてやる」 「はい、ありがとうございます」  もう一度深く頭を下げた晃に、駅員は疑問を感じた。  その疑問を、そのままに口にする。 「若いの。あんた、なんでそんな服装してるんじゃ? 不良じゃあるまいに」  晃は首を横へ振り、笑顔を止めずに言った。 「俺は不良ですよ……好きな女のためならどんな規則でも破る、ってね」  そうして円の後を追って、走り去った晃。  その後姿を見て、駅員は目を細めた。 「家出じゃなかったが、青春じゃのぉ」  前に空き巣が入ったせいで、数品なくなったりしたのだけど……駅員は、素直ほっと胸を撫で下ろす。  可愛いクマのぬいぐるみ、なんて拾ったおぼえはなかった。だから、彼らをぬか喜びさせるだけなのではないかと、駅員は不安に思ってもいたのだ。  ほっとする中で、駅員は果てしなく絶句もしていた。  まさか。 「理科室にある人間模型以上にホラーチックがかもし出せそうなあれが、あの娘の探し物とは……」  鮭を目の前にしてゆだれを垂らしそうになっている、という表情のクッマー。心底幸せそうな表情をして、それに頬擦りする円。  駅員と同じ絶句をする晃は、しかしと思って微笑んだ。  ……円らしいといえば、円らしいか。  一番乗りゲーム――屋上で昼食の待ち合わせで、先に来たほうが勝ちという単純なもの――や切符の奢りで悔しげな顔をする円に、晃はいつも思っていた。  そして今も、思うことはそれらのときと同じ。  ――お前が連れきてくれた世界は、ほんと楽しいことばかり。  晃は空を見上げ、いつの間にやら雨止んでるなぁと思うのだった。  〜糸冬〜