【タイトル】  CROSS!〜物語は交差する〜 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【サブタイトル】  ♯10[  願  ]………………2(第11部分) 【ジャンル】  恋愛 【種別】  連載完結済[全127部分] 【本文文字数】  11933文字 【あらすじ】  舞台は現代風の孤島『風宮島』。主人公は季節を巡って愉快なヒロイン達との物語を築いていきます。一番の見所であるヒロインは、可愛さ溢れて10人以上!諸所に導入されているバトルロワイヤルも必見です。ほのぼので、ちょっぴりえっちなひと時を、味わってくださいね♪紡がれる、自分の心――届くことを、伝わることを願って――CROSS紡がれた、自分の心――届いた、伝わった、心――想い人との愛を育む力となることを願って――CROSS 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  展開が読めない。  どんなものでも、必ず予兆はある。  勇者は魔王を倒し、王子は姫を助け、シンデレラは魔法が解けて尚王子を魅了する。  そのすべてには、バッドエンドの予兆をみせながらも完全なるハッピーエンドを突き通す。  バッドエンド――それは、予兆がないのだろう。  悪い、それは良いよりもわかりにくい。  闇は集まりやすい、唐突に集束する。  光は、いろんな尾びれを毒牙として自らを痛めつける。  闇は人を一瞬で引き込む。光は一瞬で叩き潰される。  それが光と闇であり、人の理性と本能であった。  だから、人は望むのだろう。  理性的で、光に照らされた自分を。  その上で、僕は望む。脅威的で残酷な闇を。  その上で、僕は疑う。  ――シンデレラは、いったい誰なのだろうか。  CROSS!〜物語は交差する〜♯10[  願  ]………………2  「……」  俺は荒くなった息を余所に、足の動きを維持した。  酸素の有り無しに関わらず、俺の思考回路は別の事柄にすべてを傾けていたのだ。  視界に映るものは、ある。  すでに壕から脱出し、バスへの帰路についている俺、及び生徒一同。  ちらりと背後を窺った。 「……」  俺と同じく、小さく息を乱しながらついて来る少女。  俺が振り向いたことにも気づかず、落ち着かない様子で辺りに目を配っていた。  その目的は同じで、行き交う人々の間を縫う視線は目的を捉えない。  その少し後、己等のバスが大きさを増したときに、俺はその後姿を見つけた。  俺が催促して、少女の目をそれへと向ける。  その途端、解き放たれた弾丸のように少女が駆けた。  少女のスピードまで足を緩めていた俺は、元の二倍はありそうな速さで走る少女を追う形になる。  少女がぶつかった人に軽く会釈しながら、一心不乱に走る少女を追う。  目標の後姿が迫り、少女は更に速度を上げた。  それに同調して、抑えられない衝動によって紡がれた少女の言葉が俺の鼓膜を振動させる予兆。  開かれた唇から、搾り出された言葉は―― 「キミキミ!!」  迫る後姿が、立ち止まると同時に身を翻す。  僅かに涙に濡れた目が、俺の前を走る少女を捉える。  一瞬だが笑みを浮かべそうになる少女は、俺の視線に気づくと傷ついたように表情を固めた。  俺の前を走っていた少女は、呆然と立ち止まっている少女に駆け寄ると、伏せられた目を覗き込んだ。 「キミキミ……少し話したいことがあるの」  追いついた俺に、そんな言葉が届く。  顔を伏せていた少女が、ゆっくりと顔を上げる。  その瞳には、軽蔑と差別のナイフが込められ、子供っぽい顔つきは無表情に引き締められていた。 「私も話したいことがあるの、|小倉さん(・・・・)」  冷たく言い放たれた言葉に、俺は傍らの少女を見た。  小倉瑞樹――瑞樹は、静かに息を呑んでいた。  揺れる瞳は、心のどこかが崩壊してしまったかのように思える。  対する天宮希美の目は、不自然に落ち着いていた。  冷え切っている、と表現したほうがいいのだろうか。  俺は割り込むことができない、二人の絆。その崩壊も、俺には干渉できない。  天宮は瑞樹から、俺へと目を移した。  無感情とはいえない、怒気から殺気へと変わった威圧に、小さく唾を飲む。  だが、冷たき殻に包まれたそれは鈍く伝わってくるだけ。その異様さに真剣を通り越した何かを感じた。  それでも――瑞樹の目は、まっすぐと天宮を射抜いていた。  その目に何が宿っているのか。わかるのは、何かが宿っているということ。  俺は不安に駆られて、瑞樹の目に視線を移してしまう。  純粋に、恐かった。  例え嫌われていたとわかっていても、完全な拒絶は恐怖を感じさせた。  瑞樹は俺に顔を向けると、口を開く。 「少し……離れてくれますか? ミズミズと話がしたいので」  硬い笑みを浮かべることに、痛々しさを思う。  俺は励ますように抱きしめたくなる衝動を抑え、踵を返した。  ジャリを踏みしめる己の足音にだけ気を向け、立ち止まることも振り返ることもなく。  今は、それしかできない――こんなにも己を殺したくなったのは初めてだ。 「……」  彼が去ったことを知ると同時に、周りから人が消えたことを覚った。  バスに移動していた波は去ったということだろう、あまり時間は残されていない。  やはり、彼はどんなときでも優しい。思わずため息を出して、笑みを浮かべそうなほど。  でも、今は笑えない。  目の前に視線を向けた。  鉄のように冷たい瞳が、私の視線と交差する。  彼女も、前までは優しかった。  いや、優しいというより、ただ単に爆発的な明るさがあっただけ。  でも、それははちゃめちゃなわけではなく、人の心を元気づける優しさでもあった。  そうなのだ、今もきっとそれだけのこと。  私のことを心配して、私のことを考えてくれているから、こんなにも彼を嫌っている。  今までの私は、彼女の背に隠れて安心を得ていた。でも、今は違う。  私には、彼女の意思に従えない理由がある。  だから――まっすぐと、彼女の視線を受け止めた。  彼女は、苦虫をかみ締めるように表情を歪める。 「……馬鹿みたい。そんなに真剣になってさ、馬鹿だよ……小倉さん」  昔の私に対する、言い聞かせ方だった。  彼女にただ従うだけの私は、彼女に突き放されたくないがためにあだ名で呼び合う以外の呼び方をされることを嫌っていた。  そう、崩壊すると思っていたのだ。実際、彼女に嫌われていたら崩壊していただろう。  今の私があるのは彼のおかげでもあり、彼に会うまでの時を稼いでくれた彼女のおかげでもあった。  でも――人は変わるのだ。  例えれば、人は己を生んだ両親から離れる。  それは両親への感謝を捨てたのではなく、自律を持ったということ。  理解できないかもしれない、離れられる側としては理解できないこと。  そのすべてを、すべての和解をできるとは思えない。でも、伝えたいことはひとtだった。  私は大きく深呼吸する。  行き渡るのは酸素だけではなかった。  伝えたい言葉を、迷うことなく連ねる。 「――ありがとう」  思考は|円環の自問自答(ウロボロス)に陥っていた。  抜け出そうにも、締め付けられた心は更なる深みへ落ちることによって満たされようとする。  ――悲劇の主人公でも気取るつもりか。  俺は俺を殺す。それでいい。  無理に明るくなる理由もない、笑みを浮かべることなく脱力した体を引きずってバスに乗り込んだ。  同時に、待ち望んだかのような嬉しそうな顔と対面する。  名もなき生徒。いや、生徒達。  だが、俺の様子を眺め、すぐに呆れたような絶句するような表情に変わる。  ――おかしい、一体なんなんだ。  理由がわからずとも、知る必要性がなかった。俺はこの事項を頭の隅に追いやり、空いている席を探す。  女子の隣は即座に却下し、見知った人間の隣が空いていることに気づく。  ゆっくりと近づき――後悔する。 「……」  俺と同じ表情な気がした。  久方ぶりに見た顔なのだが、なぜか安心感は生まれない。  だが、反応する気力はない。  倒れるように席へ沈み込み、荷物をすべり落とした。  緊張のほぐれとともに、脱力感が増す。  少しして精神的余裕が表れると、隣の存在をひしひしと感じるようになってくる。  仕方なく、隣へと目を向けた。  御劉――名前は忘れた。  死人のように黙りこくり、目を前髪で隠している。  頬杖をついていた腕を叩き、頭を落としてやる。  カクン、と頭が落ちる。反応は――ない。  死んだか、と頭を覚醒し始めたとき、御劉はゆっくりと顔を上げた。  疲れきった瞳、多分|円環の自問自答(ウロボロス)を繰り返していたら俺もこうなっていたのだろう。  遠くを見ているような、呆けた目が俺を捉えた。 「……祐夜、か」 「その名前で呼ばれたのははじめてだろうな、今更イメチェンか? それにしても陰湿すぎる」  俺は軽口を叩いてみせる。  精神的余裕を無理矢理にでも広げておかなければならない。そうでなければ今後のスケジュールに沿えないことは明白だ。決意や約束を一日も守れない男にはなりたくない。  御劉は笑うこともなく、もう一度頬杖をつきなおす。  それをもう一度叩いてやった。 「……何か用か」 「別に。ただ、なんか言いたいことがあるんじゃないかと思ってな」  御劉を煽り、意地悪な笑みを浮かべてやった。  こいつの疲れた顔など、初めて見た気がする。よっぽどのことがあったのだろう。  相談に乗る余裕はない。だが、吐かせるのに理由は必要ない。  ただ、気を紛らわせたかった。  御劉はそこまで思考回路を回せないようで、虚空を見つめてポツポツと呟き始める。  その言葉に、ことの重大さと己の行為の後悔を抱き始め、舌打ちした。 「……恋って、なんなんだろうな。変われない自分が変われた気がして、でもそれが幻想だったと気づいて、先ほどまでの自分が馬鹿らしく思えて、彼女が……とても遠くに思える」  ――御劉のほうが、深刻なのかもしれない。  深刻だとわかって何ができようか。どんなに考えても、俺にはただ似たような反応を返すしかできない。 「惚れまくってるな。それ自体が恋っていうだろうが」 「……そう、か」  御劉は片手を掲げた。  わずかだが、瞳に火花が散ったように見える。  火花は、一気に燃え上がる。  そのためには、蓄積された何かが必要になる。  なら――御劉の抱えた想いとは、なんなのか。 「だが、もし俺が彼女だけしか見ていなくて、周りにいるやつを傷つけていたとしたら。 傍にいる人の、抱えて居るものを何一つ知ろうとしていなくて、屈させていたとしたら、己の行為ひとつひとつが、その傍にいる人を締め付けることになっていたとしたら。 ときめいている俺が――馬鹿らしく思える」  似ていた。  微笑むようになった瑞樹。嬉しく思う自分。現実はもっと悲劇的で、現実はもっと複雑で。  俺は、残酷に笑い飛ばしてやる。  それは御劉に向けたものであり、自分に向けたものであった。 「恋に落ちてるだけで、てめぇはもう馬鹿野郎だよ」  答えを導きあぐねるように、困惑した瞳を傾けてきた。  だが――俺は違った。  そう、俺は馬鹿野郎だ。馬鹿野郎だから……後ろも、左も、右も、前すらも、見ていない。  だが、間違いは間違いだと思える思考回路は持ち合わせている。  自分を棚に上げてでも――突き通す意地。  選択の後悔は、選択に反発する存在の間違いは、飲み込む。  このままでも、彼女は笑みを浮かべられないだろう。  笑みを浮かべるために、大事な人を失う――間違っている。  ふと思えば、俺は立ち上がっていた。  衝動。吹き上がるような、膨れ上がるような、感情。  その存在に気づくと――それは爆ぜた。  すべての音を除外、必要なきものの全てを五感から除外。  ただ、気づいたそれを突き通すために水を差す思考すべてを取り除く。  ――迷いは、ない。  走り始めた俺は、御劉とは遠く離れていた。  それに、何かを思うことはなかった。  向かう先は、思い残しの場所。  地面を蹴る足の動きに、迷いや鈍りはない。  ただ真っ直ぐ伸び、神々しく閃く剣(つるぎ)のように、ひとつだった。  狩るためでも、刈るためでもない、伝えるために進む。  探していた存在達は、その時と同じ場所に立っていた。  緊迫、矛盾の食い込み、想いと想いの行き違い――遥かに増している。  溶け込むことのない色同士。反発しあうとは言い難い反発。わかることはひとつ、醜いと形容できること。  足を急かせ、場へと急ぐ。  二人の少女が対峙する場の端に、ゆっくりと参上する。  一人の少女が、もう一人の少女に必死に語りかけている。だが、語られている少女の表情は全くの無。  いや、怒りを通り越した黒い何かを背負っていた。  更に歩み寄ろうとするが、なぜか歩くスピードがとても遅い。  物音を小さくしようとするかのような、本能の仕業。もう一度走ることは不可能に近い。結構な距離を走ったつもりなので、それ相応の疲労が食いついてきている。  仕方なく、そのままの速さで近寄った。  距離が狭まるにつれ、次第に声を聞き分けることができるようになる。  だが、それよりも早く語りは終わっていた。  二人の少女の見分けがつくようになる――手前にいるのが瑞樹、その向こうに天宮がいた。  天宮は、通過する者を阻む壁のように無機質で静寂な目を、瑞樹に向けている。  瑞樹の背からは、どういう風な顔をしているのかはわからない。だからこそ早く駆け寄ってやりたかった。 「……変わったね、小倉さん。私、変わった小倉さんは嫌い」  遅かった――事は無情にも終盤を迎えたようだ。  断じて、瑞樹の望まない方向に。  天宮の瞳が、天宮の顔が、はっきりと見える距離で立ち止まる俺。  瑞樹に向けられていた瞳が、俺へと向く。  怒りや憎しみのない、諦めと蔑ろの瞳。  俺はそれに視線を返しながら、瑞樹の肩を叩いた。  弾かれるように顔を向ける瑞樹の前に体を押し出し、天宮と対峙する。  困惑の感情はない様子で、まるで興味がないというように見つめてくる。  ――振り返る。  涙の雫を頬に伝わせた瑞樹の表情は、悲しみに染まっていた。  俺はそれだけを見ると、何も言わずに天宮へ視線をもどす。 「……小倉さんとあなたには一切口出ししない。それでいいでしょ?」  違う――心の中だけで呟く。  小さく、酸素を肺へ流し込み、言葉を纏める。  単語の羅列を文にし、脳内に浮上させ、紡ぐ。 「瑞樹のことが……嫌いか?」 「今更そんなこと?」  天宮は戸惑うこともなくそう言って、目を細める。  自分も今更だと思った。結局何を言いたいのか。 「嫌いなのは……俺がいるから、なのか?」 「……何が言いたいの?」  急かされても、そう簡単に結論が出るはずがない。  僅かに視線を泳がせ――頭を下げた。 「俺が嫌いなのは、それでいいと思う。でも、それで、瑞樹のことも嫌いにならないで欲しい。お前は――瑞樹の、友達なんだ」 「……悲劇の主人公気取り? 馬鹿みたい」 「それでもいい。でも、お前は瑞樹の親友なんだろ?」  俺は顔を上げる。  衝動に合わせて口を動かす。後悔はあとでいい。今言わなくちゃならない。今しか言えないだろうから。 「お前なら、俺よりも瑞樹のこと知ってる。だったら、瑞樹が笑えなくなることしてほしくない。瑞樹のこと知ってるのに、瑞樹が傷つくことするなんて――おかしいだろうが。お前、親友なんだろ?」 「……」  俺は、無言のまま見つめてくる天宮に詰め寄る。  できるだけ穏やかに、怒りも憎しみもある。でも、今に相応しい感情がある。 「お前にとっては簡単に切り捨てられる存在だったのかもしれない。でも、瑞樹にとっては親友なんだ、切り捨てられる存在じゃないんだ」 「私にとっても親友――親友だった」  天宮は、怒りと憎しみの炎を膨れ上がらせる。  俺はそれを見て取って、口を挟んだ。 「なら、切り捨てるべきじゃない。瑞樹はお前の親友で、お前は瑞樹の親友。それだけなはずだ。 瑞樹の何が気に入らないのか、俺にはわからないけど、俺を憎んでくれていい。瑞樹を怒ったり、憎むのは俺が許さない。親友なら、瑞樹を悲しませることしないでほしい」 「――馬鹿じゃないの」  天宮の瞳に覗き込まれる。  あざ笑うのではなく、ただおもしろおかしく笑っている顔が、俺に見せ付けられる。 「ミズミズは、アンタのことを嫌いになるなって言ったの。私とより戻そうなんてこれっぽっちも言ってないんだから。こういう娘なんだよ、ミズミズは」 「……キミキミ?」  俺の背後にいた瑞樹が呆然と呟く。  俺も気づいた――瑞樹の称呼がもどっていることに。  クスリと笑った天宮は、俺から半歩離れる。 「ミズミズの誠意もわかったし、悪い人じゃないってことは理解しとく。 新入りに、親友とか友達とかを説教されるなんて、結構ミズミズのこと気にしてるんじゃん?」 「それは……友達だからな」 「ん?」  天宮は一瞬キョトンと目を瞬かせる。  俺の横にチョコチョコと歩み寄ってきた瑞樹に目を移し、複雑な顔をしてしきりに頷き始めた。 「あ〜、そういうこと。わかった、本当にわかった。そういうことなのね、うんうん。これで全部つじつまがあうというか……なんか、一気に疲れた気がする」  ――何に、納得しているのか。  思い当たる節がないか頭を捻る俺を、ふたつの苦笑いが包む。  その時、ひとつのバスが俺たちの横を通り過ぎた。 「――って、そろそろ私達のも動き出すんじゃない? 今の二年のだったし」  二年かどうかは見ていないが、そろそろバスに急いだほうがいいのかもしれない。  走り出し、小さく手招きしてきた天宮を追うように駆ける。  おおげさに慌て始める瑞樹を振り返り、小さく笑みを浮かべた。 「……ねぇ、三井君」 「なんだ? というか、祐夜でいい。三井だと被るやつがいるから」 「祐夜、か。祐夜、ねぇ」  何度か呼びまくってくるが、天宮にとっては独り言のよう。  俺の隣にまで速度を緩め、耳元に寄ってきた。 「瑞樹のこと、よろしくね」 「――どういうことだ?」 「祐夜くらいだから」  天宮は小さく微笑えむ。  何か思い出すことがあるのか、痛々しく。 「――祐夜くらいだから」  そう繰り返す天宮。  俺は咄嗟に頷いていた。 「大丈夫。瑞樹は結構根強い、言い出すと折れないからな」 「それは言えてる」  クスクスと笑い始めた天宮に安心して、小さく笑みを浮かべる。  天宮は俺の笑みに気づき、口を尖らせる。 「ま、待ってよ〜〜」  慌てていたわりには俺たちよりも大分遅れている、ずっと後ろで荒れた息をする瑞樹が叫んできた。  俺と天宮は顔を合わせ、苦笑いを浮かべ、同時に歩調を緩める。  追いついた瑞樹とともに、バスへ乗り込んだのはその少し後だった。  結局は、一件落着ということらしい。天宮も――いいやつだとわかった。  晴れた心、爽快と表現できる状態、壮快ではないことは確かだ。  つかれきった体と心を休める時間が一分一秒でもほしい――さすがに女のトラウマができそうな気がした。  行き詰った考えを放棄し、外の世界を眺める。  俺という存在を超えた、主人公と呼ばれ得る救世主(ヒーロー)。出来損ないの主人公としては手の届かない地位だった。  俺もあの地位にいれば、などというイフを思い浮かべ、振り払う。  俺が望んで開けたパンドラの箱。不幸であろうとも、その先に幸福があることを信じたのだ。  馬鹿らしい――俺の選んだこと全て、俺の持っている感情すべて。今更だ。  彼もそういった。馬鹿野郎と。その通りだった、俺は何を考えあぐねているのか。  得たいものはひとつ、俺が俺であるために築き上げたすべてを崩壊させてすら欲したもの。迷いはない。  彼女の微笑みを思い浮かべ――なぜか、心が痛み始めた。  まるで、切り刻まれたかのような殺傷感、幻覚でしかないはずのもの。  ――俺は、自らの胸を五指で抉りこんだ。  その時、俺の隣から遠く離れてしまった彼が窓越しに見える。  彼は、二人の少女に振り返りながらこちらに駆け寄り、微笑みを撒き散らせていた。  ――暖かい。  遠くから見てわかる。近くからならもっとわかるだろう。  光がないはずなのに、目を覆いたくなる幻覚を得てしまい、俺のいる此処が暗く思える。  ふと、隣を見た。  ――独り。  自分という孤立の中の自律で、自分しかいない孤独感に襲われる。それは既に他律干渉を受けていることだろうか。  ならば、その原因は?  孤独を孤独と思うためには、孤独以外の何かに身を置いた履歴があるはず。  ――思い当たる節はありすぎる。  彼の隣に居たこと。彼の隣に居て、彼という集団に関わっていたこと。そして―― 「真紀恵……」  触れた手、暖かかった。  触れない手、あまりにも冷たかった。  ――出来損ないの主人公。  触れていたい温もりがあった。触れたい温もりがあった。傲慢だが、両方の傍にいたかった。  彼を失うか、己の意思を失うか。  ――答えは決まった。傲慢な判断によって。  出来損ないの主人公に相応しい考え方だった。  そんな考え方で本当にいいのか――肯定。  後悔はないのか――あったとしても、そんなもの踏みにじってやる。  俺は蛾だろう、光を求めて飛び回る闇に汚れた存在。  それでも、守りたい存在がいた。その存在のために力を振るいたかった。  暗黒騎士――過大評価だが、そんな自分。  ある存在を守るためなら、それ以外のすべてを拒絶する存在。  輝く彼女、そして、彼女を輝かせる彼。  ――願わくば、一刻でも長くこの暖かさに触れられることを。この光の周りで飛びまわれることを。  世界から孤立した錯覚がした。  夢のような浮遊感の幻覚――心が浮ついた。  だが、それ以上にイラつく。 「ほら、向こうが崖だよぉ。今日は潮が引いてるけど、いつもだったらがば〜ってなってすごいんだろうねぇ♪」  ――このおっとり少女は、いつまで話し続けるつもりなのだろうか。  にこにことした笑みを浮かべて小首をかしげる様子に胸がときめかないわけではない。そこまで落ちぶれてはいない。  だが、状況が状況。疲れきった精神にはつらすぎる。 「風も気持ちよくって、ちょうどいい温度。最適かなぁ」  風など微塵も吹いていないが、外にいっていたこいつにはわかるのだろうか。  俺は心の中だけで咳払いし、爽やかな笑みの仮面を被る。 「僕としては、沖縄らしい温度を味わいたかったかも。これくらいの温度なら風宮でも味わえただろうしね」 「ふふふ♪ 伊里嶋君って、予想通りの人だねぇ」  適当にあしらいたいのだが、こいつは一言一言に絡んでくる。  ねばっこい、いい意味でいえばデレっぽい。  色っぽい仕草すべてが、性格を知ると冗談だと断言できるほどに。  屋上よりも高い眺めに、窓の存在を恨めしく思いながら、シャツの襟元をつまんで少しでも涼しさを味わう。  その一動作を眺めるこいつの目は、聖母か何かに思えた。 「伊里嶋君は、何で此処に?」 「強いていえば、過去の傷痕に興味がないから」  事実であった、過去に起こったことなんてくそくらえ。  こんな館であっても、記している情報は一部で、記している残酷さは一部だった。  記されないものは、果たして『無いもの』なのか。  否、例え記されないものであっても、それは存在する。 「伊里嶋君って冷た〜い。いつもそんな風なの?」 「……まあ、そうかな」 「嘘♪」  倒れるようにしな垂れかかってくる――美乃宮先輩。  その弾力に圧倒されるが、抱きとめたりはしない。ただ体勢を変えない程度に力を込める。  胸元に頬をつける美乃宮先輩は、目を閉じて呟いた。 「伊里嶋君……冷たいね。こんなに、冷たい」  いつの間にか合わせられた手と手。五指はしっかりとお互いを握りこんでいた。  俺は動揺もせずに、美乃宮先輩を見下ろす。 「先輩も、冷たいですよ」  冷えていた。  自分で自覚している自らの手よりも、美乃宮先輩の手は冷たかった。 「なら、私にとっては伊里嶋君は暖(あった)かいのかも」  小刻みに動き出す美乃宮先輩。  それは淫らかな誘惑ではなく、ただ暖かみを感じようとする純粋味のある行動だった。  体と体が擦れ合って変な気持ちになる気も、しないようなするような。 「なら、このままだと暖かくなれますね。僕も、先輩も」 「……そうかな」  ゆっくりと顔を上げる美乃宮先輩。  ――泣きそうだった。 「暖かくても、何にもわからなかったら寒いまま。だと思うよ?」  痛々しく微笑む美乃宮先輩。  だが、すぐにその顔を胸へと押し付けてくる。 「……やっぱり、僕は冷たいです」 「………………そっか」  静寂。どちらともなく声を出さない。  唐突に、美乃宮先輩を抱き寄せていた。  美乃宮先輩が、困ったように見上げてくる。 「そんなことしたら、余計に離れられなくなっちゃうかも。十二時の鐘が早く鳴らないかな?」 「……いつまでも一緒にいますよ、シンデレラ?」 「いつまでも一緒にいてくださいね、王子様? ――ふふっ♪」  自分で言った言葉に吹き出す美乃宮先輩。  僅かに赤く染まった顔が、今一度見上げてきた。 「シンデレラは、別の人を選んだりしないのかな? シンデレラは、王子様以外を選べなかったのかな?」 「――御伽噺を否定する人、初めて見ましたよ」  美乃宮先輩が拗ねたように口を尖らせた。 「シンデレラが王子と幸せになる。そういうテーマで創られた物語でしょう? 子供の見るものは単純なんですよ」  悪と正義のように、すべてが単純化されている物語。おもしろみもない。 「でも、シンデレラのことを普段から心配してる人だっていたかもしれない。 シンデレラは、王子以外の人に会っていたかもしれない。シンデレラのことを好きになった人は一人じゃない。 王子は、シンデレラ以外の全部を切り捨てちゃったんだよ?」 「……残酷な考え方しますね」  似ていた。  過去の自分は『なぜ魔女は対価を求めなかったのだろうか。実は、王子と幸せになった後に対価を求められたんじゃないのか。幸せは、永遠ではないのだから』などと考えていた。  今の自分はどうなのだろうか。 「シンデレラも、王子に思い続けていた人を全員切り捨てた。 何も知らずに。それって、本当にハッピーエンドなのかな? 全員が幸せなのかな?」 「……王子だけが、ハッピーエンドの紡ぎ手じゃない、と思います。王子とハッピーエンドになれなかった人は、別の幸せがあります」  もし、自分が彼に会わなかったら。  ここにいるという事実は、どんなエンドに向かっているのか。  ――王子だけがハッピーエンドじゃない。  本当にそう言いきれるのだろうか。  未来はわからない。誰にも知りえない。  だから、不安なのだ。王子以上とはいわずとも、別の幸せが本当にあるのか、と。  そして、自分が何なのかわからなくなる。 「……こんな考え方してるから、冷たいのかなぁ」  違うと言いたかった。  美乃宮先輩は、誰よりも暖かい。  だが、それは『真実』なのか。  本物と変わらぬ偽は、自分自身で体感している。  押しつぶされそうな不安は絶えない。  これが、美乃宮先輩の『真実』なのか。 「先輩……」  何も考えられずに、ただ抱きしめようとする。  だが、解き放たれたように美乃宮先輩が遠く遠くに弾かれた。  握りこんでいた五指、絶対に離れないと思っていた。すべてが浅はかだった。  暖かさが一転、吹き抜ける風に冷やされる。  風なんか吹いていない。だが、錯覚があった。幻覚があった。 「お昼の十二時。とりあえずは、お別れかな?」  美乃宮先輩が見上げる壁に、丸時計が埋められている。  その長針と短針は、一日に二度しか訪れないひと時を味わっていた。 「……ガラスの靴は置いていかないんですか?」 「残念。私、普通のシューズだから」  背中しか見えない。  先ほどまでとの距離感の違いに、思わず目眩がする。  押し付けられていた感覚。目の前にあった顔。自分が映っていた瞳。そのすべてが零れ落ちた――錯覚。 「やっぱり、伊里嶋君って暖かいよ。私が保証する♪」  振り返った美乃宮先輩、髪が美しく舞った。  一本一本が優雅に、すべてが纏まって尚優雅に、それはひとつの花のようで。  ――その中心にある、輝いているはずの表情は曇っていた。  涙が流れた跡が頬にあった。わずかだが、目が赤くなっていた。  一歩踏み出して、シャツの胸部分が濡れていることに気づく。 「伊里嶋君の言うとおり。少しだけど暖かくなった気がする、ありがとね」  両腕を己の背に隠し、前かがみになってそう言った美乃宮先輩。  すぐに顔を上げると、そのまま身を翻して駆けた。  少しも足音が響かないうちにエレベーター内で歩みを止める美乃宮先輩が、勢いに任せて振り返ってくる。  その笑みは美しく輝き、すべてを魅了していた。まさしく、宝石のように。  ――女神だ。  呆然と、そう思った。 「でもひとつ助言(アドバイス)。真実(トゥルー)か嘘(ダウト)かは、見極めてくださいね」  口調の変化に気づく。気づいただけだったが。  白百合が、今この瞬間に花開くかのような神秘感。錯覚のはずだ。 「暖まったのは、私だけじゃないよね? 暖かくなった分ってことだよ」  不思議な重力が訪れているかのように、ゆっくり、ゆっくりと美乃宮先輩の髪が舞っていた。  だが、そこに現実が挿入される。  まるで一輪の白百合を塗りつぶしたかのような、重みのある現実。  ――エレベーターはしっかりと作動しているようだ。  閉じてしまった扉を、まるでそこにあった何かを未だに見ているように見つめ続ける自分に気づく。  冷えていた。  独りになっていた。美乃宮先輩に会う前に考えていたことは何だっただろうかと頭を捻る。  だが、すぐに窓のほうへ寄ると、ひじを窓より手前にある下半身ほどの段差に置いた。  俺も馬鹿になったのだろうか、と思う。  打ち付けたくなった、自分のすべてを今一度荒い流したくなった。己を蝕む違和感。  抱きしめていた手、押し付けられていた胸板、穢れてはいないというのに洗いたくなる。  そう――自律できない苛立ちだった。  感情、本能、理性、そのすべてを『自分』の管理下におく。何者にも干渉されない人格、闇。  そしてふと思う。  シンデレラは誰だったのかと。  御伽噺どおりなら、シンデレラは『自分という格から逃れる奇蹟』のはず。  なら、それはこの場にいた誰に使われるべきなのか。  美乃宮先輩か。  または、自分か。  ガラスの靴はなかっ――いや、あった。  言葉だった。遺言だった。  言葉は知識であり、知識は好奇心の結果であり、好奇心は己である。  よって言葉は、己の一角とも言える。  美乃宮先輩の言葉は、美乃宮先輩の心の一部を表しているはず。  彼女の言葉のすべてを思い出す。消える記憶は嵐に飲まれる、消える記憶は闇穴に落ちる。  自慢の思考回路は狂うことを知らずに活動し続ける。すでに狂っているからだ。  焼ききれる感触を幻覚として得る瞬間、答えは弾きだされた。  漠然とした現実、滅びとはこのようなことを言うのか。 「美乃宮……先輩」  実感する。暖かかったのは自分なのだと。  だが、あえて思う。  ――あなたは、暖かい。  そして刻み込む。『計画(データ)』に。  ――美乃宮春花、危険度高。  自分よりも深い闇とはいえない。だが、それでも一輪の白百合で居続ける彼女。  長くはない――一刻でも長くと、自分らしくもなく願った。