CROSS!〜物語は交差する〜 水瀬愁 迷いとは、迷宮を迷走する心のことです ******************************************** 【タイトル】  CROSS!〜物語は交差する〜 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【サブタイトル】  ♯13[  迷  ](第14部分) 【ジャンル】  恋愛 【種別】  連載完結済[全127部分] 【本文文字数】  11274文字 【あらすじ】  舞台は現代風の孤島『風宮島』。主人公は季節を巡って愉快なヒロイン達との物語を築いていきます。一番の見所であるヒロインは、可愛さ溢れて10人以上!諸所に導入されているバトルロワイヤルも必見です。ほのぼので、ちょっぴりえっちなひと時を、味わってくださいね♪紡がれる、自分の心――届くことを、伝わることを願って――CROSS紡がれた、自分の心――届いた、伝わった、心――想い人との愛を育む力となることを願って――CROSS 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ 14.  「………………」  これは夢だろうか。  ただただ白い、何も描かれていない世界。  俺は朦朧とした、夢見心地な意識のまま、描かれる夢を待つ。  それは、無音。  音の無い夢は現実感もうすれる。  寄せては引き、寄せては引き……それを繰り返す波打ち際。  遠近感覚のぼやけた、蜃気楼をはるか先にみせる浜辺。  【俺】に駆け寄ってくるーー水の乙女。  彼女は、はしゃぐように顔を笑みで埋め尽くし、その笑みを【俺】に向けた。  彼女の動きと共に舞い上がる水しぶきすら、彼女の美しさを修飾するものと化す。  彼女は幼い子供のように手を【俺】に振る。  ゆっくりと口が、その桜色の唇が、開かれていき―― 『二度と、離れないから。二度と――あなたを裏切らないから』  彼女の瞳に映るのは、何かへの後悔と何かへの愛しさ。  何か、は別物。別物であって、同じ。  彼女の瞳に映るのは――狂おしいほどの愛。 『弟君から離れた私が馬鹿。おろかだった。弟君が暖かいから、余計に世界が冷たく思えて。もう、弟君がいないなんて――考えられないよ』  彼女の笑みは本物だった。  彼女の気持ちは本物だった。  なら、なんだろう。  何が――偽りなのだろうか。 『もう弟君しか……私にはないから』  気づいた。  CROSS!〜物語は交差する〜♯13[ 迷 ] 「……夜のくせに。にぎやかなことこの上ない」 「俺に文句言うなよ」  こっそりと耳打ちしてきた御劉から一歩離れる。  旅館の一室。通常なら四人部屋の和室と洋室が半分くらいで分けられた此処は、すでに定員を超していた。  その原因であるのは…… 「辛っ、辛い!? です〜!?」 「おいしい〜♪」 「旨いな……辛くなくてよかった」 「おいしいです……あ、祐夜さん。一口いりますか?」 「私のは上げないわよ? ――ん、おいしい♪」 「……よよよ〜辛いよ〜」  ……順に、優衣・春花・美夏・瑞樹・天宮・美姫。  女子男子比率が2:1という非常に肩身が狭い状況だ。  俺たち男子はベランダ方面へと押しやられている。  姦しい彼女らが畳へ広げているのは、大き目の箱に入ったお菓子だ。  二名が泣きそうになっている。その中の一名は泣いている。  俺は飲料水の入ったペットボトルを両手で掴み、それぞれの首元に押し当てた。  ビクッと震えつつも、文句も言わずにペットボトルを掻っ攫う二人。  ゴクゴクゴク……という音が響き、盛大に息を吐いた。  腰に手を当てた美姫は、俺へとペットボトルを突き出す。 「うまいっ、もう一本!」 「飲み干すの早いぞ……」  自慢げに鼻を鳴らす美姫。  美姫は手持ちの荷物から別の箱を取り出すと、ポンッとおいた。 「よぉし、次は【王様ゲームチョコっとな♪】をするぞ〜♪」 「沖縄と関係ないよな、なさすぎだよな」  思わず眉間を押さえてしまう。  口調を変えて盛り上がる美姫を押さえるが、するすると抜け出しては更なる高まりをみせる。  爆発していた。感情が垂れ流しになっていた。  そこで、自分の足元にあるものが……ワイン入りチョコ3ダース空だと気づく。  火照った顔のまま、美姫が掲げたのは箱から少し出された棒チョコ。 「赤いのが王様で〜それ以外には粒粒とかピーナッツとかホワイトとか苦味とかだからね〜えへへ〜♪」 「微妙に赤が怖いんだが、実は激辛じゃないだろうな?」 「はい、弟君からどうぞ♪」 「……無視か」  俺に擦り寄ってきた美姫は普段よりも熱い。  赤くなった頬、今にものぼせ上がりそうなテンション。  ――はやく押さえねぇと、本当にヤヴァイ気がする。  俺の背に汗が滲むのを感じながら、ちょっとでも穏便な方向へ美姫を導こうと努力を惜しまないことを心に決めた。 「祐夜、がんばってるねぇ」 「……そうだな」  心のこもらない御劉の答え。  泡盛という沖縄焼酎を啜る僕達は、完全にベランダへ身体を出している。  触らぬ神にたたりなし。未成年の僕たちが焼酎を飲んで良いのかは、お互いに不問ということにしているけど。  祐夜なら……どういうだろうか。  僕は、姦しい集団の中でもみくちゃにされている祐夜を盗み見る。  ――何だかんだいって、楽しそうだな。  優しい。それ以上の何かがあるのが、祐夜。  僕は焼酎を流し込む。 「……もう、二日も過ぎたんだね」 「二日がこんなに長いとは思いもしなかった」 「そうかい? ――僕は短かったかな」  あった事項の違い。  僕には僕という視点があり、御劉には御劉という視点がある。  その視点が交錯しなかった、それだけのこと。  ――御劉が遠くなったのだと、感じてしまう。  ……違うか。  僕自身が、僕から遠のいた。  今まで、理解できないものはないと思っていた。そして、御劉と出会ってふたつ理解できないものに遭遇した。  ひとつは、三井祐夜という存在。  彼の夢見るモノを知り、存在意義を知り、その具現を夢見て僕らは今も在る。  彼の夢は、僕らと同等であった。一度しか言わない彼だが、忘れたなどということはないはず。  雨の日、唐突な狂気の咆哮――僕が初めて恐怖を感じたあの日。  なぜの狂気。  なぜの咆哮。  すべては答えを持たず、あの日自体が抹消された。  ただ――彼の闇は深いことを知った。  あの日、何かを失ったのだろうか。  あの日、何かを傷つけたのだろうか。  あの日、何かを守れなかったのだろうか。  後悔と発狂の布石。知る必要はない。されど興味深い事象。  そしてもうひとつは最近あったこと。極最近、それゆえに時間のなさからか答えが導き出せない。  いや――元々解けないパズルなのかもしれない。  シンデレラは魔法という奇跡をもってして王子との時間を過ごした。お互いが想うからこそ、二人を繋ぐただひとつのモノが残った。  王子はシンデレラを想い、シンデレラは王子を想い――僕たちはそんな定義すらも満たさない喜劇を行っていたのだろう。  僕はただ困惑して、彼女は僕の予想できないことばかりを起こして。  それでも今までの関係を築けているのは――ただ、日常という型にしがみついていたいだけなのだろうか。  何もわからないから怖かった。  ひとつがわからない。だから全部がわからなくなる。  ひとつの疑問を引きずっているだけだともいえるが。 「――シンデレラは靴を残さない。つまり、王子は別だということ」  ならば、僕が気にしなくて良いのではないか。  王子は別にいる、王子の予想も一人に絞れている。なら、僕がすべきことは――ひとつのはずだ。 「……くそったれが」  くだらない状況分析。  まだ夏休みも始まっていないというのに、進展も終末もない。  動くべきときはまだまだある、こんな予想外で動じていては何が変えられる。  僕はさらにもう一本焼酎瓶を掴み取ると、並々とコップへ注ぐ。 「――ひとつ、おもしろい話をしてやる」  僕は傾けたコップを止めた。  音源を目だけで捉え、窺(うかがい)見る。  黒髪で目元を隠した御劉。コップの中身は一口も減っていない。 「とある……とある人間の恋愛話だ。ハッピーエンドかどうかは、わからないがな」  僕はコップから口を離し、顔を御劉へ向ける。   御劉は手元をぼおっと見つめ続け、唐突に口をひらいた。 「きっとこの主人公は――出来損ないなんだろうな」  ◆◆  今俺は頬杖をつきながら、窓の外に広がるコンクリートの平坦を眺めていた。  飛行機のエンジン音と生徒のざわめきが塗りつぶしあいをしていることを約一分の神経で確認しながら、隣に居る者の存在を忘れようと窓の外へ意識を投げ落としている。 「もうすこしで出発だね。私も初めてなんだよね〜、御劉君はどうなの? って、そういえば御劉君って呼ぶのもはじめてだね、いつも「君達」だったし。なんて呼んだら良いかな?」 「――別に、呼称にこだわってはいない」  俺には、隠しておきたい自らの感情がある。  それは、自分自身すら知ってはいけない禁句。禁断なのだ。  箱に閉じ込められたその感情。その存在すら芯に捉えてはいけない。  横目にその存在を感じかけ、自我からその存在を追い出す――そのデバックは終わりを見せない。 「ふ〜ん。じゃあ、御劉君でいいよね?」 「ああ……」  できるだけ隣に居る『彼女』を忘れるよう心がけ――ため息を吐いた。  それは己への失望。  俺には決意がある。『恩返し』の決意だ。  今の俺が在ること、そして与えられたものすべてへの感謝。【彼】への感謝。  そして、【彼】の意義への共鳴を奏でる――それはすべて己の意思だ。  そのはずなんだ。  よって、その【決意】の障害は除去しなければならない。 「御劉君は飛行機乗るのってはじめてなの? 私は初めてなんだよね〜。こういう時って、勝手にわくわくしてくると思わない?」  『彼女』は、多分俺の無愛想を気にせずに微笑んでいることだろう。  それを察してしまっては、俺が俺でなくなってしまう。  俺は俺自身を構成し――口を開いた。 「わくわく、などと言っていられる年も今だけかも知れんぞ。真紀恵?」  俺らしい返答。安心ではなく緊迫。俺の心に安らぎの文字はなかった。  そう、元々から――俺は余裕ではなかった。  俺は変わることにした、【彼】に出会ったとき。  そして変わった。俺自身の設定した『俺』に。  その設定に、何の狂いもない。  だが、俺自身が俺であるための設定――そして俺は気づいた。  【彼】を三井兄と呼び、優衣嬢を三井妹と呼び――そして、気づいた。  ――俺は、『彼女』を呼び捨てにしたいがために、この人格(ベルソナ)にしたのか……  腹立たしい。パンドラの箱が開きかけてから、己という殻の穴に気づくとは。  だが、いつまでも演じられるとは思わなかった。  人間とは、降り積もる何かを背負っている者だ。  それは怒りであり、友情であり、憎しみであり、迷いであり、恐怖であり――恋心であった。  今俺に降り積もっているものも、その一部だろう。  そして、それには限度がある。  積もること自体に危険はない。危険なのは、降り積もる何かが、淵を乗り越え流れていくことだ。  それを、人は爆発ともいう。  パンドラの箱を押さえつける、これは忍耐だ。  そして、その力もターンを過ぎる毎に打ち負かされていくことだろう。  前からわかっていた、だが――それを認めてどうなる。  認めたとして、それを伝えたいと思うようになるだろう。  言葉が、知識が、俺の背中を押すだろう。  だが、俺は知らなかった。【誰も傷つけずに済む言葉】を。  だから、この箱だけは開けてはならない。  傍観者としての自分を保たなければ、【彼】を主人公にしたこのシナリオに支障がでる。  いや、支障どころではない。破綻する、陥落する、崩れ去る。  パンドラの箱とは、絶対に開けてはならない不幸の結晶なのだ。  この波紋に、己の波紋が混ざれば――ただの混沌。  眠り姫を起こすのが王子であるように、一人なのだ。  例え、【彼】がどの眠り姫を起こすのかわからないのだとしても、俺は王子ではない。  こうやって嘆くキャラでもない。悲劇の主人公ではないのだ。それどころか、俺はまったくの無干渉であらなければならない。  頁に刻まれる異分子であるわけにはいかない。  ――俺はすべてを凍てつかせた。 「結構きついな〜、そんなこといってるから女の子が寄り付かないんだよ?」  『彼女』の声は、愉快そうに弾んでいる。  俺の視界に映る景色に変化が現れた。  俺自身の移動はない。飛行機が動き出したのだろう。  そのことを聴覚、視覚、触覚で知る。  『彼女』も静かになっていた。  突然のことに、少々戸惑いをおぼえる。  ただ、動き出すことに口を閉ざしたのなら構わない。  だが、気配の脈動におかしさがあった。  そう、例えれば緊張か何かに身を強張らせたものの気配に似た――  俺は、頬杖をついたままで顔を機内へと動かした。  みると、まるで小動物のように身をちぢ込ませた少女がシートベルトを強く強く握り締めていたのだ。  一瞬、記憶内の存在と照合してしまうが、こいつは本人だ。  古泉真紀恵――中学一年、【彼】の親友だった者。  今は、俺がその座を勝ち取っている。  だが、仲がいいことに変わりはないようだ。 「……」  俺は、真紀恵が俺の視線に気づいていないことを発見する。  すさまじい集中力だと少し退いてしまう。  機体の旋回で、揺れが僅かだが増した。  真紀恵の強張りがそれに比例しているのも新たな発見だ。  例えれば、嫌いなお化け屋敷に一人で入っていくかのような――  いや、その通りなのか。  まさかとは思うが、そうなのか。  俺の目の前にある状況が、仮定の実証性を格段に強める。  真紀恵の顔が見る見る青ざめていくのを目の当たりにしてしまった。  だが――真紀恵の視線は揺らがなかった。  恐いだろう、だが目を瞑ることはなかった。  ギシギシ――何かが音をたてて崩れていく。  周囲の音が消え、周囲が消え、俺と真紀恵だけになり、俺の意思はひとつとなり、それは一本の線となり――  いつの間にか、俺の手が真紀恵の手を掴んでいた。  冷たい。血の流れが行き届いていない。強く握り締めていたのだろう。  俺はその手に、己の片手を覆いかぶせていた。  真紀恵の目が丸くなり、俺を見る。  なんで――そうたずねていた。  答えられなかった。俺すら知らないことを答えられるはずがない。  俺は口を閉じたまま、握る手を強くする。  己の暖かさを分けるように。己の手に集中して。  真紀恵が身動きしようとするが、それと同時に轟音が響いた。  窓の外を振り返る――すさまじいスピードで変わっていく。  真紀恵は俺の手を両手で挟み、握り締めていた。  その目はしっかりと閉じられている。  やはり、恐かったのだ。  真紀恵は強がりだった。  すべてを背負い込み、そのままつぶれる。そんなタイプの人間――  俺は片手をそのままに、背もたれへと沈み込んだ。  視界を頭上へ、空いている片手で目を覆う。  ――何をしているんだ、俺は。  先ほどまで言い聞かせていたことは何だったのだろう。  パンドラの箱に隙間が入った。その結果もたらされた行動だ。  だが、いえることがひとつある。  ――悪くはない。  悪くはないが、悲しくなる。  寂しくもなる。  俺は――真紀恵を微笑ませるまではできないのだと。  【彼】なら、真紀恵を微笑ませることまでできただろう。  俺はやはり――出来損ないの主人公だ。  そして、実感する。  パンドラの箱は――開けるべきではないのだと。  ガタン、と機体が揺れる。   高度が幾分か下がったようで、弱無重力状態を数秒味わった。  握ってくる力が強くなる。  真紀恵の温もり。これは俺の与えた温もりなのか。  ――否。  俺は結局与えられているのだ。  俺ができることは、ただ後ろに立つだけ。  背中を押すことはできない、出来損ない。  中途半端だ。己を追及するが故に生まれる崩壊の予兆を、パンドラの箱が開くことを恐れているから。  凍てつくさなければならない。  輝弥までとは言わずとも、機械になれと思わなければならない。  すべての感情を処理でき、除去できる機械。  だが、そう思いながらも――真紀恵の温もりを貪る俺がいる。  矛盾、|円環の自問自答(ウロボロス)で生まれた迷宮にいる俺には決して解くことができない問題だ。  だが、どうにかしなければならない。  でなければ、すべてが混沌におちる。  俺は――強く握り返した。  ――そして俺たちは空へと飛び立った―― 「……」  いつの間にかシートベルト着用が解除されていたのだが、なにやら遠い前方が一際騒がしい。きっと【彼】らだろう。  できれば、俺もそちら側に座りたかったものだ。  前後の列はある程度のざわめきを持っているが、俺たちは違った。  まるで隔離されたかのような静寂、いや、すでに緊迫と呼んでいいだろう。  片手から送られる感触すらむず痒さしか伝えてこなかった。 「……えと、そろそろ離そうか?」  無理に微笑みを浮かべる真紀恵は、頬を赤くしてそう尋ねてきた。  俺は一時返答することを忘れてしまう。 「あ……ああ。そうだな」  掠れた声がでたことに、俺は一度口を閉ざした。  唾を何度か飲み込み、きっちりとした声で返答する。  ――らしくない。  緊張などというものは久しぶりだった。いや、ここまでの緊張ははじめてだろう。  俺は、真紀恵の手を握る力を弱めていく。  ゆっくり、ゆっくりと手と手の繋がりが解け、あとは手を開けばいいだけになる。  だが――それ以上動かなかった。  本能的に、手を離すことを拒絶している。  察していた、もう二度と手を繋ぐことはないだろうと。  だからだろうか。俺はあとすこし、あとすこしと、すがり付いていた。  だが、手と手が離れるのは速かった。  俺の意思ではなかった、真紀恵の意思で離れた。  真紀恵の想いは俺に向いていないことを知った。  そして、俺は独りになった。  独りの冷たさをひしと感じる。  今まで温もりに包まれていた片手に残る冷たさを貪っている自分が居た。  パンドラの箱。それは不幸の箱だ。  だが、俺はふと疑問に思う。  その箱に押し留めた想いは――不幸を呼ぶのかと。  俺の思考回路は機械的にその結末を予想する。  それはあまりにも、俺の甘えを断ち切る予想だった。  だが、それでも甘さがある。  それを理解していた。  【彼】なら俺の甘さを許してくれるのではないか――そんな甘え。  俺は幸せだ、それは深く理解している。想うことができるのだから。  だが、その先へいきたいという。想うだけではなく、傍にも居たいという、クズのような考えが俺となっていた。 「……あ〜、こういうのって割に合わないっていうか」  真紀恵は堅苦しい雰囲気に耐えかねたように体を崩した。  シートベルトをはずし、体をほぐすように動かす。  そのとき、ドリンクサービスがやってくる。 「えっと、オレンジジュースをひとつ。御劉君は――コーヒーかな?」 「同じものをひとつ」  俺は真紀恵への返答もせずに、そう注文する。  そうすることで、今までの自分を立て直そうとするかのように。 「……むぅ〜。優しいな、って見直した所なのに」 「そうか、そりゃ残念だ」  俺は剛での受け流しをする。  真紀恵は傷ついた風もなく、ため息を吐きながら苦笑いを浮かべていた。  そう――これが、俺なのだ。  傍観者として、俺が築きあげた『俺』はこういう存在だった。  黒幕は、主人公ではない。当たり前すぎる定義だ。  出来損ないの主人公ですらないのだ。  真紀恵は両手に持った紙コップのひとつを俺に差し出す。  俺は、表情を変えることなくそれを受け取った。  何度か中身を眺め、口に傾ける。  橙色の液体が口へ移り、酸味と甘味を感じ取る。 「――でもさ。御劉君って案外大胆だねぇ、あんなことするなんて思いもしなかったよ?」 「同感だ。俺すら予想外のことだった。お前にそんなことをする自分がいたことに驚きだよ」 「それってどういう意味……?」 「そのままの意味で受け取ってくれ」  嫌味のつもりだった。本心ではもっと別のことを言いたかった。だが、最善の発言をしたことに安心をおぼえる。  真紀恵はなぜかお腹を押さえて笑い始める。  こぼれそうになる紙コップを慌てて持ち直すと、眉を顰めている俺にごまかし笑いを浮かべた。 「御劉君も、結構この修学旅行楽しんでるんだな〜と思ってね♪」 「……楽しんでる?」  ――意味がわからない。  真紀恵はオレンジジュースにぶつぶつと文句を呟き、俺の疑問に気づいたようで言葉を繋げた。 「いつもさ、御劉君って私にはそういうの言わないんだよね。 まあ、そういう冗談とかいうのって祐夜さんくらいでしょ? だから、私にも言うくらいテンション上がってきてるんだな〜と思って♪」 「……悪かった」  失態だった、確かに真紀恵に冗談をいうことは少ない。  最近では、まったく言っていないほどだ。  それもすべてはパンドラの箱が原因なのだが、真紀恵もそこまでは考えていない。 「や、悪くなんて全然ないよ? ただ、そういうことを言ってくるのは親近感持たれてるようで嬉しいな〜って。 修学旅行なんだから、今までの自分なんて気にしないで楽しまないと♪」  ――思考回路が活動する。  真紀恵の言葉は、俺を揺さぶるのに最高の言葉だった。  修学旅行、秘めた想いや願いを言葉や行動にする季節。  このときだけは、違う自分に慣れる。  パンドラの箱にしまわれた想い――今という時は解き放っていいのだろうか。  俺はゆっくりと、心を静める。  鼓動が聞こえる――俺の鼓動だ。  何かが見える――俺自身だ。  俺に何ができるのか、俺が何をしたいのか、俺は――何に手を伸ばしているのか。  迷宮だった。知らない文字だらけの文章のような。大きさのあわないピースのような。  俺は迷っていた。何を、かはわからない。何かに迷っていた。  だが――それが何かわかった気がする。  俺は目を逸らしていた。しっかりと見れば、すぐにわかることだった。  知りたいと思わなければ、文字を理解して文章を読むことはできないだろう。興味がなければ、ピースは揃えられないだろう。  何を取りたいのか願わなければ――手を伸ばしても何も掴めない。 「――そうだな。楽しまないとな、最後の修学旅行だ、俺たちは中学のときから数えると二度目だが、このメンバーでくるのは最初で最後だろう」  俺は微笑んだ。  真紀恵は目を丸くする。 「御劉君、優しい目してるよ? おかしなもの食べた?」 「いや――変か?」  真紀恵は首を横に振り、にっこりと微笑む。  俺の胸が高鳴った気がする。 「変じゃないよ♪ なんか穏やかって感じで良いと思う」 「……そうか」  わけもなく安心し、わけもなく嬉しくなってしまう――理由はわかっていた。  だから戸惑わず、そのままで受け止める。  俺は傍観者になれなかった、俺は出来損ないであっても――主人公でありたかった。  眠り姫(ヒロイン)を目覚めさせるキスはなくとも、手を伸ばすことに迷いはなかった。  これが――決断。  伝えたい想いはある。だが、それはわからないままだ。  言うつもりはある、だが『彼女』を悲しませる結末だけは紡ぎたくない。  知識が足りなかった、経験が足りなかった――俺はまだまだ出来損ないだ。  だが、出来損ないにも意地がある。  ――俺の紡ぎたい結末を起こす、絶対に。  俺は誓いをたてた。  真紀恵の微笑みは、傍観者では得られない暖かみであった。  後悔など塗りつぶされる。  俺はそんな意図も込めて――できるだけ暖かい微笑みを真紀恵に向けた。  ――そのとき、気づいていなかったのだ。  俺の隣にいるのは真紀恵。席は三つ連続している。  ならば、真紀恵の隣は誰なのか。  元々後ろめたいことなどないというのに、誰にみられていたのであっても羞恥(しゅうち)を得たりはしないはずだというのに。  だが、それを知ったとき俺は罪を犯した錯覚を得た。  真紀恵の隣で気配を消し、俺の異動を傍観していたのは――宿敵ともいえる存在。  二ノ宮美奈。  セミショートの髪を豪快に揺らし、健康的なパワフル少女。  小柄で、俺と背があまり変わらないというのもあってか、お互いにライバル視している風見学園高等部三年生。  常日頃から殺の念を交錯しあっていたというのに――いや、交錯しあっていたからこそ、その変化を知ることができなかった。  その後、一日目の轟壕へ移動した俺は、ガイドの話を右から左へ聞き流しつつここで起こすべき企画を思案していた。  バスへの帰路。前に迫る気配を感じ、俺は足を止めたのだが――予想外の人が立っていた。 「……副会長、か。生徒会役員とあろう者が、脱獄などという行為に及んで良いのか?」  二ノ宮美奈そのひとは、俺の皮肉にも無言で佇んでいる。  俺の言葉が空を切り、美奈の策略が読めない以上、何もすることができない。  そう、思っていた矢先だ。  ――俺の唇に、それが覆いかぶさってきたのは。  一瞬だった。瞬く暇すらない、味わう暇すらない、一瞬の幻想。  だが、その幻想は現実味を帯びて確信へと変わる。  元々の観察眼、反射神経、理解速度。唇に残る感触、視界にフラッシュバックした映像。そのすべてから悟ったのは二文字のカタカナ。 「……あのね。飛行機での席、隣の隣だったんだよ。御劉」  ちゃんとしゃべるのははじめてかもしれない。   それでも、俺は言いたいことが多すぎて何もいえなかった。  先ほどと同じ場所にもどった美奈は、そう言っていつもとは異なる笑みを浮かべる。  切なく、寂しい笑み。  ――祐夜も、この表情を見たくないのだろうか。  でも、俺にはどうすることもできなかった。近寄ることも、抱きしめることさえ。  言葉でもないというのに、一歩が踏み出せない。 「――御劉のファーストキスだけは、ほしかったんだ。ごめんね」  無理やりな笑み。美奈らしくない笑み。  健康といえど白かった肌が、余計に白く感じれた。 「御劉は三井君と同じくらい鈍感で、間抜けで、素直じゃないけど……私は、そんな御劉が、ずっと好きだった」  精神の極端なパンク。  体がしゃがみこみそうになるのを抑えるのでやっとだった。 「御劉がほかの娘を好きなのはわかってる。けど――私が狙ってたんだ。ファーストキス」  美奈とはじめてであったときのことが走馬灯となる。  鬼ごっこだった。柄じゃないといっていた美奈を煽り、その気にさせ、追いかけっこを続けた。  俺と渡り歩けるということに嬉しさをおぼえ、それからも美奈とは関わりを持っていたのは事実。  それでも、ここまで――この事態を引き起こすまでの好感を得た理由は、なんだ。 「……御劉は、三井君と同じくらい優しいヤツだったから。それがわかっちゃうと、いろいろ感心しちゃってさ。 でも、これで鬼ごっこは終わり。私は君を捕まえた。やっと、君を捕まえることができた。 一年も経ってないけど――長かった気がする」  優しいと呼ばれる理由、今は思いつかない。  もう会えないというような、別れを惜しむ瞳。  何かを覚った。されど、悟りたくはなかった。  嘘だ――すべてを否定したい。 「急なんだけどさ。今、言うよ。 今くらいしかいえないだろうから」  美奈は口を閉ざす。  俺の瞳をまっすぐと捉え、戸惑いながらもしっかりとした口調でしゃべりはじめた。 「私、お姉ちゃんの結婚とかで――風宮島から離島することに、なったの」  頭の中が真っ白になる。  そして、何かが崩れるような――音を聞いた。  ◆◆ 「そいつは出来損ないだった。だから、告げられたとき――何をすればいいのかわからず、何もしないという選択をしてしまった」  僕の手が御劉の視界をふさぐ。  それでも無反応。僕は御劉から手を離した。  御劉の口がぶつぶつと呟くようにしゃべりはじめる。 「祐夜が、やつの意義が、とても遠いものに思えて、それでも祐夜の意義に近づきたくて、そうすれば何も傷つけなくてすむと思って、それでも――出来損ないだった」 「……祐夜は祐夜、そいつはそいつだ」  僕はコップを傾ける。  いつのまにか飲み干していたことに気づいた。  余計にのどが渇くのを堪え、口を開く。 「祐夜と同じ道を歩むというなら、祐夜が耐えてきたことに耐えなくちゃならない。 その上で、祐夜のように考えなくちゃならない。それだけじゃなくて、行動もしなくちゃならない。 難しい道だよ、祐夜はその道を突き進もうとしている。それだけの意思を持っている。それだけの意義と、誓いと、約束と、意志を持っている」 「………………」 「だから、余計に――」  僕は御劉へ微笑みかけた。  意地悪そうに、『向けるのは御劉だけではなく』 「僕たちが祐夜の隣で、その道を歩むというなら。余計に、僕たちが潰れるわけにはいかない。そうだろう?」 「………………」  口を閉ざし続ける御劉。  そして、会話が終わったのだと知った。  僕はコップを傾け、中身がなくなっていることに気づく。  僕はそのまま、空を仰ぎ見た。  ――明日か。  明日でこの夢も終わる。明日でこの夢は醒める。  その前にしなければいけないことがある。伝えなくちゃいけないことがある。  それはなんだろうか。  何をすべきなのか、何を伝えるべきなのか――そもそも、僕になにができるのか。  考えるのは得意のはずなのに、時間もあるというのに、解けない。  元々答えはないのだろうか。  それでも、祐夜はこのような状況下で答えを導き出してきた。  そう、三流映画のような喜劇を紡いできた。全員がハッピーエンド。自分以外のすべてが。  それが祐夜の存在意義。自分は死んでもいいといっていたあの日。  周りにいる姦しい人たちを傷つけたら、コロスといわれた。  それはまっすぐとしていて、曇り一つない純粋な悪の狂気。  ――ママゴトですべきこと。  僕は、呆然と考え始めた。