【タイトル】  よく、できました。 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  恋愛 【種別】  短編小説 【本文文字数】  2567文字 【あらすじ】  雨が降り出した。お母さんが、あらこれはすぐにやみそうじゃないわねと言う。雨はうっとうしい。きっとあのひともそうおもうだろう。大切ないそがいせんせーのことが思い浮かぶ。そんなときに必須なのは、傘だ。朝には雨が降っていなかったことと登校のために玄関から出たときのせんせーは傘を持っていなかったことを思い出して、不安になる。私は、迷うことなくいそがいせんせーの家へと行くためにドアノブを回した。――肌に纏わりつく雨粒のごときベタ・ショートストーリー♪ 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ 「お」  授業を受ける最中、その音を聞いて俺は窓の外に目を向けた。  ぽつぽつどころではなく、弾幕のごとく地に集中射撃される、まさに豪雨な天気模様だ。気にならない程度に五月蝿い雨音を引き裂いて、時たま雷鳴が轟く。  予想外の雨。カバンに常備している折り畳み傘を思い浮かべ、初期レベルの勇者が最強の魔王に立ち向かうというRPGを連想させられる。あまりにも無力。魔王(この雨)の前では、気休めにもならない勇者(折り畳み傘)  今の授業が終われば、帰宅の時間である。腕時計をちら見し、カウントダウンするのにもってこいな残り時間であることを確認する。  そして、頬杖を突いた。  ……図書館にでも、寄ることにしましょうか。  自主的に勉学に励んでいるうちに去っていってくれるだろうという打算。少なくとも、無力な勇者で魔王に挑戦するようなチャレンジ精神は持ち合わせていない。  スケジュールを急遽組み立てて、よしと授業に目を戻したそのとき、 「……ん?」  教卓の前に立っていた老教師(クソ長いとしか言い様の無い授業をすることで有名。小論文で習うことを教えてやりたいくらい、クソ長いのである)が、廊下からのお呼び出しに気づいて言葉を止めた。  なんだろう。俺含むクラスメイトらと、呼ばれたその老教師とが、同じ方へと目を向ける。  五分の一ほど開けられているドア。そこから老教師を呼ぶその手は、べつに怪談的なものではない。手は、ドアの擦り硝子に浮かんでいるシルエットへと繋がっていると見ていい。見覚えのあるような、ないような。そんな気がする呼び手の方へと、老教師が訝しげに眉を顰めておそるおそる歩み寄っていく。  俺たちには聴こえない小声を一言二言交わした後、老教師がぐるりと教室内を見回した。  ぐるりと……そう、ぐるりと。ぐるりぐるりと見渡していって――  俺で、止まった。 「磯谷。お前に、客だ」  客。そんなもの在り得なくて、俺はへっ? とすっとんきょんな声をあげる。  入学して直ぐに、説明を受けているのだ『生徒以外の部外者は、基本、学校内に立ち入ることはできない。物の受け渡しの場合は、教員を介して行われる』基本を破っていいのはオープンスクールか何かの場合くらい。故に、ただ授業がある今日という内には、思い当たる節など毛頭無い。  客。一体誰だ。緊張をおぼえながら、イスから腰を上げる。  老教師の脇で一度止まり、ドアに手をかけて。背中にブスブスと突き刺さる視線と小声のざわめきを気にしつつ、  ゆっくりと、ドアを開いた。  すると、どうしたことか。 「……いそがい、せんせー」  よれよれになったワンピース。そこから伸びる両腕にも雨の大粒をたくさんつけて、一本の傘を大事そうに抱えている少女。 「心愛、ちゃん?」  ……彼女は、俺の家の隣に住む小学生だ。  母親同士の仲が案外良く、頻繁に夕食を共にしたりと交流は多い。  俺達の方もまんざらではなく、また、現役高校生の俺が彼女の家庭教師を受け持っている(母親達によって勝手に決められたんだが)こともあって打ち解けてはいる。  といっても同年代ではないからか、話題らしい話題に盛り上がれることは少ない。ジャレる彼女とストッパーな俺、というある種腐れ縁な関係性があるのみだが、それ以上を求める気もないし求める必要性も見当たらない。お菓子をねだられることが多くて駄々をこねられるのが常であっても、それが彼女の可愛さだと思って許容できているし、つまり俺は今の状態に満足しているわけだ。  なんで来たの、というのは愚問だろう。尋ねるべき"なんで"は別にあるが、それを訊くには躊躇があった。 「いそがいママに聞いたの……いそがいせんせーが傘持ってってないって…………だからわたし、せんせーをおたすけしようと思って…………」  代わり、彼女が両手を――その両手に握られた傘を、俺に突き出してきた。  おそるおそる、受け取る。彼女の手に付く雨粒に触れて、チクッと冷たさが走った。  息が詰まる気持ちだ。口を開けば、彼女を咎めてしまいそう。怖くて怖くて、深い青をした傘をじっと見つめる。 「いつもわがまま言ったり、すぐ泣いたりしてしまって、ごめんなさい」  胸を突く、悲しげな言葉。俺は思わず顔を上げる。 「いつも――叱らないでいてくれて、ありがとう」  そんなふいを狙ったかのようだった。  満面の笑顔。雨に濡れて、疲弊しているだろうに、彼女は一生懸命笑っていた。 「いっぱい、感謝。だから、お礼しなくちゃ、ならないの。私が、そうしたいの」  彼女の荒い息。熱っぽいのか、うなされているのが丸解りだ。  しかし、彼女はそれを隠しているつもりで、ぎこちなく優しい微笑を作っている。  普段の俺は、彼女にはそんな風に見えていたのだろうか。  適当にあしらっているつもりだった。大切かどうかなんて、全く考えたことがなかった。  そんな俺の仕草ひとつに、彼女は何か重い荷物を背負っていったのか。恩返ししなければならないと、考えたのか。  なんて、馬鹿な子なんだろう。 「わかりました。兎に角、保健室に行きましょうか。雨を拭き取らないと、風邪を引いてしまいます」 「あ……」  言われてから気づいたのだろうか。まぁ、傘を持って来ることしか考えられなかったから頭の先までずぼ濡れなのだろうけど。  手を握って、連れ往く。 「行きましょう」  雨が降り出したことに気づいて、俺のことを心配して、俺や母の話で聞いたことしかない道を雨に打たれてつらい気持ちになりながら進んで、覚悟を胸に秘めてここまで来てくれた心愛ちゃん。  一息吐く暇ができたら、学校前にある自動販売機でホットコーヒーを買ってあげることとしよう。彼女は極甘でないと駄目なので、いちいち砂糖を加えてあげるのはもちろんのこと。  その後にでも、さりげなく、言えればいい。  ――よく、できました。  お菓子をねだられることが多くて駄々をこねられるのが常であっても、  それが彼女の可愛さだとは重々承知している。  俺は、たぶん彼女よりも、今の状態をかけがえのないものと思っている。  満たされて、安心させられて、家族と同じほどに失えない。  ジャレる彼女とストッパーな俺、  俺が彼女の隣を陣取れる関係性だなんて、最高なのではないだろうか。  失いたくない。今はまだ、そう思う。  彼女が変わり、俺が変わる、その日まで――たぶんずっと、想うことでしょう。 <end>