【タイトル】  さよならしたくはなかった 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  恋愛 【種別】  短編小説 【本文文字数】  14496文字 【あらすじ】  季節が巡った。新学期がやって来た。その出会いは、全8クラス中1クラスの"運命"だった。そう、少なくとも僕にとっては。美が付くというわけでもなく、スポットライトから外れた目立たない隅っこにいる物静かで大人びた少女。僕の目は彼女しか追わなかった。機会があれば話しかけ、気に入ってもらえるように全力で接し、僕は彼女に近づいた。もうほんのちょっと手を伸ばせば届くほどの距離に、彼女の肩がある。それが体温でわかる。聞こえる鼓動や、吐息でもわかる。冬を終わらせ春を始める――彼女のぬくもりは雪を溶かすくらい、僕を芯から熱らせた。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************ 01  校門が見えてくると、中の騒がしさが僕のところまで伝わってきた。校門を入ったすぐのところでクラス分けの紙が配られていて、皆それを見て誰と一緒になった誰と別々になったと一喜一憂しているのだ。僕もその紙を貰って、じっくりと辺りを見回す。  皆が皆、始業式の今日に相応しいテンションだ。そう客観的に判断するくらいに醒めている僕だが、別にムッツリというわけではない。昨日遅くまでゲームをしていたから、ただ単に眠いのだ。  そう、とても眠い。文系理系に分かれていて、僕は理系であるというのに、わざわざクラス表の文系側から自分の名を探してしまうほどに。  ああそうだっら僕は理系を選択したんだったな馬鹿なことしたな時間食ったなー、と僕が反省しているとき。  僕の横をゆるやかに通りすぎる彼女。  ぎりぎり視界の隅に入った、春のように暖かい琥珀色の髪。僕はそれに魅了されてしまった。  振り向いた後に見た、凛とした背中。彼女が過ぎた途中にできた温かな陽だまり。  僕は目が眩んだ。  新学期の初日は、始業式とロングホームルームが定番であるが。  僕の通うこの学校では、新入生歓迎会とクラブ勧誘会も後に続く。全部に出れば奈々次元までかかるのは必至、新入生や部所属学生は大変だ。  といっても、帰宅部であれば楽というわけでもない。新入生では校内見学の時限も設けられており(勿論のことだが強制参加だ)、在校生でも一部は入学式場の片付けが割り当てられる。  つまり、なんらかの部に所属していて生徒会役員もしており、そのうえ片付けの割り当ても受けた在校生がいたとしたら、自らの人生のミステイクと痛感してもおかしくないわけだ。しかしさすがに、そこまで運が悪いケースは稀だ。同様に、歓迎も勧誘も片付けもしなくていい幸運も希少だ。  ある程度、幸運も不運もバラける。別の言い方をすれば、一つ幸運なことがあれば、悪い事が一つ起きる。帰宅部な在校生が片付けを割り当てられる、という具合に。  もしその通りだったなら、僕は世界中の不運を背負わなければならない――幸運すぎて。  おそるおそる、隣を盗み見る。怜悧な横顔が、前だけを向いていた。  当然だ。この場は教室で、先生がしゃべっているのだから。  でも、その当然たる事が容易ではない。現に、僕の背中が幾人かのひそひそ声を傍受している。このクラスの基準でいえば、隣人は相当の怜悧と言える。  僕は、意味も無くもっているシャーペンを指先だけで回した。ズボンの布が妙に引っ張られているので、少しだけ腰を浮かせて座り方を正す。しかし、イスが元々不安定なため、あまり意味はなかった。  机イスの一セットは一年時のものがランダムに支給されたのだが、いろいろと悪い。落書きがあるだけでなく、(コンパスの針でも使ったのか)穴が空いていたり。イスの四脚にいたっては、中間くらいで歪曲している。鉄製なのに、一体全体どういう風に用いたんだ。前の持ち主がとてもゴウカイさん、むしろ不良だとわかった。けど、机の落書きはクマかネコの可愛らしいお姿を描いている。とても女子生徒っぽい。何がどういうことか、よくわからない。  そんな無駄なことを考えているうちに、先生の話が終わった。しかしこの時限には他に一つ、イベントが詰め込まれている。  なんと言い表せばいいのか、僕は妥当なタイトルを知らないが、簡潔にまとめれば【クラス全員が自己紹介していく会】となる。  知らない顔の生徒が端から順に立ち上がり、名前を言う。四十数個、この日の内に半分も憶えることができたら奇跡だ。補足しておけば、僕の身にそんな奇跡は、起きたためしがない。なので今全部を聞き遂げることは無意味。序盤三つ以降は軽く聞き逃した。  だが、隣席の番になって、意識は再び聴覚に集中。拾うべき音を限定、雑音は意識的に除外する。 「十夜麗夜(とおや・れいや)です。よろしくお願いします」  と、透き通るソプラノの声。  好きな物の一つでも言ってくれれば幸いだったのだが、それは叶わず。  そして僕は、入手したてほやほやの情報(なまえ)を心の中で何度も反響させる。  十夜麗夜。いや、十夜さん。 02 「一時限目は、理科か」  登校し、カバンを自席の脇に置く。おもむろにつぶやいてみて、その"理科"という単語に引っかかりを憶えた。  なんだろう。実は"物理"だったか?  "生物"の可能性も捨てきれない。……いや、そんなの些細な問題でしかない。ってかむしろ問題じゃない。じゃあ一体何だったか。 「あの、戎崎くん」 「え?」  そう悩んでいたとき、もっと早くに来ていた十夜さんが僕、戎崎宮鄙を呼ぶ。 「どうかしましたか、と、十夜さん」  内心、もう目眩モノである。朝っぱらから十夜さんに話しかけてもらえた幸せで。  平静を装って返事したら、十夜さんは微笑するでも無表情を取り繕うでもなく、いる。当然だ。別段、僕と十夜さんは近い距離じゃない、といってもクラスメイトという距離がある。親しげに微笑んでもらえる距離感でも、無関心にされる距離感でもない。 「さっきね、先生にこれ渡されたの。昼休みに、役員の集まりがあるんだって」 「ああ、うん。そうですか」  十夜さんの差し出したその紙に目を通す、フリをする。  ――彼女と同じ役員になる、勇気がない僕にはそんな努力しかできない。でもその努力が実を結んだおかげで、ありふれてる幸せを味わえる。 「一つお尋ねしたいのですが、今日の一時限目は何かありましたか?」 「今日? ええっと、宿題があるわ。ページ31から32の、練習問題」  失念していた事を聞きだせた結果に、良かったと思う反面、絶望もする。  そんな僕の気持ちが顔に出ていたのだろう、十夜さんは自分の席に戻った後、僕に大学ノートを差し出す。 「急がなくちゃね」 「はい」  彼女と同じ役員になった幸せ、痛感。間接的ながらも二度目。  隣席であっても僕から会話を始める勇気はないから。 「ねぇねぇみひみひー」  コツコツとノート模写の作業に専念していると、"お隣さん"がやって来た。  意味は二つ。一つ目は、クラスが隣同士であるということ。二つ目は、家が隣同士であるということ。そう称する理由は十指では到底数え切れないので、負の感情がある故だと曖昧に言い表しておく。  だが、別に毛嫌いしているわけでもない。疲れるから時と場合によってはつらいだけなのだ。  今はまだまだ早朝。よって、相手してやることにする。 「みひみひゆうなっ」  顔をあげた。こちらを覗き込もうとしていた"お隣さん"、滝沢美希子(たきざわ・みきこ)とバッタリ目が合った。 「キスしてるって、見えそう」 「そう思うなら距離を置いてください。むしろ、僕が離れます」  イスを引き、背もたれに身を寄せる。僕と対面するように、膝を曲げてしゃがみ、両手の指と顎を机の端に乗せていた彼女。  そのままの姿勢で僕を見れば、小動物系目線による必殺技"上目遣い"が完成する。 「べつに、僕は痛くも痒くもありませんよ」 「あ、やっぱり? みひみひはバリア張ってるもんねー」  みひみひゆうなっ、二度目は心だけで呟く。ループの一端を担えば、彼女の思うツボだ。 「ほむ、それでさ。今日の一時限目って、何かあった?」 「確かあなたのクラスは、体育でしたね。僕はここのクラスに来るときに、あなたのクラスを横切ったのですが、誰も体操服を着ていませんでした」  なんで他のクラスの時間割を把握してしまっているのか、自分が悲しい。 「――となれば、一時限目は体育館で説明会でもするのでしょう。ちなみに、僕が受けた前の体育では、今年度の種目決定をしました」 「ほむほむ。それで、種目は何があったの?」 「ハードルとジャベリック・スローです」 「よっしゃぁ!」  美希子はガッツポーズの姿勢を取る。喜んでいるのではない、気合を入れているのだ。なんでそんなことが僕に解るかといえば、良くも悪くも途絶えない腐れ縁のおかげ。  まあ、同じクラスにならないだけマシか。 「元気ですね。ですが、低血圧に苦しむ方もいらっしゃるので、抑制という言葉を覚えるべきです」 「よくせい? 抑え制するね、わかった!」  返事はいいが、それは"憶える"だ。 「……用はそれだけですか? なら、僕はやるべき事があるのでこれで」 「そんなわけないでしょ。もっといろいろネタ考えてきてんだから、漫才しなさいよ」やっぱ僕を疲労させる魂胆かよ。 「では良い事を教えてあげましょう。あなたに時間は残されていないという、事実です」  キーンコーンカーンコーン……  首を傾げる彼女。同時に、チャイム音が響く。授業始まりのチャイムだ。 「体操服を着ている人をあなたのクラスで見かけなかったのは、説明会会場が更衣室にとても近いからです。説明会であっても、体育は相応の服に着替えなくてはなりませんよ」 「なぬっ!?」  偶然ながら、"時間は残されていない"の二段重ねの完成。  彼女が全力疾走で退室するのを見届ける。そして僕は、平穏の朝を取り戻し――てない、か。一時限まで残り僅か、僕も決死の覚悟で模写を遂行せねばならない。  朝はバタバタしたものの、午前中の授業も滞りなく終了。  そして、昼休み。  ひとり学生食堂に向かった。目的は昼食だ。  『Aランチ』を受け取った所で、金髪碧眼の少女――にしか見えない少年と会った。 「そちらも、今からですか。ではご一緒しませんか」 「おう。断る理由もない」  少年、椛森勇矢(もみじもり・ゆうや)は短く答えた。乱暴な口調だが、それくらいしないと性別が危うくなる。男子指定の制服を着ていても彼はボーイッシュな美少女に見えてしまうから、神様の偏った一物の与え方は恐ろしい。  僕らは、共に空きテーブルへ向かう。がその途中、僕は十夜さんを見つけた。  友達と向かい合うでもなく、テーブルについている。そんな彼女の雰囲気が手には自販機で買ったのであろう缶ジュース。  雰囲気は、重いというわけではないが、明るいわけでもない。そうだからか、周りには誰も着席していない。つまり、一つのテーブルが独占されているわけだ。  ということは当然、空き席が点在しているというわけで。 「十夜さん。同席させていただけますか?」  別にレストランではないのだから、聞く必要はない。けれど僕は、彼女に了承を求めた。  ちびちびと缶ジュースの中身を口に運んでいた彼女は、軽く頷く。そして、お盆を持つために両手が塞がっている僕たちのために、イスを引いてくれる。  僕は彼女の隣へ。勇矢は僕と対面する位置に。 「十夜さんは、去年から学食だったのですか?」 「いえ、私はいつもお弁当持ちなんです。今日は母の都合により、持って来れなくて」お母上様。この幸運をくださってありがとうございます。 「しかし、ジュースだけというのはいかんな。金が無いのなら、戎崎が貸すぞ?」僕かよ。  優男の面をして堂々と人任せにした勇矢は兎も角、貸すことはできる。僕が頷くと、彼女は首を振った。 「いえ。あまり、食欲がないんです」  そう言う十夜さんは、笑顔が作り物であるのが丸出しだ。悪い意味ではなく――いや、悪い意味か。しんどいのを押し隠すような、そんな淡い笑みなのだから。  ジュースを飲み終えたのか、その言葉の次には彼女は立ち上がった。  僕は彼女を見上げる。  ――いつもより少し顔が白くなっていて、唇が青ざめている。 「保健室に行きますか?」 「ううん。……大丈夫、です」  咄嗟に僕はイスから立ち上がり、彼女の肩を支えた。彼女は座っているし、イスには背もたれがある。支える必要なんて無い。けれど、僕にはそうすることしか思いつかなかった。 「何か変だな。体調でも悪いのかな?」 「保健室で休んでもらえれば、幸いなのですが」  僕は座りなおす。そして疑問系の言葉に溜息混じりで返答した。  すると勇矢は、僕をじっと見つめて言った。 「青春だな」 「……」  さて、言い訳はすべきだろうか。でももう手遅れだろうな。 03  素朴で味気ない、かけがえの日々を歩く中。  ふと"きっかけ"に出遭うことがある。"告白イベント"などとも言われるか。と言っても、ドラマでも使い古された"定番"なのだけれども。  僕の身には起こらないこと、そう思っていた。背中を押されることはない、自分の手で切り開くしかない、そう思っていた。  それに、まだまだ早いと気弱にもなっていた。  だから――。  まさか"告白イベント"が僕を誘惑してくるなんて、思いもしなかった。  午後の体育授業。 「よっしゃぁ!」  運動場で、美希子の叫び声が木霊する。特に隣にいた僕には強烈。耳がとても痛む。 「子供みたいな元気の良さですね」周りからドレインしているのだろうか。 「おう! 体育祭のためだけに生きてます!」その存在意義は悲しいぞ。と、そのとき。  いっちにーいっちにー、という掛け声が聞こえて、僕は辺りを見回した。今日は体育祭のための自由練習、汗を滲ませた生徒でぐちゃぐちゃしている。  だが、勇矢はすぐに見つけることができた。運動場の辺を、ぐるぐる、ぐるぐると走っているらしい。……僕の記憶が正しければ、勇矢は短距離走の出場のみだったはずだが。 「ま、いっか。――勇矢っ!」  たった一人なのが可哀想に思え、僕も同伴してやることにする。手を振って呼びかけ、隣に行く僕。  彼は人当たりのいい笑みを浮かべて、歓迎してくれた。 「道は険しいぞ、戎崎よ」 「どこまでも付いていきます、先輩っ」会話もちょっとコメディ調。彼はまだまだ余裕なようだ。  しかし僕の悪い癖、というか恋煩いという病気が発作を起こす。目は自然と、十夜さんを探す。  運動場入口辺りを駆けて、見つけた。  左胸に五指をぐいぐい食い込ませ、顔を青白くしている彼女。  彼女は先生に支えられて、僕が駆ける脇を通って退出する。僕は足を止め、振り返った。  視界には彼女の背中と先生の背中とがある。いや、僕の目には彼女の背中しか見えない。  ――そして、彼女の背中すら見えなくなる。  残滓は陽だまりではない。僕の心に影を差す、不安という名の悪魔だ。 「戎崎」  呼ばれて意識を取り戻せば、目の前にとても可愛らしい顔があって吃驚する。  だが慌てて、平静を取り繕う。なんたって、相手は勇矢なのだ。ドキッとしたのが知れれば、彼の心の琴線に触れて(むしろ抱きつく勢い)僕のライフが散ってしまう。  その事態は避けねばならない、なんたって今日は体育祭当日なのだから。 「大丈夫か? 体調悪いんなら、保健室行って来いよ」 「あ、いや、全然へい――いてぇっ!?」  心配した勇矢が提案する。即座に断ろうとした僕だが、途中で太ももを抓られてしまう。  しかも、超強力。僕は大分悶える。 「大丈夫か? 体調悪いんなら、保健室行って来・い・よ」 「何がしたいんだ……」  勇矢くんのヒントターイム。逸らした視線の先を見よ。  と、彼の行動を推測して僕は横を見る。  体育祭なのだから当然だが、僕らがいるのは運動場に儲けられた生徒用観客席。席、なんて大それたものですらないか。体育座り推奨らしいが、胡坐のかけない女子ですらそんな規則は守らない。まぁ当たり前か。  今は、他学年の競技しかやっていないはずだが、皆の応援っぷりは凄い。そんなに自分の色に勝ってほしいのだろうか。ってか美希子、声による衝撃波攻撃はやめなさい。他色の選手は勿論、こちらの色の選手すら吹っ飛んでます。あ、美希子の顔が『おかしい。広範囲攻撃は、味方にノーダメージのはず』という顔になりました。ゲームのしすぎですとツッコミを入れるべきか。  勇矢の睨みつけが、そろそろプレッシャーになってきた。僕は腹積もりを決める。 「ちょっと行ってくるよ。大分戻らないかもしれない」 「おう、十分休んで来い」  僕はもう一度、横を見た。このクラスの生徒用観客席は、全員が揃っているはずだ。しかし、たった一つだけ空席がある。  そこには、体育祭の熱気なんて入り込まない。当たり前だ。だって、始まってから今まで誰もそこに居座らないのだから。  保健室に行けば、すぐに彼女は見つかった。 「十夜さん」  丸イスに腰かけている彼女、僕からは背中しか見えない。だが呼びかけると、首だけ回して振り向いてくれた。 「戎崎くん。……どうしたの、怪我でもしたの?」 「え、いや、その」 「困ったなぁ。先生、今さっき出て行ったばかりなのよ」  そういえば、ここに来るまでに白衣を着た先生とすれ違ったような。  怪我人は来ていないみたいだ。今回の体育祭は運が良かったのか、生徒達がしっかり者ばかりなのか。  つまり、今この部屋には僕と十夜さんのふたりきり。 「僕は、怪我なんてしていないです。ただ、十夜さんのことが心配で来てしまいました」 「え……そ、そっか。それはそれで、困るなぁ」  僕の一言で、彼女が複雑な気持ちになったことは認めよう。けれどできれば、困るなんてショックな言い方はしてほしくなかった。  ああ神様、僕は挫けてしまいそうです。 「あ、それじゃその、私をベッドまで運んでくれるかな。ちょっとつらいから、寝たいの」 「お安い御用です」  腕力に自信が無いのでちょっと不安だが、それは杞憂だった。  彼女をお姫様だっこすると、力なんか入れずともふわりと持ち上がった。軽い。力を入れていたら彼女が砕け散ってしまっていたかもしれないと、僕に思わせるほど。  一番隅にあるベッドへ、彼女を運ぶ。ゆっくり下ろすと、彼女は長く息を吐いてベッドに身を沈めた。  ずいぶん疲弊している。僕の胸が、キュウッと収縮する。 「ごめんね」 「いいえ」 「戎崎くんは、良いの? 皆、盛り上がってるよ」  このベッドは窓に近い。窓越しには、体育祭の様子を見ることができる。僕のちょっとした計らいだ。でも、十夜さんの細められた目を見ると、失敗だったかとそわそわさせられる。 「良いですよ」 「そういうのって、駄目だと思うわ。高校での体育祭は三回しかないのだから、一つも無駄にしちゃだめよ」 「僕は使命を帯びて、ここに来ましたから。自分の思い出は、どこかで挽回しますよ」  十夜さんが僕の方に向いた。ドキリとするくらい、透き通っていて綺麗な瞳。彼女の見ている僕の目なんて、全然宝石ではないだろう。 「……戎崎くんは、良いね。私、羨ましいよ。だって戎崎くんは、私の知らない楽しいっていう気持ちに、溢れてる」  十夜さんの言葉は、僕の胸を突き刺す刃だったかもしれない。けれど、自然と痛みは感じなかった。 「そう言われましてもね」  十夜さんがどこか遠くを見つめている。僕は彼女のその瞳を見つめている。 「第一、僕を満たす楽しい気持ちというのがあるとすれば、あなたはそれに大分貢献していらっしゃいますよ」 「え?」  彼女の目が、ようやく僕に焦点を合わせた。  だって、と僕は言葉を繋ぐ。 「美希子さんのようにテンションが馬鹿高いのも、勇矢と汗の青春を突き進むのも結構ですけどね。どちらかといえばあなたと居る、静かに談笑の花を咲かす時間のほうが僕には大切です」下心二割。ほとんど本音だ。  かけがえのないという気持ち。伝わってくれればいいと思う。 「羨ましいとおっしゃられた僕の世界ですが、すでにあなたはそこに組み込まれていますよ。対し僕はあなたの世界を全然知りませんから、興味を持つべきは僕の側ではないでしょうか」 「……戎崎くんは、私の事が知りたいの?」  ニヤリと、小悪魔みたいに彼女は笑った。僕が言外に伝えたかった事が、伝わったのかもしれない。しかしどうやら、彼女は僕の言い直しをお望みのようだ。  僕は迷う。これはあれだ、ドラマやギャルゲーでよく見る展開でなかろうか。『倒れる彼女。主人公は、彼女の大切さを解る』とか、そんなベタなドラマ展開。  雰囲気が、僕の背中を押す。 「僕は――」  十夜さんが頭を預ける枕。その両脇に手を突き、彼女に顔を寄せる。  唇と唇が、近づく。 「あなたの事が――十夜さんの事が――」  心と心が、触れ合う。  そう思っていた。  しかし、近づこうとした僕に対して反発する力が働く。僕は目を下ろした。手だ。僕の胸をぐいぐい押す両手がある。  女の、しかも体調の悪い女の力なんざたかがしれている。だが僕には決定的だった。  拒絶されているという事実は、僕を殺すには十分な刃だった。 「御免」  僕は十夜さんとの距離を、大きく開ける。僕は最低な男だ。気持ちが伝わっただなんて思い込んで、彼女の仕草も良い様に解釈して、シチュエーションの誘惑に負けて先走ったのだから。  ぼぉっとしてしまっていた。そしておもむろに、彼女に目を向ける。 「……どうか、したの?」  左胸を両手で抑えて、上半身を前に曲げている十夜さん。僕の心を不安がよぎった。  まさか、心臓が悪いのか? 「ううん。だいじょうぶ。まだへいき」  十夜さんは顔を上げて、僕に笑った。"まだへいき"と、真実を教えてくれた。  その瞬間、僕の中で何かが音をたてて壊れた。  昔の僕が見惚れた彼女の琥珀色の髪はもう陽だまりを作らない。もう作ることができない。  けど、彼女の瞳にはあの頃と同じものが宿っていた。しかし、今はただ魅了されるだけではない。この気持ちは、恐怖心だ。  そのときの僕には、彼女と世界との輪郭がぼやけて見えた。その幻覚を掻き消すのに夢中になって、僕は、教えられたことだけで満足した。  それが僕の一つ目の失敗。  ある日の登校路、十夜さんと出くわした。 「おはよっ」 「おはよう」  挨拶を交わす。そして、僕を振り返っている十夜さんに小走りで追いついた。  待ってくれて有難い。そのくらいは当たり前な距離まで近づいたのだ、僕と十夜さんは。  言葉に表す必要がない。なんて幸せなことだろう。  そして僕らは、示し合わせたわけでもなく同時に足を進めだした。  前に向かって。  でも――僕の隣に、彼女は居ない。 「ごめんね」  驚いて振り返る僕に、彼女が寂しい音色を口にした。そして僕は、自分が馬鹿だと気づいた。僕は、解った風をしていた子供だった。  彼女と僕の歩幅は、違うのだ。同じ一歩でも、彼女は同年代の他の誰よりも少ししか進めない。  僕は無理矢理、笑顔を浮かべた。  彼女の顔がパッと晴れるような話をしよう、そう思った。彼女が笑ってくれるならいくらでもおどけよう、そう誓った。  でも心はずっと覚ましていよう。  なあに。今の僕では難しくても、努力すればきっとなんとかなるさ。努力のための時間は、有り余るはずだ。彼女に合わせてゆっくり歩いて。僕は、彼女に気遣おう。彼女に気遣わせないために。彼女が自分のことだけを考え、笑っているだけで良くなるように。  彼女のことだから、望みはしないだろうけど。それどころか、僕は彼女の信念に邪魔立てしているのかもしれない。  ――いつもより長い、登校の時間。  僕は何も聞かなかった。何かを押し隠すための"平穏"に、僕は足踏みしてしまった。  それが、僕の二つ目の失敗。 04  夏の終わりから始まった夏休みが明け、冬の訪れを感じさせる肌寒い時期になんと文化祭が催される。なんだこの学校のシステム。……まあ、夏休みが長かったからいいのだけど。  いや、あまり良くない。なぜなら、夏休み明けから文化祭当日までが一週間しかないのだ。それなのに、文化祭準備に取り掛かれるのは、夏休み明けから三日後から。残された日数は四日間。  トチ狂ってるんじゃないかこの学校。もしくは生徒を壊す気なのかもしれない。  全クラス、全学年がつらい状況を強いられるのだが、僕のクラスはよりつらい状況下だった。  過半数が参加できないのだ。  文化祭では、部での活動もある。たとえば吹奏楽部は、文化祭まで毎日ハードな練習に強制参加だ。時間的な問題でも、クラスの準備を手伝えるはずがない。  吹奏楽部だけの話ではなく、文化部はクラスの準備に一日でも出れれば良い方だ。  僕のクラスは不運にも(いや、ハイレベルなのか?)、吹奏楽部のレギュラーが多い。残りもほとんど文化部所属で、圏外なのはなんと帰宅部員のみだ。 「ご、ごめんね。で、できるだけはやく、む、むこう終わらせるから」  文化祭準備のリーダー、メガネっ娘が言う。  僕含む帰宅部員は、今から文化祭準備において重要な数になる。  ――というか、リーダー不在のときにどう纏まって準備していけばいいんだろうか。  案の定、皆がだらだらしている。と、そこに勇矢がやって来た。 「よう、職務乱用して手伝いに来たよ」  腰に手を当ててニヒリ顔を浮かべる彼は、二の腕に「運営委員」と書かれた腕章をつけている。残念ながら彼は少女っぽいだけでなく、チビ属性も付加されている。何気ない仕草も、とても可愛らしい。  という感想はまあさておき、有難いことこの上ない。 「では、おねがいしますよ――」 「あの、えぇっ、ちょっと!?」  僕たちは部屋の隅にかためられた材料の山から、ダンボールを一つ引っ張り出そうとする。しかしその時、男子学徒が一人声を張り上げた。  教室でぐだぐだしていた皆が彼へ集い、その後僕と勇矢に向く。  ――むしろ、勇矢のみか。 「な、何をしていらっしゃるのですか!?」 「あ、その、えっと。ちょっと、お手伝いを……」  彼の怒涛の勢いに、勇矢は笑みを強張らせる。 「なんてことだ!」「ガッデム!」「そんな事、僕らがしますよむしろすべきだったんだそうなんだ!」「お手伝いしなくていいですそこにいてください見ててください好感度アップをお約束ください!」「っていうか一晩を約束してください!」「ちょ、おまっ、氏ね」「女神様に手ぇ出すなやコンニャロウ」  えーっと。  詰まる所、勇矢を怒らせる発言ばかりだ。  おそるおそる、僕は勇矢を盗み見る。 「じゃあ皆、頑張ってくれるかなー♪」  僕は目を疑った。怒っていない勇矢がいたのだ。  いや、怒っていないどころか女の子っぷりを発揮し、皆を誘導している。  僕は奇跡を目にしている。 「……容姿が少女の上にぽけぽけ天然属性まで付いている我が弟、のマネをしてみたんだが、なんだかこそばゆいな」いや、こそばゆいって。今あなたは、越えてはいけない一線を越えてしまったんですよ。ってかどんな弟よ。僕にもいるけど、そんなんじゃないぞ。  僕は、今の一瞬で艶かしくなってしまった友を見る。  友、勇矢は「?」と首を傾げ、僕の瞳を見つめ返している。  威力差、裏ボスと新参勇者(なぜかRPG基準)  僕は負けた。そして、彼にお礼を述べ、活気を増した文化祭準備作業に僕も参加するのだった。  気になること――  お礼を述べたとき、彼が「体育祭のときは敵に塩送っちゃったからね、こういうときに挽回しないと」と言っていたのだが、どういう意味なのだろう?  勇矢の協力もあり、作業は思ったよりも猛スピードに進んだ。  だが、不可能なことは不可能なまま。可能にするべく、リーダーは徹夜準備を決行する。  メンバーは僕も含めて、多く集まった。勇矢は帰ってしまったので、助けはもう求められないが、女性のかわゆさが効果バツグンの単細胞な人材はいないので無問題だろう。 「みひみひー。ちょっとコレ組み立てて」 「みひみひゆうなっ」  美希子に感化された誰かが、僕にさっそく作業を与える。だが、ここでひとつ問題が発生する。 「あー、道具が足りないです。どうしたらよいでしょうか?」 「ん? じゃあ、技術室のほうで組んできて。で、こっちに運んでくる」 「おけー」  ダンボールなので、腕力に関する問題はナッシング。  僕は材料を一纏めに包んで、よっこらせと運ぶ。わざわざ校庭に出てから向かったのは、技術室。室であるけども、校舎とは別の建物が丸々そうなのだ。  夜闇がゾクリとくる。肌にも、精神にも。中に入ると、人気の無い教室が見渡せる。これも若干ホラーだ。  と言っても、僕は恐がり症ではないので問題ナッシング。……マイブームなのかな、このネタ。なんだろう。  気を取り直して、作業に取り掛かろうとする。置いた材料の山に向き合ったとき、背中に声をかけられた。 「戎崎、くん」 「え?」  振り返る。  満月と同じ方向に立つ、十夜さんがいた。  月光が彼女を淡い光で彩り、幻想的に魅せる。僕は一瞬、言葉を失くしかける。でもなんとか意識をかき集めて、口を開いた。 「十夜さん。こんな時間に、どうしてここに?」 「あ、うん。帰ろうとしたら、戎崎くんの姿が見えて」確かにまだ通常の帰宅時間だな。冬の夜は訪れるのが早くて、感覚をちょっと狂わされてしまう。 「何をしてるの?」  彼女は膝を折って、材料の山を見、僕を見上げる。上目遣い、というやつだ。正直、とてもドキドキした。  おかしいな、美希子にされたときはどうもなかったのに。 「組み立てるんですよ。それで、道具が足りなかったのでこっちに」  メーターとか、ガムテープとかね。と言うと、十夜さんは頷いた。  僕は技術室をちょっと粗探しして、お目当ての物を頂戴する。そして、材料の山を一つの芸術品に仕上げるべく奮闘するのだ。  だが、ここで予想外な事態が発生した。  十夜さんが、僕を手伝うと言うのだ。 「私、最近はずっと体調悪くて、作業に一回も参加できてないでしょ。今日の徹夜準備は頑張ろうって思ってたら、さっきから体調良くなってきて、でも先生は大事をとって帰れって」重態すぎるだろ。学校に来ずに家で寝てた方がいいんじゃないか。  僕が何も言わないでいると、十夜さんは材料の山に手を突っ込んでしまった。やる気マンマンだ。月光が淡すぎて、彼女の顔色が悪いか見当つかない。  なら、この技術室の明かりを点ければいいじゃないか。  そう思うけれど、僕は動けなかった。腰が上がらなかった。冷たい床が、冷たい夜風が、僕を凍てつかせてしまったのか。  いやそうではない。暖かいのが恋しいんだ。  僕と十夜さんは、隣同士で座っている。僕が近寄ったのか、彼女が近寄ったのか、二人の肩は触れ合っていた。そこに温かさがこもる。  芯までかっと熱くさせられる。懐炉やどんな防寒具よりも暖かい、彼女の体温が伝わってきているだけだろうか。  二人の温かさだと、思いたい。  僕はいろんな努力を重ねて、彼女に近づいた。もうほんのちょっと手を伸ばせば届くほどの距離に、彼女の肩がある。それが体温でわかる。聞こえる鼓動や、吐息でもわかる。  でも、もっと近づきたいのだ。手を繋いで"これから"を歩いていきたい。  でも――  僕は一度、十夜さんに拒絶されている。僕にはもう、彼女の隣に居る資格すらない。いや、今隣同士だけどさ、僕が言いたいのはちょっと違うくて。 「ごめんね」  いろいろ考えながら我武者羅に作業していたら、十夜さんが僕の手にそっと触れた。  僕は驚いて、白くて細くて長い、触れたくなるような彼女の指を見る。そこから手首、二の腕と視線を伝って、彼女の瞳へ。  じっと僕を見つめる、彼女の瞳へ。 「あのときは、ごめん。私の病気ってどきどきするやつだから、勘違いしちゃったの」  それって、つまり僕にどきどきしたってこと?「戎崎くんに私がしんどくなってるときの顔、見られたくなくて」  恥ずかしげに頬を赤く染める、十夜さん。むしろ僕のほうが恥ずかしい。っていうか、これって告白なんだろうか? 「今なら、大丈夫だから」  僕の目が、十夜さんの唇に向かう。  確かに、今なら大丈夫だ。技術室は校舎から遠いし、人が来ることもほとんどない。  僕は十夜さんの肩を掴んだ。 「十夜さん」 「戎崎、くん」  僕は――彼女の世界に――居住めるだろうか。  ちょっと戸惑った。僕はそのとき、手に伝わる冷たさと彼女の異変に気づいた。 「……十夜さん?」  月明りのせいではなく。  彼女は死んだように白くなっていた。ぐったりと、僕の支えに全体重を預けていた。  いま手に持っているのは、死体じゃないか。そう僕に思わせるほど、これは"異常事態"だ。  "異常事態" そう言葉を思い浮かべて、やっと僕は危機感を覚えた。 「誰か、誰か来てください!!」  叫んでから、ハッと思い至る。技術室(ここ)は、人気のある校舎から離れている。声を飛ばしても、誰かの耳に届くはずはない。 「――みひみひ!」  ならば近くまで行って、と僕が彼女を抱えたその時、美希子が慌てて僕の名前を呼ぶ。  いや、なんでここに。って、そんな場合じゃないっ。 「美希子、誰か先生呼んできて! いや、救急車!!」 「う、うん」  規則上、生徒は携帯を持ち込めない。僕は学校の規則を呪った。そして、そんな規則に従っていた僕自身も呪った。  ――僕は僕を、呪い殺してしまいたかった。  次の日から、十夜さんは登校してこなかった。  十夜さんが来ぬ間に文化祭は過ぎ、学期末のテストに追われる日々が始まる。  そんなとき、まだ一度もお世話になったことのない保健室の先生に呼び出された。内容は、十夜さんの事。  自分の口から話したいみたいだったけど、外出は無理だから。先生がそう前置きしたことで、僕はある程度悟った。  十夜さんの病気が悪くなった。  先生が僕に告げた病名は、よくわからなかった。症状を聞いても、悪いのは心臓だけじゃないってことくらい。  ガンより悪いのか。僕が判断できる基準で、尋ねてみる。  最悪よ。先生は言った。治らないだけより悪いわ、とも言った。  それからまくしたてるように、十夜さんの現状、処置される対策法、もし対策法に従わなかったら彼女がどう悪化してしまうかまで、先生は僕に伝える。  それはたぶん、無理してまで学校に来ていた彼女の意思にはそぐわないものなのだろう。  わざわざ話したということは、僕なら十夜さんを止められるとでも思っているのだろうか。  そのとき、僕の脳裏で十夜さんの姿がフラッシュバックした。  初めて会った時のでも、保健室で話した時のでもない。浮かんで消えたのは、月夜に彩られる、頬を赤めた十夜さん。  二人っきりで寄り添っていたあのとき、彼女がこの世でたった一人の美女に思えた。  彼女の吐息が、呟きが、眼差しが、僕を魅了してしまった。  いや、それは今も昔も変わらない。  初めて会ったときから、僕は彼女の総てに惹かれていたと思う。  なぜだろう。  彼女が人を引き寄せる魅力に富んでいるとは、お世辞にも言えない。  ただ彼女は、出会ったあの日にはもう真っ直ぐだった。覚悟をして学校に通っていたからか。下を見るでもなく、上を見るでもなく、横も後ろも見ずに、ただ前だけを見ていたからか。聞かなければ僕では判断できないけれど、聞けばきっと彼女は寂しい笑みを浮かべてしまうのだろう。  僕は、前者後者どちらでもあるのだと思う。彼女は同じライン上を歩く者のことなんて、誰一人構っていなかった。彼女は唯一人だけで、前に進んでいた。  僕に会うまでは。  そのときにはもう、彼女は流れ星だったのだろうか。地球に突入してきた塵や小石が光を発する、それが流れ星。だからその光は一瞬で、暗い夜空を照らし上げるようなものにはならない。でも誰かが見届けて、流れ星はその存在を世界に知らしめる。  もし想像通り、彼女が流れ星だったとしたら、彼女はいつか、燃え尽きてしまうのかもしれない。 「いや、それは聞いたじゃないか」  彼女は今のまま"平凡な人生"を送ろうとすれば、悪化して死んでしまう。このつらい事実を、僕は伝えられた――  僕は、どうすればいいのだろうか  もし光り輝くことをやめられてしまったら、僕なんかでは彼女を見失ってしまうのではないか。そう思って胸が締め付けられる。でも明るいままでは、彼女は遠い所に言ってしまう。だから努力しないでとも、努力してとも、僕には言うことができない。僕はどうすればいいのだろうか。  と、その時、ダストトレイルから放たれた小石が、地球に突入し、光を発して燃え尽きてしまう。その流星は、昼間でも見れるくらいにかなり明るい。  でも燃え尽きてしまった。もうどこにもない。網膜に刻み込んだ映像が掻き消えれば、たった一度だけの瞬きはほんとうに無くなってしまう。  彼女もこんな風に、思い出にも残らなくなってしまうのだろうか。