ライトファンタジー〜勇者と魔王〜 水瀬愁 第二部的なもの ******************************************** 【タイトル】  ライトファンタジー〜勇者と魔王〜 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【サブタイトル】  FILE01:我が手に有れ(第27部分) 【ジャンル】  ファンタジー 【種別】  連載完結済[全82部分] 【本文文字数】  10818文字 【あらすじ】  語られるは旋律、輪になって踊る道化師達の伝説。ある道化師は勇者の名を語り、またある道化師は魔王の名を名乗り。王道から成る、世界の真実をぶち壊す、ファンタジーストーリー 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  砂が巻き上がる。  肥えていたであろう土は干乾び、荒れ果てている土地は歪に段差を造っていた。  例えれば、生きとし生ける者の住まわない廃界。  地平線まで伸びる廃界に、目に留まるような構造物は存在しない。  土地にとっては小まめひとつにも満たない存在が、小さな足跡をつけて駆けていた。  その存在はまだ成長途上にある少女で、後ろを気にして何度も何度も振り返っている。  金色の髪が少女の背を何度も叩き、急かしているようにも見えた。  廃界にいるには異質で、浮ついた存在でもあるが、ただの少女でもない。  髪の両側、耳の上辺りには髪飾りのような蛍光品がつけられていた。  それは、世界の摂理から逃れてゆらゆらと浮遊している。  少女に触れるか触れないかの位置で在り続けるそれ。ある程度近づかなくては、少女が身につけているようにも見えた。  少女が一歩踏み出せば、その品も一歩分移動する。  指定された場所――耳の上――から離れることはないのだ。  不似合いすぎた、寂び廃れた世界とは。  光が閉じた世界で、その存在は光り輝きすぎていた。  だから、闇はその濃さを増したのだろう。  均衡の崩れは、世界の乱れになる。  それは、恐怖の旋律とともにあった。  ビル……………………ビルガァ………………  呟くは、世界に絶望し生きとし生けるものに絶望し己に絶望したものの亡骸。  鉄(くろがね)の身が音もなく移動していた。  それは闇の番犬であり、希望を閉ざす『物影』  ビルガァ……ビルガァ………………  その遠吠えは渇望する。生命(いのち)という水を。  飢えた番犬は、光と生命を求めて群がり始めた。  唐突に歩みを止めた、光の存在。  光の揺らめきでシークレットとされていた少女の容姿が、恐怖に潤んでいた。  整った顔立ち、白すぎる肌透き通った蒼い瞳。それらは細かく震えながらも恐怖を受け入れてはいなかった。  金色に舞う髪が、今になって垂れ落ちる。 「……こんなにも、『世界の罪』が存在していたなんて」  絶望に感染した、ソプラノの声が響き渡る。  『物影』の醜さを、まるで自分の醜態かのように受け入れ、嘆く。  だが、『物影』はその手を緩めはしなかった。  黒炎に身を焦がし、世界の裏側となった彼等は表に手を伸ばす。  そう、まるでバベルの塔のように。神のような表の存在に、裏の存在は憧れたのだ。  神という域に伸びるバベルのごとく、表なる存在へと為りたいがために。  少女は、その身を退くことなく伸ばされる漆黒を見つめる。  漆黒が少女に触れ、純色が暗清色となる未来が想定されたとき――怒りの咆哮が響き渡った。  『物影』を頭から捻じ伏せるようにその上部を刈り取っていく銃弾。  まるで生物であるかのように動き、一瞬の想定外もみせずに『罪』を洗い流していった。  その銃弾は、まるで猟犬のよう。 「『カラミティ・メーカー』……連射はできないけど属性変えられるから、結構使い勝手はいい。聞いてる人はいるかな?」  音もなく、少女の前方に仁王立ちするのは混沌の存在。  頭から足元まですべてを覆い隠す鼠色のマントから突き出された手には、手のひらにすっぽりと収まっている銃があった。  咆哮の音源であるその銃は、小さな煙を上げている。  少女は目を丸くして、己の身長半分以上、上にある顔を見上げた。 「銃身(バレル)もまあまあ短いし、弾倉(マガジン)や単装銃なのは並ってとこ。セミオートマチックじゃなくてフルオートマチックの連装銃のほうが効率がいいだろうけど。『洗争』とかまでは考えてないんだろうな」  弾き出された猟犬に狩られなかった『物影』が、新たに現れた存在に飛び掛った。  銃口(マズル)がその行動を予知したかのように寸分の狂いなく『物影』に射線を引いた。  弾き出された猟犬は、『物影』の細胞ひとつひとつから全体へとその焦燥を広め消滅させる。  鉄の姿は、見る間に重量感のある液体へと化して力なく落ちた。  連奏のように繰り出される咆哮の旋律と、猟犬の解放。  色とりどりの猟犬が同じ餌(エ)を喰らい、狩っていく。  飛び掛ってきた『物影』に、『罪』を洗い流されなかったものはいなかった。 「最大の特徴は、追尾と属性のある弾丸……無尽蔵だから無駄撃ちもできるし、最高の一品だ。マリオルさんも良い物を作ってくれるな」  マリオル、という言葉に少女がピクリと反応する。  それを掻き消すように、地面を蹴る音が響き渡った。  『物影』が一斉に走りかかってきたのだ。  銃口が迷いなく『物影』に向けられ、発砲される。  一匹、一匹と『罪』を洗い流される中、『物影』の一匹が大口を開けた。  中から突き出されるのは、ライフル型の漆黒銃身。  照準器(サイト)は照星で緑色に揺らめいていた。 「……『大罪の物影』!?」  はっと気づいたように、少女が声を上げる。  ――レシーバーは『物影』の体内に仕込まれているのだろう、『物影』自体がバイポッドの役割をしているのかもしれない。  そう、少女は気づいたが、対策を練る余裕と手段はなかった。  『物影』から放たれる猟犬、混沌の存在から放たれた猟犬。ぶつかり合うと言う言葉は似合わなかった。  いわば……一蹴。  混沌の放った猟犬は『物影』の放った猟犬に幾分もかき乱されることなく、『物影』を一閃する。  『物影』の鉄が縦にまっぷたつされ、『罪』を洗い流された。 「さて……そろそろ、次か」  緊張を解くようにほっと息を吐いた少女は、その言葉に息を止める。  言葉の実証性はすぐに100%となった。  ビルガァ………………ビルガァ……  狂気を呼び覚ます雄たけびに、少女の表情が恐怖に染まる。  精神が崩れ去るのを感じ、それを止めることができない絶望をも理解していた。 「――落ち着いて」  混沌の存在は、恐怖も絶望もないかのように少女の髪に手を置いた。  少女が、優しく置かれた手と同等の優しき微笑みを見る間もなく―― 「攻撃因子『カラミティ・メーカー』収納及び分解収縮。別攻撃因子形成動作A1A2S3……抑制細胞全稼動保持。攻撃因子名『刻魔』『紅桜』情報引き出しID入力完了。世界干渉破壊衝動波紋about0……」  混沌の存在が見据える、群の『物影』『大罪の物影』。  勝利ではなく、満足を得ようとする罪人に混沌の存在は両手を突き出した。  紡がれるは、顕現。 「《我が手に有れ》」  瞬間。  鈍く重い電子音が響き渡り、自然情報及び世界情報、空間情報に干渉した。  同時に、干渉が終了する。  片手に握られていたはずの銃は瞬きよりも速い理解不能の次元で消滅した。  その次元においてここに在るのは、二振りの神魔剛剣。  紅く、血と欲望の牙とされる長剣。その切れ味は五感を焼ききり悪夢を魅せるほど。  黒く、純粋の闇黒と冷徹の牙とされる両片手剣。その切れ味は真実の世界への空虚を刻み付ける魔のごとき力。  その二振りは、『正義』とも『悪』とも言われぬ『力』であった。  世界を渡り歩き、望まれたとはいわれない記憶をもちながら、その刃と込められた心を毀れさせ。  行き着いた『主人』が――この者であった。 「……いくよ。ちゃんと言うこと聞いて、欲張りしないように。お互いに助け合うのが長生きのコツなんだから」  頷くように、双剣が淡い光を鼓動させる。  その剣は妖剣でもあった。  邪なる存在、『異分子(イレギュラー)』が封印され、その力の恩恵を受けている妖剣。  黒と紅の狂詩曲(ラブソディー)が奏でられる。  混沌の存在が一歩踏み出した――『物影』の中心にその存在を移す。  世界にその移動を理解される瞬の間。双剣が何度も何度も羽ばたく。  その斬撃は『物影』を一太刀の元に切り伏せ、いくつもの『物影』を消滅――『罪』を洗い流させた。  『物影』の群の半数が消え、群の後方に出た混沌の存在は、触れる箇所が多くなるように双剣を交差させる。 「攻撃因子読み込み開始……結合。空間震動攻撃因子波発生因子読み込み完了」  ふたつの刀身を、不可思議な文字列が伝い広がった。  空間が何かの予兆に震え上がった。  『物影』が軌道上に敵視している存在の有無を選択し、無線索敵をしながら立ち止まる。  その時、巨大な情報群が膨れ上がった。  情報と情報がぶつかり合い、絶え間ない火花を発光させる。  攻撃因子、対象の情報を消滅する牙。  その大群は嵐となり、ひとつの刀身を織り成していた。 「……《マギル》」  攻撃因子の運動が変わる。  別の力を受け、強制変更されたのだ。  双剣を包むように渦巻いていた攻撃因子もろとも、双剣が大きく薙がれる。  斬撃に沿った形状をとった攻撃因子が、一瞬の閃きとなって消えた。  その痕跡は、多数の生命の紡がれ。  『大罪の物影』含む『物影』ひとつひとつに大きな残痕が刻まれ、それに耐え切れなかった『物影』は白い筋となって『罪』を洗い流す。  空間を小さく振るわせるひとつの波紋、決して避けることのできない破壊侵食因子。  それが《マギル》――  敵信号を持つ存在の索敵に、引っ掛かるものがいなくなる、攻撃因子は運動齟齬に陥った。  それは小さく燃え上がると、音もなく透け消える。 「《マギル》……《罪滅ぼし(マギル)》?」 「《慈悲無き罪殺し(マギル・ブレイヴ)》だけどね。君の言ったやつは同じ部類の別因子だよ」  双剣を軽く振るい、地面に剣先を向けながら少女に歩み寄る混沌の存在。  軽く頭が振るわれ、フードが背に垂れ落ちた。  鳶色の瞳が穏やかに微笑んで、少女を見据える。 「君が『|天使巫女(エレクサ)』だね? マリオルの親族さん」 「……どうして、あなたはそんなに知っているんですか?」  混沌の存在――青年は片手を少女に翳した。  その手の内に、小さな文字の羅列が浮かんでいる。 「情報をもらってるから。君の情報、周辺情報、環境情報、それらから君の場所を探り当て、ここに来た――冒険者さ」 「……|冒険者(ヒーロー)?」  少女が小さく首を傾げる。  キョトンと目を瞬かせ、青年を見上げている様子に先ほどまでの恐がりは微塵もなかった。  青年が小さく苦笑いを浮かべる。 「そんなご大層な者じゃないよ、ただの|冒険者(プレイヤー)さ。 でも……|悪の正義(ヒーロー)ではあるかもしれないけど」  青年は小さく呟き、整った顔立ちを悲しみに染める。  それも束の間、先ほどまでの穏やかな笑みを浮かべて少女に手を差し伸べた。 「僕はエルレイド。エルと呼ばれることが多いからそれでいい――君の名前は?」  首を傾げて覗き込んでくる青年に、少女はペコリとお辞儀する。 「……えぇと、レイシアと申します。レイと呼ばれる……かな?」  自分の言葉だというのに、不安気首を傾げる少女。  青年の手に滑り込まれた小さな白い手は、冷たくも暖かく感じられ、今にも折れそうなほど細く麗しかった。  蒼い瞳、鳶色の瞳。しばらく何の意味もなく見つめあう。  世界が止まった錯覚。世界の存在が一ケタになった錯覚――破り捨てるように、鳶色の瞳が視線を離した。  少女――レイの手にはすでに、青年――エルの手はなく、地面に突き刺していたのだろう双剣の柄に手を置いていた。 「はやくもどろう。いつ『物影』が出るかもわからない。もし――『罪亡き人』がでたりしたら、それは既に『洗争』。荷が勝ちすぎる」  『罪亡き人』――その言葉に、レイは身を強張らせた。  エルはレイの強張りを見て取ると、ふぅっとため息を吐いて剣に目を落とす。 「攻撃因子、全解除全分解及び収縮」  双剣の剣先が応じるように白く色落ちし、さらさらと流れ消えた。  蜃気楼のように、靄のように。幻想的な消滅。  エルは両手を軽く払い、レイに目を向けた。  同時に、片手がレイの髪を撫でる。 「あ……」  レイが小さく悲鳴を漏らす。  エルは穏やかに笑いかけた。 「帰ろうか、レイ」  そう言ったエルはレイの前方をすでに歩き始めていた。  フードは深く被られている。  レイは耳元に浮遊する三日月――羽ともいえる――を軽く撫で、ちょこちょことエルの後を追うようにこの廃界に足跡をつけた。  この世界は衰退した。  すでに過去形――衰退は熾烈を極め、世界は死んだのだ。  その残り人は、世界の死骸を糧に数瞬生きながらえるようにみえた。  世界は死んだ、その事実は変わらない。だが、芽吹くものがあった。  《|生命の奇跡(ユグナ)》――世界の残した新世界だった。  旧世界。つまり、それまでの人が住んでいた土地と得ていた知識技量、そのすべては衰退とともに消え去った。  新世界。幻想とされていたものが現実となった、魔法と奇跡の実在する新たなる世。  あるものは、旧世界が滅んだことを喜ぶ。  あるものは、新世界が生まれたことを嘆く。  だが、すべてに共通することはひとつ。  ――いつかは死ぬことを理解していないことだ。  和室。  龍の像が堂々たる威厳をもってそこに在る、区長とそれに許されし者にしか進入できぬ禁域。 「この区域の《|生命の奇跡(ユグナ)》の調査……じゃと?」  |天使神子(エレクサ)の存在は各地に及んでいた。  その者は人ではなく、その者は新世界の新人類であり、その者は旧世界でいえる天使だと――そう伝説されて。 「具体的には、その中で成熟する『晶』の調査。封印されて居るモノが【絶対神五体】なのかどうかを確かめるのです」  マントを片腕にかけ、鳶色の瞳をまっすぐと輝かせる青年。  瞳の先には、唖然と口を開けるご老体がいた。 「――あそこ自体、区長であるワシですら一度しか訪れていない《聖域(サンクチュアリ)》。 さらにその神髄を垣間見るつもりか?」 「垣間見るのではなく、触れるつもりでもあります」 「……ならん」  ご老体の瞳が、黒く飢えた力を宿す。  例えれば、刃。  強いものは、その威圧を精神の刃とする。  強者でなくとも、真剣と渇望と拒絶の心があれば、それは刃となる。  その刃を押し付けられながら、青年は顔色ひとつ変えることなくご老体の刃に目を合わせた。 「エル、といったかね? 君の存在は我が区域にとって異質。放浪者が区域に移住することさえ、人に化ける《大罪の物影》がいる時点で不可能に近い。 その上で、我等の神秘と希望、命綱に接触するというのか?」 「放浪者ではない、と証明できれば、受け入れてもらえますか?」 「……|冒険者(プレイヤー)には、その|冒険団(ギルド)があるそうだな。特務を受ける上位の者は《救会》とされ、《|正義の印(エムブレム)》を受け取るとか」 「……これのことでしょうか?」  青年は自らの胸ポケットへ手を差し入れる。  引き出された手には、六角形と四角形の築く紋章が刻まれた札があった。  ご老体は訝しげに、その札を手に取る。 「……魔力が存在する。この術式は光結界。防衛因子の構成は――ふむ」  紋章を何度も何度もなぞると、ご老体は青年に札を返した。  ご老体は、後ろと左右にいた区民に目伏せする。 「どうやら、あなたはただの放浪者ではないようだ――装備情報も中々、興味深い《例外》じゃしのぉ」 「ご老体。そのようなことは口に出さぬほうが身のためですよ。世界に知られる」  青年は小さく苦笑いを浮かべると、《正義の印》を懐へもどした。  ご老体は無言で目を閉じると、どこか遠くを見るかのように目を細く開けた。 「……《彼女》か?」 「はい、詳しくは知られていると思いますが、《彼女》です」 「《旗艦》のほうがそれらしい情報収集をしていることは調べていたが……今更、《洗争》の被害者にどうこうするつもりなのか」 「――どうこうしようとしているのは、はてさてどっちなのやら?」 「《彼女》がどのような人物なのか、ワシのほうが直に会ったが故わかっている。 だが、あれは幼君。何も知らぬ《新世界創造者》じゃ」 「そうとも言い切れない事態なのですよ。封印があったとしても今この世は『物影』に八割を奪われている。時機に新世界も衰退してしまう。《旗艦》は二度とあの過ちを繰り返しはしないと決めているのです」 「あれは過ちなのか。そう判断するのか。判断には、ちと情報が足りなさ過ぎるとは思わんか?」 「過ちでしょう――《勇者》にとって以外は」 「そのお供にとってはどうだろうな?」  青年の瞳がギラリと輝く。  だが、醸し出されるのは迷いと問いと――嘆き。 「理解はしています。私もそれなりの《高齢者》ですから」 「わかっておる。その《正義の印》は他とは違う『|無限正義(インフィニットジャスティス)』を施されし光。 ――君はこの新世界に何を見る?」 「これから、何かを見る――それではいけませんか?」 「年寄りからの助言はこれくらいじゃの」  ご老体はよっこらしょと立ち上がり、青年に背を向けた。  青年はご老体の背を見上げる。 「――世界は、我々の望まぬ方向に進んでいるのかもしれん。我が君の微笑みも、すでに思いだせんほど世界は進んでしまったからのぉ」 「……《白銀の騎士》と呼ばれたあなたが、世界に絶望するのですか? 旧世界の冒険者(ヒーロー)であるというのに?」 「昔の話じゃ。今では|本当の冒険者ら(ヒーロー)とは文通すら行ってはいない」  どちらが、とは言わず。場は静寂に包まれた。  青年はゆっくりと立ち上がり、静かに頭を下げる。  そして、消えるように音も立てずに去った。  ご老体は目を細めつつも、視線を動かすことはない。  その場にいるものは、一人になる。  静寂――破られることは無かった。  ライトファンタジー〜君の待つ向こうへ〜  青年の瞳は、遥か先を見通していた。  青年の露出した手は、空気の冷たさを伝えてくる。  一本の大樹に寄り添うようにして築かれた、町。  レンガ造りが多く、土台はしっかりと補強に補強を重ねていた。  人っ子一人いない街中を歩いていた青年を見つけ、駆け寄ってくるのは一人の少女。  その耳元で蛍のように輝く小さな羽は、きらきらと輝いていた。 「エルさんっ!」 「――レイ、か」  青年はレイに向かって微笑んだ。  子猫のような瞳に覗き込まれた青年は、首を傾げる。 「こんな早くに、どうしたんだい? 水汲み――ではないよね」 「そんなんじゃないですよ〜! エルさんを探しに来たんです。すぐに見つかってよかった♪」 「……寒いんだから、気をつけなよ」  てへへとはにかむレイ。  金色の髪がふわっと舞い上がった。  それは、まるで地面に降りた天使のようで。 「――この羽、結構お気に入りなんですよ?」  青年、エルの視線が耳元の羽だと思ったのか、レイはそれを撫でた。  羽とレイを繋ぐ場所はないというのに、レイの耳元から離れない。 「『|天使巫女(エレクサ)』だけが持っている天性的な装飾品、だね。綺麗だと思うよ」  レイはにっこりと微笑んだ。  だが、すぐに小さくくしゃみをする。 「……そろそろ戻ったほうがいい。風邪を引きたくなかったらね」 「えっと、エルさんはどこかお住まいをお持ちですか?」  上目遣いで首を傾げたレイ。  エルは顎を撫で、答える。 「どこもないな。野宿にもなれてるし、食料も携帯食があるから」  エルは懐から掌ほどの布袋を取り出して見せた。  レイは真剣な表情でエルに顔を寄せる。 「もっとしっかりしたものを食べないと、身体壊します! ――えと、私のところ、空き部屋がいくつかあるんです。食料庫とかに使うんですけど……」  エルは二三度目を瞬かせると、穏やかに笑ってレイを覗き込む。 「ヨロシク頼むよ、レイ」 「……はい♪」  満面の笑みを浮かべたレイの瞳は嬉々とした輝きを持っていた。 「ここに住んでるのは、君だけなのかい?」 「え? あ、はい。私だけ……というか、少し前までは孤児院でした。別の区域に移されてしまったので。『|天使巫女(エレクサ)』である私の住居として与えられたんです」  薄汚れた室内。  物がごちゃごちゃとしているが、それは補強用の木材や古びた箱。それ以外はしっかり整えられている。  大きなちゃぶ台が室内のほとんどを占め、その向こうには細い廊下が伸びていた。  エルはそちらへ歩み寄る。  廊下の左右には、ところどころ人一人ほどが収まる線があることに気づいたエルは、それを押してみた。  壁だと思っていた場所が抵抗なく押され、物一つない空室が目に映る。  がらんとした様子を見ていたエルの脇からひょこっと顔を出したレイ。 「全部で六室。私がひとつ使っているので五室。ご自由に選んでください♪」  そう言って少し前へ屈んだレイ。つられたように髪がぽよんと動く。  エルはその部屋の中央に歩み寄ると、纏ったマントの背から小さいバックを下ろした。  レイは目を丸くしてエルに尋ねる。 「これくらいの荷物で足りるんですか?」  エルはそれに微笑み返した。 「地図は必需品だけど、区域は三つしかないから――どこかひとつを拠点にして『|罪流し(デリート)』していくなら、最低限はこれくらいだよ」  エルが中から取り出したのは、少々の食料と宝石。  紅く滲む宝石のことを、レイは知っていた。 「遺伝子情報をお互いに登録していれば、空間距離を無視して会話が行える――っていうやつですよね」 「よく知ってるね。僕のやつだと、あんまり登録者はいないけど」  そう苦笑しつつ、エルの手はその宝石を弄る。  レイは目を落とす。  床に広がるのは地図に食料――ふと、レイは目を瞬かせた。 「えっと……武器とかはどうしてるんですか?」  マントの中にしまっている可能性を見過ごしているレイ。  エルは片手をひらひらと振り、握りこんだ。 「情報連結立体構成――≪我が手に有れ≫」  光の波紋がエルの手中で鼓動し、開いた掌には小型銃――『カラミティ・メーカー』が握られている。 「概念使いは、武器の情報を数字化して行使することができる――旧世界でいう『超科学』の類似らしい」  ふっと振られたエルの手に、小型銃はない。  旧世界でいう魔法のようだと、レイは考えた。  魔法は体内に駆け巡る存在定義のない力を行使して、世界に具現化させる。  だから、突然炎が発せられたりと非常に厄介だと――レイは聞かされていた。 「っと、旧世界の話は初耳だったかい?」  呆然としているレイへ、心配そうに声をかけたエル。  レイはぶんぶんと首を横へ振った。 「『|天使巫女(エレクサ)』は区長から旧世界の神話や文化を聞けるんですよ♪ 昔は魔物っていうのがいっぱいいて、勇者さんが蹴散らしてた……でしたっけ?」  エルは宝石をバックへともどしつつ、口を開く。 「勇者、聖女、天使の三人に相対する魔王。この四人で作られた循環型永久序曲――魔物は操り人形だよ。 何回目なのかはわからないけど、勇者は循環の存在に気づき、序曲を終わらせることに成功した。 その拍子で生まれたのがふたつの存在――『物影』と《|生命の奇跡(ユグナ)》 それから、この世界からは魔物が消え、文明が消えた。だから、新世界と呼んでいる」 「……そこまで詳しくは知らなかったです」  エルから視線を動かさないレイは羨ましそうに微笑んだ。  はっとしたように頭を左右へ振ったレイは、部屋の入り口へと走る。 「食事の用意――今からだとパンくらいしかだせませんけど、広いとこにきてくださいね!」  広いとことは、玄関と細い廊下の間にあるところのことだろうか――と、エルは頭を捻る。  だが、すぐに思考を振り払うと、立ち上がって息を整えた。  二回ほどの深呼吸――両手を突き出す。 「≪我が手に有れ≫」  途端に手へ握られたのは、二振りの魔剣。  神魔剛剣の名は『刻魔』と『紅桜』  紅い長剣が後者で、黒い両片手剣が前者。  その名の意味はエルしか知らないといえた。  鋭利に輝く二振りをゆっくりと丁寧に眺め、軽く振るいだすエル。  一回一回丁寧に――じょじょにそのテンポは人外のものへと変異していく。  フェイントを混ぜた必殺の連撃、空を切る音は空耳とはいえないほど高鳴る。  最後の一振りは長剣が任され、エルの頬に淡い汗が滲んだ。 「僕だけだと、これくらいか……」  剣を握った手の甲で汗を拭う。  エルの瞳は、自らの首にぶら下がる橙色の玉が付いたペンダントを捉えた。  玉は涙型に整えられ、その中では淡い何かが揺らめいている。  暗闇の中で僅かに発光するそれ――エルはゆっくりとそれから目を離した。  細い廊下へと出たエルは、マントを脱いでいた。  ラフな≪みどりみのあお≫のジャケットの下には黒いシャツがあることを、開け放されたジャケットの前からわかる。  首からつるされたペンダントが一歩ごとに揺れ、唐突にそれが微弱なものとなった。 「エル♪ ちょうどパンを持ってきたところで――おっと」  カゴに入れたパンを胸いっぱいに抱えたレイが、エルへと微笑みかける。  エルは苦笑いを浮かべると、レイの腕からいくつかのパンを奪った。 「すみません♪」  てへへとはにかむレイは、丸テーブルの上へとカゴを下ろす。  エルは手に持っているパンを見ていた。  それぞれが色違い、形も一致しない――カゴのパンもそうだった。  形の一致は絶対にないといえるが、この場合は極端な大きさや厚みの違いを示す。 「私のお気に入りをいっぱい持ってきました♪」  レイはパンのひとつを摘み取ると、パクリと口へ咥えた。  あぐあぐと苦しそうにしつつも、レイは顔を綻ばせている。  心配そうにレイを見ていたエルも、パンに噛り付いた。  香ばしいにおいに抱かされた幻想と同等、それ以上のうまさにエルは一瞬目を見開く。  お互いにだまりこみ、その場にあったパンをすべて平らげた。  そこらに落ちていた箱に腰を下ろしたエル。その横へと寄り添ったレイは、きらきらと目を輝かせている。 「エルって、いろんなとこ旅してるの?」 「ん……まあそうだね。そういってもこの世界の8割が『物影』の支配下。通るのはできても暮らすなんて不可能な『荒地』だからね。 《|生命の奇跡(ユグナ)》区域も三つ。それぞれ旧世界の英雄が区長をしてるんだ」 「……ってことは、ここの区長さんも?」 「ああ。≪白銀の騎士≫と呼ばれる|冒険者(ヒーロー)。 僕たちは冒険者(プレイヤー)といって、宮廷にある冒険団(ギルド)から使命を与えられる。 対価もそれ相応にいただいてるけどね」 「――だから悪の正義(ヒーロー)なんですね」  ふむと頷いたレイ。  エルは穏やかに笑いかける。  レイはエルの膝に両手を置き、顔を突き出した。  瞳はきらきらと輝き、耳元の羽は賛同するように明度を増している。 「今回はなんでこんなところに?」 「――まず一つ目は君の護衛。『|天使巫女(エレクサ)』の使命がそろそろだろ? そしてもうひとつ、《|生命の奇跡(ユグナ)》にある晶の調査」 「晶の……?」  《|生命の奇跡(ユグナ)》は大樹。その根元には祠といえるほどの穴があり、その最奥に鎮座するのが晶。  『|天使巫女(エレクサ)』であるレイすら踏み入れたことのない、聖域。 「晶には、旧世界の罪が封印されている――『|天使巫女(エレクサ)』の裏面となる悪がね。 その封印を強めるため、『|天使巫女(エレクサ)』はひとつの場所に集結して儀式をする」 「……それは知ってます」  真剣な表情で頷くレイ。  何かを思い出すかの表情、緊迫してしまった空気をほぐすように、エルは片手でレイを撫でた。 「僕は君を守るために来た。それは変わらない。何も心配しなくて良いよ」 「――心強いです」  レイの笑み、レイの言葉――嘘はない。  エルは心の内で、そう断言できた。