【タイトル】  ライトファンタジー〜勇者と魔王〜 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【サブタイトル】  f/愚弄(8)(第78部分) 【ジャンル】  ファンタジー 【種別】  連載完結済[全82部分] 【本文文字数】  2421文字 【あらすじ】  語られるは旋律、輪になって踊る道化師達の伝説。ある道化師は勇者の名を語り、またある道化師は魔王の名を名乗り。王道から成る、世界の真実をぶち壊す、ファンタジーストーリー 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************  朝の食事を終えて、ミシェルは口元を拭った。  高貴な人間しか住むことが許されない場所だからか、上品という名の味がする。美味いか不味いかでいえば、そこはかとなく後者。できれば口にしたくはない。  だが、これは彼女の耐え忍んでいる味なのだであり、彼女の受け止めているものの一部なのだ。自分も受け止めることができるならば、彼女に一歩近づくことができる。その幸せを感じれば、味もそう悪くは思えないのである。  救いとはこういうことだ。自身は救われたのだと、ミシェルは何度目とも数え切れない確信に喜んだ。  だが、まだ決定的に遠い。彼女に愛を示されたのに、未だ敬愛を返したことがないのである。  それも今日で終わり。今日は、ついにミサに参加するのだ。  ――超克。そして、彼女を崇めることを生き甲斐にできる。  ミシェルはうっとりと微笑んだ。  部屋からでれば、廊下が左右に伸びる。  前の壁は、硝子の埋め込まれていない窓枠が連続していて、そこからは|砦下町(さいかまち)が覗ける。  空気が澄んでいるのか、指で数えられる程度見た中では一番美しいだ。  右に行けばチチルちゃんの部屋と、クロシュの部屋。ナナは、二階層下にある特別な部屋で安静にしている。  それも彼女の取り計らいだ。  感謝している。人の生命の長さでは、到底払え切れないほど。  躊躇もなくここまでのことをしてくれる彼女に、やっと恩返しができる。どこまでやれるかはわからないけれど、己の意思すらも明け渡していいと覚悟している。  ――刻限がもうすぐだ。  行こう。すぐ行こう。  与えられた愛の分、人生全てを費やしてでも答えるために。  答えたいがために。  ミシェルの足音が、廊下で軽やかに響いた。  まだ開門していないのか、人が居ない。  だがミシェルは知っている、ミサの時間になれば満杯まで溢れることを。幸せそうに祈りを捧ぐ人々。自分も今日からその一員になれるのだと思うと、胸が高鳴った。  ――初めは、口にし難い感想を抱いてしまっていた気がするけれど。  どう思ってしまったかは忘れたけれど、相当ひどかったおぼえがある。そのことも含めて、がんばらねばならないと思う。  ミシェルはミサ会場を見回して、彼女を見つけた。  教会というこの場は、彼女に似合う。  教会は彼女のために作られたんだと思ってしまうほど。 「ミシェル。もう、来たのですね」  前触れなく、彼女がミシェルに振り向いた。 「――もう、大丈夫ですね」 「はい。なんとお礼を言えばいいか」  両手を胸の前で組んだミシェル。淑やかに、眉を下げて。  彼女は柔らかく微笑んで、ミシェルに歩み寄った。 「愛(まな)を愛(あい)し、愛(まな)に愛(いと)おしまれる。それは、誰もが受けるべき祝福なのです」  そして、組まれたミシェルの両手にそっと片手を重ねる。  笑顔と笑顔が見合った。  ミシェルは、レスナと同じ"安心感"を与えてくれるマリスを居場所に選んだ。  それがレスナとは|違う(・・)と、気づくことができず―― ◇  何かおかしい。  奴(ミシェル)が、特に。チチルともそう話したことがあった。まるで人が変わったようだと、チチルの感想もあながち間違いではない気さえする。  チチルは調子が悪いようだ。自分に与えられた部屋から出て、無意識にチチルの部屋のドアをノックしそうになって思い出す。  そっとしておこう。クロシュは、片手を下ろしてチチルの部屋の前を横切った。  何処に行こうか。何処も彼処も調べる必要はある。今居る場所は人気が無くて安心するが、見えない恐怖に孤独が心細くもなる。  なら、まずは――クロシュの足は、螺旋階段に向かった。  螺旋に取り込まれて、下っていく。一つ目の抜け出し口は通り過ぎて、二つ目に潜り込む。  さっきまでと同じような廊下。さっきより近い窓の外の景色。さっきよりも弾んだ気持ちで、クロシュが早足で進む。  ナナはまだ目を覚ましていない。しかし、もしかしたら今日は目を覚ますかもしれない。理屈のない期待だが、クロシュは虚勢くらいは張っていたかった。  護りたい相手を、こんな形で護るのはこちらもつらい。  ならばどんな風なら良いか。  ナナが健康で、楽しそうに笑うことができて、俺の手を恥ずかしげに引くこともあって。 「――」  クロシュは、訝しげに思って足を止めた。  ナナの居る特別部屋が開いている。朝日が昇る回数とは比べものにならないくらい訪れての結果、部屋の清掃は己のいないような稀な時間に行われると解っている。朝方はもちろん、夕方も然り。  食事の時間かと予想していたのだが、本当は自分が来る直前までに熟(こな)されるのだろうか。  遅い歩みで、開け放された扉の脇を過ぎ、目前に光景(へや)を構える。  血が凍った。 「ぐへ……フヒッ」  黒い人。カラカラに枯れた木のごとく老いた体(てい)。ナタリフ。  四つんばいになっていると、ゴキブリのように見える。  その四肢の下には、静かに眠るナナ。  ――血が、凍った。  駆け出す。まるでその瞬間を読んだように、同時ナタリフが飛んだ。  どんな不可思議が働いているのか、ナタリフは部屋の天井に溶け込まれて消え失せる。  追う。一瞬浮かんだ選択肢は、すぐに掻き消える。クロシュは真逆の、下を見た。  ぐったりと床に崩れて目を開けない、ナナ―― 「ナナッ!?」  慌てて抱き起こす。  大丈夫か。目を開けてくれ。  言葉は、何一つ続かない。  解ってしまったから。クロシュはわなわなと震える。  そして、ゆっくりと、|眠る(・・)ナナに蹲る。  強く強く目蓋を閉じる。思い浮かべて目を開ければ、もしかしたら目の前の物が変わるかもしれないから。  だがそんなことは起こるはずがなく、クロシュは無言で涙を零し始める。 「ア――」  走馬灯が、駆けた。 「アア――」  輝かしい笑顔が、いくつも浮かんだ。 「アアア――――」  目の前のナナは、もう、笑わない。  護れない 「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――!!!」  途絶えない絶叫(ひめい)をあげて。  クロシュは、跳んだ。