夢の無い世界 水瀬愁 どうすれば質を良くできるか。 と考えて、いろいろな小説を見ていって良い文を得ることにしてみた。やりすぎた。特に1は盗作気味である。加減がわからなかった、というのは言い訳がましいかもしれないが本当にそうだった。 2,3はそこんところに注意して描いてみた。自分の文にはなった。書き終えて見直して、1を訂正しようとした。無理だった。できなかった。 だから、原作の作者様から通知がくればすぐに消去することをここに表明しておく――と思って作者様のページを見てみれば、データの無断使用は禁止と書いてあった。牢屋行きだよな俺…… と思って、手直したら案外いけた。自分の文になった。なので、もしかぶってるのとかがあっても私のが"二番煎じ"なだけなんで私にそっと憐れみの目でも向けてあげてください。こんなのね(´゜□゜`) 結局何が言いたかった前書きなのだろう。ちなみにみなせっせは、侵略的外来種というものを授業の脱線で聞いたことはあっても見たことはない。もし普通に売ってる肉がそれだったら話が矛盾してしまうことだろう。 ******************************************** 【タイトル】  夢の無い世界 【作者】  水瀬愁 【管理】  小説家になろう[ウメ研究所] 【ジャンル】  恋愛 【種別】  短編小説 【本文文字数】  19940文字 【あらすじ】  エルフ。幻想生物。人じゃない。しかし、喰いたがる奴がいた。抱きたがる奴がいた。ストレスをぶつけたいという奴がいた。だからエルフは金になった。純一は――エルフを狩る人だった。 注意 小説には著作権があります。この小説を無断で再配布・転載する事は著作権法で禁じられています。 (C)水瀬愁 ************************************************   −1−  純一は、胸の中の幻想が壊れたときのことを思い出した。  そのときは、べつに純一だけが体験したものでもない。信じていた者も、信じていなかった者も、例外無くそのときを体験した。  妖精、精霊、聖獣――呼び方は様々だが欧米ではフェアリー、種類分けすればレプラコーン、ピクシー、マブ、エルフとも言われている森の神話の中の生物。  突然現れたその生物は、どんな言葉も喋り、またどんな言葉も解した。全国は一時的にその話題に埋め尽くされ、同時に対応し始めていった。  あまりにも――童話にはない現実らしい、残酷で冷徹な処理。  珍しい蝶と思えば想像は容易い。少なくとも純一は、そう思い込むことを心がけている。希少種というものは生け捕りにされて飼われたり、標本に加えられたりする運命にある。もちろん人間よりも強大な存在であれば話は別だが、幻想生物は蝶も同然だった。  そのときとは、つまり、突然の来訪者への対応が決まったとき。  そして、そのときのことを思い返した。  対応決断の議には、首都近くに出没したエルフ全員が参加させられたらしい。議までは人権みたいなものを尊重されていたのだろう、テレビ越しに見たエルフの列は全員の血色が良かった。その頃にはすでに、各エルフがぶくぶくと太っていることに疑問を感じていた。  偉い人の長い演説の後、一拍置いてから発せられた低い声は現実味が無かった。  しかし、二秒ほどしか放映されなかった地獄絵は現実味を帯びすぎていた。  ニュースかCMかに切り替えられたテレビの前で、共に見ていた両親は顔を顰めていた。  "俺は――吐いていた"嘔吐していることに気づけないほど絶望して、あのときの純一は涙も流していた。  世界の汚れは今も見える。しかし、純一はその世界で生き続けた人間だ。見えることがどうしたと、純一は、低い声を発したあの偉い人と同じ仏頂面をする大人に育った。育ってしまった。 「次どっちに曲がるんだっけ?」  助手席に座る純一は、運転席からの焦った男の声を耳にしてハッと我に返った。そして、一秒ほど前を――山を見つめてから答えた。 「今通り過ぎた道を、右だ」 「へぇい、りょーかい――って、通り過ぎただぁ?」  途端、揺れが酷くなる。ハンドルを握る者の気性に比例しているといっていいから、大分ご機嫌斜めなのだろう。 「孝一。一応聞いておくが、確かなんだろうな」  純一はバックミラーの向こうに声を飛ばした。孝一は無言で頷く。  エルフの巣窟を見つけた――純一とハンドルを握る者は、特に金になる仕事しか請け負わない。エルフは一匹でも七桁は得られる。もし五十や百いたとすれば、一生分はくだらなくなる。  だがもし一匹も居なければ……純一はともかく、その隣の者が激怒しないはずがない。純一も一年近くそいつと組んでいる。そいつの過去の経歴や兄弟姉妹がいるのかどうかは知り得ていないが、そいつの手によって木端微塵にされた人間や動物は数え切れないほど多大。孝一が"多大"に加えられることは、まず確定するだろう。  そいつの名はポーン。ポーン・クトルフ。体力と図体のでかさが取り得の――ゲームのようにコロッセオで死闘することを夢見ていたと馬鹿を言う、白い肌をした大馬鹿野郎。  ポーンの腰にある短銃を盗み見たあと、純一は精神集中も兼ねて仮眠体勢をとることにした。  エルフは怖ろしい攻撃力をもつ相手ではない、それでも純一やポーンのような狩り手が必要なのは、すばしっこいから。罠が必要だから。  世間では落ちこぼれ――ケモノを狩って生きるしかなかった。それに、そっちのほうがしっくりときてしまった。  だから純一は冷静沈着に殺していく。殺して売って金にする。殺して食って血肉にする。生きる。  山の麓を前に、人気の無い場所で車から降りる。 「派手にやりすぎるとプロまで現れるらしいぜ」  プロ――軍隊。ポーンが注意しろと言う。元々、狩り手は音をたてる作業をしない。本来なら聞き逃せるが、巣窟の規模がわからないうちはどうとも妄信し切れない。純一は孝一に振り向いた。 「だが、お前は別だ……何かあったときは、さっき渡した銃をむやみやたらに乱射してでも逃げろ」 「は、話が違うじゃないですか。依頼主の命は保障してくれるって――」  孝一が喚いたことで、ポーンが舌打ちを漏らした。ヤヴァイ。反射的に、純一は孝一へ銃を抜いた。ハッと息を呑む音がする。構わず、純一は吐き捨てる。 「勘違いするな。自分の命以上に大切な物を俺は知らん……護りはするが、お前の首より優先順位が高いものなら、指折り数える以上に思いつく。そして、それのいくつかは俺のリュックにも入っている」  たとえばライフル。エルフが出没してからなぜか高度経済成長に入った日本国は、爆弾頭と通常弾をスイッチひとつで切り替えられる銃を開発した。純一の手元にあるのは、純一が改造し尽した挙句ポケットがひとつ増えた、爆弾頭と通常弾と散弾を切り替えられるオールマイティなもの。通常弾は連射で固定することも可能で、銃自体にもいろいろ工夫が凝らしてある。  もし崖から落ちるのが孝一とライフルなら、迷うことなく純一は孝一を見捨ててライフルに手を伸ばす。  ライフル及び孝一より優先順位の高い物が無事な時は、護ってやる――純一の言葉を理解して、孝一はすがる目をして唇を結んだ。覚悟と、救済要請。そのギャップに虫唾が走って、純一は先頭を歩き出した。その後にポーンが続く。とぼとぼと、孝一も付いて来る。  少しして、ポーンが純一に寄ってニヤリと笑った。 「スカッとしたぜ。これなら、エルフをありったけ手に入れるまで依頼主を殺さなくて済みそうだ」  やはり――ポーンの殺人範囲内に、孝一が入ってしまったか――そうなるとは純一も予想していた。殺人は後がめんどくさい。死体にしてでもポーンを止めたいが、純一は拳を握り込むことで衝動を相殺した。  今はまだ必要だ。巣窟征服のためには、労力と人数が要る。それもとびっきり高性能な――ポーンは、今はまだ必要な駒だ。  だが必要なくなったら? 金になるエルフ。大量だったとして、その分け前を独り占めできるのなら、ほんとうに一生分はくだらなくなる。その方が良いというのは言うまでもない。厖大な金と友情も何も無い絆は、ライフルと孝一も同然。  純一はまた独りの狩りに戻るのも良いかと考えながら、唇を歪めて薄く笑った。それをどう取ったのか、孝一も愉快げに笑う。  山へ猟に出る。  ベルトに挟み込まれたナイフと、罠もいくつか。今回の狩りは、いちおう名目上の行為だ。エルフは頭が回る。集団をつくる。巣窟を真っ直ぐ探していってはトンズラされるかもしれない。だから、うさぎを狩るフリをして捜索する。  いくつかの罠は意味無く木の上へ――仕込んだ小型カメラをある程度遠隔操作していけば、巣窟の入口を確認できるかもしれなかった。フリの狩りでも、巣窟に近づいていけば逃げられてしまう。双眼鏡で獲物を探す風を装い、手当たり次第に探してはいるが――やはり手が届くまで近づかないと、どうも成果があげられなかった。  だが接近のタイミングは難しい。速度を高めても、巣窟をすぐに見つけられなければ駄目だ。逆に慎重になりすぎても、息を殺されて気配が読みにくくなる。運が悪ければ逃げられる。  一番良いのは、登山ルートを通ることで普通の客と思わせることだが――それ以外を歩くこともあるだろう。純一は、身体を自然に慣らしておくために今回の猟を言い出した。  草の擦れる音がして、茂みに潜む純一はナイフを瞬時に横へ投げた。見なくとも、見えているのだ。  銃声をたててから純一は振り向く。そこには、見ずに見ていた風景が広がっていた。  白い毛に包まれたその小動物は、自らから飛び散った血の沼に横たわっている。茂みから純一が身を引きずり出した頃にはもう、血の沼は固まりかけていた。  血抜きして燻製にするか、血抜きして捌いて焼くか。考えながら、純一はうさぎの首元からナイフを引き抜いた。  ボコッと、血が流動する嫌な音がした。  ある程度時間が経って集合すると、純一の手にはうさぎがあってポーンの手には侵略的外来種の鳥が、孝一は食える草を採ってきた。  個性それぞれ。純一は平凡で、ポーンは傲慢かつ貪欲で、孝一は非戦争主義。 「銃は、やはり使いづらいか」  純一は焼き肉セットを広げながら、孝一に尋ねた。肉を獲ってこなかった孝一、ビクッと震えたあと言う。 「授業で、先生様に言われました――銃は人をトチ狂わせる、と。だから日本は戦争をしてしまったと。お前達の世代はそうなるなと、厳しく言われました――前はどうだったかわかりませんが、少なくとも今は、先生の言葉の意味が分かりません」 「血を見たのか?」 「いえ。ですが、どんなものにも勝てる気がしています」  狂っている――銃が心をトチ狂わせた。純一は言わない。呟かない。紡がない。押し殺す。根本的な体勢だけ切り替える。表面上は全く同じだから、孝一は気づかない。 「なあ」  別の作業をしていたポーンが、わけがわからないという風に、慌てて純一に声をかけた。純一は振り向き、目を見開いた。  両手をあげて純一に向いているポーン。膝は笑い、今にも崩れ落ちてしまいそうなくらい怯えているのが丸分かりだ。顔はくしゃくしゃになっている。  そしてその後ろには、キリリと引き締まった顔をする――純一にとって忘れられない過去が、立っていた。 −2−  初めて会ったのは、高校の教室で、だった。  初めて行った会話の最初の言葉は"馬鹿"で、返した言葉は"まな板女"だった。  それから拳を交える大喧嘩になって、だけどそれを唐突に終わらせたのは恥じらい。  純一は恥らった。何も無いところで滑って転んで、学校指定のスカートを存分に捲り上げてしまった彼女を見てしまったから。  いててという呟き。さらに続く独り文句。そして立ち上がろうとした矢先に、周囲の静寂と自分の状況に気づいた彼女。  それから慌しくなって、結局純一はいろいろと言葉を言い損ねたが、一ヶ月もせぬうちに謝罪は果たした。頭を下げる純一を、彼女は驚きながらもその場ですぐに許した。  それで、何があったか――特に思い出せないが、ともかく、結果的によく会話を交わすようになった。そして、たった一度だけ――彼女の夢を聞いた。  確か、体調が悪そうだった彼女を無理やり屋上に連れ出したときのこと。休ませるつもりで、彼女もそれがわかっていながら付いて来た。 「私ね、悪い人を叩きのめしたいの」  警察になりたいってことか――純一が聞いて、彼女が頷く。  彼女は滑舌が良かった。頭のキレもなかなかのものだった。何より度胸があった。その度胸は、いじめに屈していた過去の自分を叩きのめした経験からつけられた力。男とは、やはりどこか違ってくる。日に日に差がついた。  初めて会ったときは純一も彼女も成長途上で、互角だったのに、もう見る影もない。  ビジネスのほうはどうだ。お前なら、女社長が似合うだろうさ――純一が聞いて、彼女は怒った。 「私じゃないとできないわ! 罪を犯した人間には罰が与えられなければならないけど、それだけじゃ世界を清めるには足りないのよ――歪みきった心の持ち主は、全員改心させなきゃだめ」  ヒステリックな言葉。だが否定しきれない。――あの頃はそうだった。  今の純一は違う。今の純一なら、夢を聴いたその瞬間に力でねじ伏せて彼女の心を歪ませた。歪ませてしまった。  だから、今、きっと歪ませてしまう。  樹の暗がりにいた彼女が、月夜に出てきた。それ以前に彼女の顔を認識していた純一と違い、彼女はようやく純一に気づく。頭の中で構築していた言葉が驚愕のあまり喉につっかえてしまったのだろう。目を丸くして口をパクパクする様は滑稽だ。しかし、笑えない。  反射的に純一は、精神から感情の一切をシャットアウトした。 「サツか……ポーン、しくったな」  へなへなと笑うポーン。いつから追われていたのかは、思い当たる節がありすぎて逆にわからない。ポーンは獲物ではない相手にも銃撃をお見舞いするクセがある。銃を見られた機会は三人の中で誰よりも多いし、侵略的外来種の鳥は珍味であるが故に法の処罰対象――思い当たる節がありすぎて、逆にわからない。  彼女の服装は、登山でもするかのようなもの。実際そうなのだろう。純一は、彼女が無理難題にチャレンジすることを好き好んでいると知っている。こんな登山コースに掠りもしない樹海で会えたのは、偶然すぎるが認識せざるを得ない。無視はできない。  無視はできない――今まで出会ったサツに対して、殺す以外の処理方法をしたことがない。  予定調和の動きでナイフを抜き仕込み弾を撃つ。彼女の左肩を掠める。  一瞬の硬直。スキと読む。図ったようにポーンが動いて、後はそれほど気を張り詰めなくてよかった。  登山衣装を剥がされていく彼女を横目でちらりと見て、純一は焼き肉セットに再びしゃがみこんだ。彼女の泣き叫ぶ声とポーンの欲情しきった声の不協和音に気を害されながらも設置を終え、呆然と立ち尽くす孝一を見上げる。 「特においしそうなやつ以外は先に食うぞ。鳥肉はほとんど残しておいてやれ。女を抱いて気分が良くなったアイツのことだ、どうせ俺達に分け与えるだろうがな……ひとまずはうさぎからだ。血抜きして捌いてあるのがそっちにあるから、取ってくれ」 「純一さん……ッ!」 「わかっている」  救いを求めるような孝一の声に、純一はしぶしぶ自分の手で肉を取りに行った。歩きながら言葉を続けた。 「女の金切り声には慣れてないんだろう。わかる。俺も、あまり興味があるわけじゃない……念のために用意しておいた耳栓を貸そう。他にも、吐き気を催したときのための薬とかも揃えてある」 「純一さ――」 「食料と違って、耳栓以外は数がある。気を使う必要はない」 「そんなことじゃなくて! 貴方達は……貴方達はっ!」  一呼吸、間を空けた。 「狂ってるか。酷すぎるか。残忍か。お前の本心は、どれだ」 「全部です! あの人は――女性ですよ! くまや鳥や、うさぎとはちがいます!」 「なら、俺はこう返すまでだ――お前は狂ってる。お前は酷すぎる。お前は残忍だ。あの女がもし警察かなにかだったらどうする、俺達の日常はこれまでだぞ。お前は俺達の人生を台無しにしてまで、あの女を救うつもりか。お前はどれだけ偉いんだ。あ?」  平行線になるよう論議を展開。頭をかきむしり唸り続ける孝一を見据えて、純一は御しきれたと思って今度こそ肉に手を伸ばす。 「おい!」  そのとき、ポーンの大声とがさがさと草木を掻き分ける騒音を聞いた。純一が首を捻って振り向く。ポーンの顔が青ざめていた。深緑に手を伸ばし、深緑の狭間の暗黒を見つめているポーンの様子――純一の手が、肉からライフルへ矛先を変える。  しかし、サッと近寄ってきた孝一の両手に押さえつけられてライフルは持ち上がらない。純一は熊のような目で孝一を睨みつけた。孝一がビクついた。その隙にライフルを勝ち取った。  そして、立ち上がった。ライフルを両手に持ち直した。警察――殺さなければタダではすまない。殺してもタダではすまない。このままでは逃がしてしまう。しかし殺せも生かせもしない――だが、行方不明ならばどうだろうか。  広大な森林を捜索する奴はいるだろうか。警察犬で探し回れるだろうか。犬の嫌いな臭いがあれば犬は寄ってくるだろうか。ばらばらにして鳥肉や燻製に混ぜてしまえば、たとえばソーセージに少しずつ混ぜて売り払ってしまえば、バレることはない。食えない部分は薪とともに黒炭にしてしまえばいい。  体温が上がっていく――頭の中が冷えていく。絶望に心が満たされる。一欠けらにも満たない理性が潰えて、狂気がむき出しになる。  呆然と立ち尽くすポーン。我に返るまで残り数秒しか有しないだろうが、今走り出せば追いつかれることはまずない。彼女を追い詰めたとき、ポーンに追いつかれればいろいろめんどうになる――純一は考える。彼女をどうにかした後――ポーンの処理はその後にでも考えればいい。許したフリをしてエルフ狩りをさせるだけさせれば、いい。用無しになる駒なのだから。億万長者になるのを望んだことはないが、金は多いほうが助かる。孝一も人力に数えたいが、今回のことで扱いにくくなるかもしれない。彼女は逃がしたと嘘を吐けば、まだいけるだろうか。  彼女は悪くない。関わったのが悪かっただけ。法で裁けば、もっと明白になる――だがそんなことはどうでもいい。力で屈服させる。世界を思うがままに変えてみせる。いつだって力で押し黙して、押し黙らされてきた。これも同じなのだ。  男女差もあって、脚力は圧倒的に純一が勝っていた。走り出してすぐに純一の目は彼女の背中を捉えた。ぐんぐん距離を縮めて、純一は制止の声をあげた。予想外にも、彼女は立ち止まった。近づいて、純一はわかった、道がなくて止まっただけなのだと。  崖っぷち。純一に振り向くと、彼女はギッと純一を睨みつけた。 「貴方、気でも触れたの?」  そうかもしれない――純一はライフルを彼女に向けた。発砲した。彼女は純一の速度に追いつけなくて、拳銃を崖の下に弾かれた。片手をもう片手でおさえる彼女の後ろで、落ちた拳銃がどこかにぶつかる音はしなかった。 「そういえば、聞いたことはなかったな。なんで警官になろうと思ったんだよ」  彼女は怪訝な顔をしたがやがてきっぱりと言う。 「世間の役に立ちたかったからよ。誰もが私を認めてくれるし、正しい職業だからよ」  真面目で世間にあった善良な人間の言葉だった――純一の本音とは、どうしても平行線を辿ってしまう。 「俺と似てるな。じじぃが死んで、俺は同じマタギの奴らの役に立ちたかった。銃をもって、銃の扱いが上手くなれば、誰もが俺を認めてくれた。俺の世界では、じじぃの法則に反することが正しい生き方だった」  何もかもを無くした俺を拾ってくれたマタギのくそじじぃの役に立ちたくて、俺もマタギになった。くそじじぃは止めなかったが、注意はしてくれた。銃を持つな、ソロで生きろ、冷たい血をしながら暖かさを求めんじゃねぇ――あの老いぼれは、善良なマタギだった。純一は違った。踏み外した。銃を持った。やっぱり心はとち狂ってしまった。 「信念のしっかりしてる奴は、好きだぜ。だから、殺してやる」  狩るのではなく、対等な存在と認識しなおして――純一はしゃべりたいことだけをしゃべり終えた。昔の友人だったから、いつもどおりというわけにはいかなかった。それで、どこか調子がおかしくなっていた。  それもこれまで。結末は変わらないのだ。それこそ、運命のように。 「おかしいわよ。正気の沙汰じゃない」 「ああ――そのとおりだ」  違った。これが正気だった。今まで押し隠していただけで、狩り人の何人かに一人の割合でトチ狂ってるやつはいる。それが純一であり、純粋な狩り人の本性だった。歯ごたえのあるケモノと戦いたいと渇望し、それが叶うのならたまらなく嬉しい――純一は思う、レンジャーを潰したときがそうであったように、と。  人間が撃ちたい――いつも心の奥底でそう思っていた。そんな自分が嫌いだった。だが、好きでもあった。純一は白黒つけるという行為が苦手だった。目の前に、白黒など到底つけようのない難題がころがっているからだ。だから、どちらでも良いと思った。その時の心に従う。たとえその心が、銃にトチ狂わされているとしても。 「ねぇ……どうして」 「じゃあな。あんまり変わってなくて、懐かしかったよ」  純一は引き金を引きかけた。だが発砲はしなかった。それより早く、退きすぎた彼女が足を踏み外したからだ。  体温が上がっていた――頭の中が冷えていた――しかしその瞬間、反転した。体温がゾクリとくるほどまで下がって、頭の中で炎が爆発した。理性でも本能でもない衝動が、純一を支配した。  ライフルを投げ捨てて、前へ疾走。崖っぷちで殺しきれるなどという、柔な勢いではない。弾丸。純一は彼女に手を伸ばした。手は届いた。彼女の体重だけとは思えない、重力の加算された質量を感じた。引っ張るだけではどうにもできないくらいの重みだ。  純一の身体は宙に飛び出した。彼女から手を離し、加減もせず蹴りつける。彼女を蹴った感触は、落ちていく最中の風圧に塗りつぶされた。  そう、落ちていく――  わからない。純一は思う。  なんで彼女を助けてしまったのか。縋りたいような過去があるわけではない。しかし、彼女の目に真っ直ぐ見つめられて、どういうわけか身体が勝手に動いてしまった。  衝動に突き動かされるといっても、衝動を少しは理解し得ていないと困惑させられる――今の純一が、まさにそう。 「だいじょうぶですか?」  いや、実のところ、今の純一が困惑している理由は別にある。 「ああ、だいじょうぶ――」 「そ、そうですか……でも、あの……何か不自由なことがあったら、言ってください……ほ、ほんとに、どんなことでも言い付けてくださっていいです……私、人間様に怯えてばかりで、全然気が利かなくて、ほんとに駄目駄目ですから……」  純一は寝かされている。包帯も二つ巻かれていて、額と、左胸の下に、包帯越しでもわかる緑色が赤色とスケッチブックを共有していた。赤色の正体は――言うまでもない。  純一の横に、女座りでぺたんと蹲るのは体長1メートル半はあるエルフの女性。  エルフは、人間ではない特徴が全員同じとは限らない。純一が見た中では体長が10センチしかないものから、色が緑だったり耳が長かったりする擬人系まで。今純一が見ているエルフは、一番人間らしい風貌をしていた。  女性自身が純一を人間様と呼ばねば気づけなかったというほどに。 「ほんとに、だいじょうぶだから――ありがとな。助かったよ」 「あ……ありがとう……ござい……ま、す……」  肩を抱きしめながら、女性はその身を固く震わせる。  純一を見つめる女性の瞳には、ただ、犬のような従順さが映っている。少しだけ、嬉しそうな感情がよぎってはいるが、その奥には打ち砕かれた何かの破片がごろごろと転がっている。  励ますように笑みを作る最中、純一は思う――なぜこんなに、気を遣わねばならないのだろうか。  そう思った至極冷静な部分が、次にひどく呪わしい考えを口にした。純一はそれを有耶無耶にして、笑い続ける。  唐突に、女性はほっと何かを思い出して純一へ手を伸ばした。正確には、純一の頭の横に置いてある缶へ。  その手がゆっくりとした動作で缶の蓋を取り除き、中から丸薬を摘み出した――指で摘んだ丸薬を、口の中へ投げ入れる。  緩急の落差がありすぎる二つの行動の後、静止に酷似した三つ目の行動がなされて純一は無意識の内に右掌を眉間へ当てた。 「お……お薬を、口移しさせていただきます」  もごもごと、女性が言う。そしてゆでだこのように真っ赤な顔を純一にグッと寄せるが、最後の一歩が歩み出せないで女性は純一の目と鼻の先で躊躇う。  目を潤ませている女性の様子は、純一にとっては毒だ。生き地獄。顔を背けたいむずがゆさ。自分の吐息を気にしつつ、純一はぽつぽつと呟く。 「そんな方法、どこで教えられた――」 「え?」  キョトンと目を丸くして、女性は瞬く間に蒼ざめた。 「す、すみません! ――人間様は、それぞれ習わしがちがうのですよね――前の御主人様にきちんと"秘密の作法"であると言われていたんですが、私がそのことを見落としてしまったせいで、不快な思いをさせてしまって……――」  泣き出しそうで、惨めで、哀れな声。服従と、隷属の、誓い。誓いは鎖となって雁字搦めにしてきて、誓いは刃となって媚びても何をしても止まらずに肌を肉を傷つけてきて、誓いは八方に立ち並ぶ壁となって孤独と心の死と薄暗い絶望を約束する。 「ご、ごめんなさいっ……わた、わたし、クリス、お仕置き嫌、イヤ、え、その…?!!!」  言外で語られる、買われた女のような扱いを受けた真実――人間ですらない異種だからこそ、州ではない島国でも主従関係が構成されてしまう。過去に葬り去られた関係のはずだった。現代では罪に値する関係のはずだった。相手が人間ではない異種だからこそ、ブレーキになるものは一切無かったのだろう。つらさが伝染してきて、耐えられなくなって、純一は女性の頬に手を添えた。  そして、ゆっくりと唇を重ねた。  人が踏み入れてはいけない領域。  エルフ族の巣窟。街。国。住処。どれも当てはまらない純自然、森の深淵が少しだけ恐怖感を呼ぶ。 「何を摘み取っている?」 「薬草、のようなものです。擦り付けるだけで効果が現れるんです。でも持続時間が短くって、さっき塗ったものがそろそろ切れる頃だから、必要な分を先に取っておこうかなと思いまして」  崖を転げ落ちたにしては怪我が浅い――崖は偽装で、あまり落下していないと聞かされて納得した。投げ捨てたライフルを見せられて納得せざるを得なくなった。元々、疑うつもりもなかったが。  服を着た。純一はライフルも背負おうと思った。だが女性――クリスが怯えた。聞けば怯えていないと言ったが、明らかに怖がっていた。仕方なく、微笑みかけながら手を離して妥協の心を表明した。ナイフはこっそり懐に入れたが。  そして純一は岩穴のような住まいから出た。恐怖感を抱いたり、クリスが薬草を摘みはじめたりしたのは、"出た"の一歩目を終えた直後のこと。深緑に向かってしゃがむクリスをぼぉっと見つめる中、片足を岩小屋の方に未だ入れたままだったことに気づいて純一は二歩目を踏み出す。  一生懸命な姿が眩しかった。純一は聞きたかった。薬草があるなら、さっきの飲み薬は何の効果がある――聞けなかった。掘り返せば、またこそばゆさに余裕を失くす。  とその時、クリスがふと純一を振り返った。 「……どうした?」 「気をつけてください。いえ、気をしっかりもってください」  何を――純一が咄嗟に漏らしかけた疑問は、呟かれる直前に不必要となった。 『  あなたは優しい羊飼い、育てた羊は愛しく食べる。そんなあなたが愛しいですわ♪  あなたが食べたその羊、じつは親がとっても大きい。憎しみ募ってあらタイヘン、あなたは羊に踏み殺される♪  復讐復讐八つ裂き八つ裂き♪ あなたはくしゃくしゃ骨までぐしゃぐしゃ♪  それでも私と踊りましょう♪ 死んだら愉快に私達と踊りましょう♪ ロンドよロンド、舞踏よ舞踏。羊を飼い忘れてあなたはタイヘン♪ でも死んでいるからもう大丈夫♪  死んじゃって殺されて悲しいの? 私とキスして忘れましょう♪ 私の手を取って踊り狂いましょう♪                                                 』  ――ヤバイ。  そう純一は瞬間的に察した。いや、聴いた瞬間からヤバくなった。歌声は平坦だが、楽しそうに残酷なことを言っていた。どこか虚無で呪わしい声だった。人間を魅惑する――蹂躙し支配し独占し破壊する声だった。純一は足のつま先から脳天まで強烈な寒々しい冷気が襲ってきたのを感じた。その冷気に犯されすぎたのか、純一は何も感じれなくなった。 「……ぐっ」  呼吸ができない。歌声に空白を植えつけられた。人を粉みじんに壊す声は、身体と心理を千切った後、心理から破壊し始めたのだ。何も考えられなくなる。段々と頭の中の空白が大きくなる。瓦解。瓦解。瓦解。無音の侵略。何も言えず、考えられなくなる歌声―― 「手を動かしてください、御主人様」  誰かからの声――誰の声だ。九割方奪われた思考回路、まだホンの少しだけ回転した。純一は拳を握りこんだ。感触、しびれるように戻ってくる。握りこんだ手から感覚が復活する。空気が痛い。握りこんだ手を包み込んでいた白い指が、心地いいくらいにひどく冷たい。正気に返る。純一の視界、ポーンの苦虫を噛み潰したよう顔があった。らしくねぇな純一とその顔が言った。違った。ポーンはいなかった。ほんとうはクリスがいた。幻覚を見ていた。全身を取り戻して、純一は脱力してクリスの胸にすぽっと収まった。  深呼吸――生命とはちがう、何か大切なものを奪われかける感覚がした。言うなら洗礼。純一という人間への断罪。異種族への手厚い祝福。なら奪われたのは罪か。いや違う。分かる。奪われたのは可能性。罪を犯す可能性のある、心の存在だ。 「シャレにならなかったぞ……マジでやばかった。何がやばいっていうか……言いづらいんだが」 「御主人様はもう、歌の魔力を打倒しました。ですが、あまりおしゃべりが過ぎると疲労で死んでしまうかもしれません。言いづらいのなら、あえてしゃべる必要はありません」  強制力のある言葉。状態を見抜いている。純一は口蓋からの呼吸に徹した。クリスがじっと純一の顔を覗き込んでいた。医師のような観察眼。分析されるのはふだんは不快なのだが、クリスの場合はそうではなかった。だから純一はクリスの思う通りにさせておいた。  するとクリスは、純一をずるずると引きずって何処かに進み始めた。クリスに肩を貸してもらって純一も続く。  深淵に沈んで、次の深淵に進んでいって、世界の存在から遠ざかった気がして、奈落の底に向かっているような錯覚に陥って、しかしその感覚は深緑を掻き分けた直後の視界によって一変される。  白いピアノ。樹の葉が遠慮しているその場は、真っ直ぐな光に照らされている。どこの映画だ――純一は片手を伸ばして触れた。実感があった。確かに此処に置いてあるのだ、このピアノは。 「クリス……」 「御主人様が御歌は嫌いでしたら、すみません」  純一をピアノにもたれ掛けさせて、クリスは鍵盤の前にすすすと歩み寄った。  そして、  ポロン……ポロン、ポロン……――  静かに音を紡ぎ、おそるおそるといった風に歌声も重ねる。  混ぜ合わせるなんて強引さはなく、束ねると表現するよりも弱々しげな、虫の羽音にも負けるのではないかというほどの威力の無さ。しかしどこまでも吹き抜けていく風のように、音は広がっていく。  誘われるように、森がざわめいた。違った。比喩ではなく、ほんとうに歌声が共振していた。だがそれも間違いだった。音はたった二つなのだ。ピアノと歌。歌い手も一人。その一人は弾き手でもある。  孤独な、演奏会。純一は力が湧きあがるのを感じた。疲労が根こそぎ削り取られるのを感じた。  弾き終えたクリス。胸を右手で押さえつけていた。顔色は悪い、白い肌がさらに白くなっている。息は少しだけ荒い。 「どうした?」 「いえ……歌うと、少し……私達は、歌に生命力を込めていますので……」  なら無理に歌うことはない。純一がそう言うと、クリスは薄く笑った。人間様が食事することと同じです。人間様が心音をたてるのと同じです――翻訳、生命力が削られるのだとしても歌うことはやめられない。  死に誘う歌と、生に招く歌。身で体感した二つの歌。  予想外だった。純一はエルフを捕食される物としか見たことがなかった。力が秘められていることなど推定したことがなかった。 「御主人様、戻りましょう。疲労の消失とともに傷も少しは治ったでしょうが、大事をとって薬草を塗り替えるべきで――」  有無を言わせぬようにクリスが囁く。純一は半分も聞かずに、死角からおもむろにクリスの肩を引っ掴む。  容赦なく、強い力で、千切るように――スイッチを押すように。 「い、いやですっっ!!ひ、ひどいことはっ、ああっ!痛いっ!ぎ、ぎひっ?!あっ、や、やめっ…ごめんなさいいいいいっっっ!!!!」 「クリス」  二面性。ゆっくりと見せ始めていたクリス本来の情緒は深層に押し返され、キスを交わす前の怯える子猫が浮上する。  ゾクゾクと何かが這い回る感覚を覚えながら、純一はクリスを突き倒した。いつの間にか純一の手に握られていたナイフが、クリスの白い首に当てられる。 「俺は狩人だ――だから、誰よりも先に、おまえを狩る」  終わりを感じているのだろうか。  終わりを感じて、しかし一抹の不安に耐えきれない――と言った風な顔をして、上に乗っかる純一へクリスが上目遣いを向けた。  期待するかのような眼差し。おかしい。純一は気づく。何かがズレている。何か、が何なのかはわからない。 「あの……え……狩……おっ、お仕置きはしない……?」 「は?」  状況も忘れて、純一は首を傾げてしまった。その様子を見て取って、ほっとした風にクリスが笑った。  こいつ――死を感じないのか。妖精は美しかった。クリスは美しかった。造形された整った顔つきは何よりも美しい人形だった。だが、寒気を呼ぶ。人間の美しさとはレベルが違い、種類さえも違う。純一はクリスを恐ろしいと感じた。感じるのを押し殺せなかった。 「自分で、きちんと薬草を塗ってくださいね。私は、御主人様に狩られたら、手が動かせませんから……」  クリスが愛しげに触れる、純一の頬。クリス、純一に尽くせないことが人生で最大の心残りだと言っていた。純一は呆然とした顔でクリスを見た。本気か、と尋ねる目だった。クリスは眼差しの色を変えなかった。だから、純一の中で何かが変わった。  変わった何かは、衝動という形をとった。純一は受け入れた。純一の心が受け入れた。身体も衝動に委ねられた。  ――純一は泣いた。目の前の女は自分の尊重というものを粉々に打ち砕かれていた。目の前の女は物だった。壊れていた。人間の所為だとしか思えなかった。前の御主人様というのが憎らしい。断罪、憐れみ、怒り、いろいろな感情が黒く冷たい炎となって身体を焦がし、心を焦がし、心にある悪を焦がし、脳を焦がす。それが痛くて、純一は泣いた。  衝動に突き動かされて、純一はエルフの狩人になりきれなくなった。             −3−  岩穴に戻って、クリスはすぐに薬草を塗ると言い出した。純一は好きなようにさせた。新しい包帯を巻きなおす、出て行く。純一は端的に簡潔に告げた。クリスはあの……と前置きして返答した。  私はここを出て行けません。  なぜだ。  前の御主人様にキツく教えられました。外には、私をお仕置きする人がたくさんいるんだと。怖いんです。怖くてたまりません。怖い人がいる外の世界には行きたくないです。  前の御主人様は、どんなだった。  私を怖い人から遠ざけてくれました。私はそれが嬉しくて、どんなお仕置きをされても耐えました。怖いけど、怖くありませんでした。  今の御主人様は――俺は、どんなだ。  怖いです。私が役に立てているのかと不安になります。傲慢なのかもしれませんけど――実感が、ほしいです。  純一は顔を歪めた。奉仕に対する報酬すら、今の純一では渡せない。  クリス。今は、こんなものしか渡せないけど。  わあ、すごく綺麗なペンダント。ほんとうにもらってしまっていいのですか?  残念だけど、ペンダントじゃないんだ。もし怖い人や怖い物にお仕置きされそうになったら、投げつけるといい。これは、御守りだ。きっとクリスを守ってくれる。  こんなものをもらえたのは初めて。有難う。  クリス、微笑んだ。眩かった。屈託無かった。クリスは妖精なのだ。クリスは無垢なのだ。純真だから、汚れはつかない。クリスはただ、痛いのが怖いだけなのだ。  俺は出て行く。クリスは、ここにいろ。  いいのですか。  ああ。  いつもどってきますか。  わからない。破滅してももどってこないかもしれない。  死にに行くのですか。  ああ。俺は人間だ。断罪はきっちり受け入れる。  御主人様――  クリスは、ここにいろ。  純一は目を瞑った。目を開けた。手の中にはライフルがあった。目を瞑る前にはクリスの髪を撫でていた両手、血で汚れている。洗わねばならない。  断罪だ。              純一の手持ちに、罠はいくつか残っていた。全部小型カメラが仕込んであるのは当然、そのいくらかが作動していた。落ちた衝撃かと思ったが、記録はそれよりも大分前から行われていた。 『スカッとしたぜ。これなら、エルフをありったけ手に入れるまで依頼主を殺さなくて済みそうだ』  ポーン――嫌いだったが――好きでもあった。純一はポーンのようになりたいと思っていた。憧れていた。夢だった。大馬鹿野郎だがメンバーの中で誰よりも獣だったポーンに、自分の将来を見ていた。  苛立ちを表に出すタイプが羨ましい。純一は自身が苛立ちを内側に溜めて爆発するタイプであると分析していた。変に冷静な部分があって、狩りでもセックスでも死闘の真っ只中であっても興奮し切れない。  前にポーンが話してくれた。空腹であればあるほど絞めたての肉が喰らいたくなる。本能が理性に取って代わる。ポーンは自分の本性は本能にこそ存在していると言った。理性も本能も本性だと純一は返した。違ぇよとポーンは吐き捨てた。ポーンを手放さないための会話のつもりだった。違った。思い出だった。他愛無い会話であることが、なににも変えられない価値だった。 『いえ。ですが、どんなものにも勝てる気がしています』  孝一。草木を心の底から愛していた。草木が女よりも大切だとしゃべれる男だった。そのくせに草木を喰らう男だった。矛盾を突きつければ簡単に壊れてしまうだろう弱い男だった。  だが、信念は輝かしかった。草を守ることは、非戦争的な思考に通じた。善良な建前を作り上げる男だった。若すぎる人間の生き方をしていた。  全部――殺す。純一は、好きでもあった人間も信念は輝かしい人間も殺す。 『純一さん……ッ!』  救いを求めるような孝一の声に、純一は聞くことをやめたくなった。。 『女の金切り声には慣れてないんだろう。わかる。俺も、あまり興味があるわけじゃない……念のために用意しておいた耳栓を貸そう。他にも、吐き気を催したときのための薬とかも揃えてある』  だが、自分の冷酷な声が連なって、意識は身体に戻ってこなくなる。 『純一さ――』 『食料と違って、耳栓以外は数がある。気を使う必要はない』 『そんなことじゃなくて! 貴方達は……貴方達はっ!』  一呼吸、間が空いた。その隙に純一は生唾を飲み込んだ。 『狂ってるか。酷すぎるか。残忍か。お前の本心は、どれだ』 『全部です! あの人は――女性ですよ! くまや鳥や、うさぎとはちがいます!』 『なら、俺はこう返すまでだ――お前は狂ってる。お前は酷すぎる。お前は残忍だ。あの女がもし警察かなにかだったらどうする、俺達の日常はこれまでだぞ。お前は俺達の人生を台無しにしてまで、あの女を救うつもりか。お前はどれだけ偉いんだ。あ?』  お前は狂っている――純一。  お前は酷すぎる――純一。  お前は残忍だ――純一。  お前はどれだけ偉いんだ――答えろ、純一。 「ああ――そのとおりだ」  純一は返答ではない返答を漏らした。その目は涙に濡れていた。  人間が撃ちたい――いつも心の奥底でそう思っていた。そんな自分が嫌いだった。だが、好きでもあった。  ほんとうは、人間を撃つという行為が好きなのだ。忌み嫌われようとも、気色悪いといわれようとも、純一は人間が撃ちたくてたまらなかった。銃を持ったその日からずっと渇望を溜めてきた。  その時の心に従う。純一の信念――たとえ信念を決め込んだ心が、銃にトチ狂わされているとしても。  純一はその時の心に従う。              茂みから近距離の狙撃を行った。茂みから飛び出して、奇襲をかけた。ライフルを棍棒のように振るった攻撃は、右腕によって防がれた――ポーンの驚く顔を一目見た。 「純一」 「ポーン」  名前を呼び合った。獣同士、それだけで十分だった。純一は二撃目を仕掛けた。  ライフルを置き、ナイフを逆手に引っ掴む。両手で合計六。総てを投げ飛ばした。  ポーンは大胆な避け方をした。片腕をつかって勢いを生んだ、サイドステップ――ナイフは総て掠りもしなかった。  やはりポーンは強い――頭の奥が熱い――何かが燃えていた。何が燃えているのはわからない。ただただ純一は獣の闘争本能の胎動を感じて興奮を高める。  だが、ポーンは違った。銃を向けておきながら発砲しなかった。冷静な目を純一に向けていた。純一の奥で燃えていた何かが一気に冷えた。 「純一」 「ポーン……仲間である俺と争いたくないだとか、言うつもりか」  首を縦にも横にも振らない肯定。純一は顔を歪めた。 「純一、俺はお前が――好きだった」 「俺はお前が嫌いだった――ポーン、愛すべき馬鹿野郎」  理由を言う必要は無い。牙を向け合う相手は敵だ。ポーンが引き金に指をかける。純一は腰のナイフに指を這わせ、ある一つの柄に触れる。カシャッと音がする。  その音は次に鳴る轟音にかき消された。銃声。ポーンのものではない。純一が置いたライフルが煙をあげていた。遠隔操作の射撃。だがそれは、ポーンの左肘を掠っただけだった。  純一が舌打ち、慣れと直感でライフルを置いたが少し乱暴気味だったのか。射線にズレがあった。しかしズレたからこそ当たった。ズレていなければ掠りもしなかっただろう。  ポーン、強い。動体視力なのか反射神経なのか、ともかく強"力"を得ていた。純一が見ているポーン、狩り人の目をしていた。純一を狩られる存在と見ていた。純一も自分が狩られる存在だと思い込みそうになった。 「純一。俺は、お前のためだったら死んだって構わない」 「戯言だ。皆、自分のことを第一に考えて生きている。そんなクソみてぇな人間世界が、俺は嫌になった。ぶっ壊したくなった。何よりも――人間を狩りたい衝動が、抑えられなくなった」 「嘘だ」  ああ、嘘だ――真実七割。嘘三割。純一を突き動かす衝動はそんなドス黒いもので作られていない。純一に迷いはない。純一の目は血走っていない。正常だった。本性だった。ポーンの獣ではない目と同じ輝きを発していた。 「純一。お前は俺にとって、弟みたいな存在だった」 「そうか――弟を演じてやれなくて、ごめん」  純一は懐からあの小型カメラを取り出した。音量を最大にして、再生。  あの歌が、蘇った。 『  あなたは優しい羊飼い、育てた羊は愛しく食べる。そんなあなたが愛しいですわ♪  あなたが食べたその羊、じつは親がとっても大きい。憎しみ募ってあらタイヘン、あなたは羊に踏み殺される♪  復讐復讐八つ裂き八つ裂き♪ あなたはくしゃくしゃ骨までぐしゃぐしゃ♪  それでも私と踊りましょう♪ 死んだら愉快に私達と踊りましょう♪ ロンドよロンド、舞踏よ舞踏。羊を飼い忘れてあなたはタイヘン♪ でも死んでいるからもう大丈夫♪  死んじゃって殺されて悲しいの? 私とキスして忘れましょう♪ 私の手を取って踊り狂いましょう♪                                                 』  ポーンが呻く――白目になって、口から泡を吐き出す。怯えた風に身を縮みこませた後、ゲヘと笑った。鼻水と涙を噴きだす顔を発情時みたいに歪め、銃の弾倉(マガジン)をひねり出し弾丸をひとつひとつ数え始めた。あまりにも異常だった。あまりにも愉快げだった。純一は、ポーンがもう空白に飲み込まれたのだと知った。  純一は地に身を横たえた。ゆっくりと目を閉じた。  そして深呼吸して――ポーンの死に顔を見つめた。  急に胸がつまった。急に息苦しくなった。急にめまいが襲ってきた。  気がつけば嗚咽していた、気がつけば涙していた。気がつけばポーンの死に絶望を感じていた。ポーンが死んでしまったことを純一は悲しんでいた。  しかし、妖精達の歌声は聞こえてくる。妖精達のノイズ混じりの歌声、恐ろしく、呪わしく、美しく、残酷な美がそこにあった。しかし、今度はどこか心地よく聞くことが純一にはできた。              歌は突然終わった。作動していた小型カメラが突然跳ねた。キュインキュインと音がして、小型カメラは先ほど事切れた。  茂みがザザと音をたてる。そして姿を表す、孝一。  煙のあがる銃を片手に――その銃を、孝一はひとつの死体に向けた。  一発、発砲――右腕が千切り飛ぶ。  一発、発砲――心臓に埋まって、血が噴水のように上がる。  一発、発砲――ポーン、苦痛で顔を歪めることもない。孝一は残酷に顔を歪めた。 「僕はやっぱり貴方達のような盗賊は嫌いだ……っっ」  その目が、次に純一へ向いた。  孝一はすぐには撃たない。黙って震える。そして、癇癪を起こすようにわめいた。 「本音を言うと、あまり純一さんと争う意思はなかったんですよ……でも、でも、あなたも同じだった。だから、利用させていただきました。死んでいただきましたっ!」  孝一の計画、純一が二人を殺そうとした理由、同じだった同じすぎた――エルフのためだった。  マタギが仕事を失敗すれば、同じマタギにはすぐに伝わる。それがもし不明な死亡だったら――純一とポーン、特に金になる仕事しか請け負わない二人組、そんな傲慢に見合うだけの成功率がある。だがもし、その二人組が失敗した挙句死んだのだとしたら――この山は、この山に住むエルフは、畏怖の目を向けられることで距離を置いてもらえる。平穏が訪れる。  孝一は草木が何よりも大切だった。今は、草木を採取する際に見つけたフェアリーが何よりも大切だった――惚れていた。小さい子の可憐で無垢で純真な笑顔に、心奪われた。  孝一、純一、人種も環境も姿形も手にもつ物も違うのに、似ていた。孝一が銃を持つようになったからかもしれなかった。純一の形を持たない信念が孝一に近づいたからかもしれなかった。  孝一、引き金を引く。銃声はしなかった。純一から手渡された孝一の銃は、ナイフの仕込み弾を引っこ抜いた即席銃で、そんなに弾数は無かった。  孝一、顔を歪める。悔しげに純一の死体を見る。その背後で足音がした。孝一は振り返った。表情をパッと明るくした。  そこにはエルフがいた。フェアリーもいた。大小の差が大きい、知性ある幻想生物がぞろぞろと孝一に向かって歩いてきていた。その中には、クリスもいた。  フェアリーが逸早く孝一に辿り着く。周りを飛んで、クスクスと笑った。孝一も笑った。その後に、エルフが追いついた。  エルフ、見事なまでに整列していた。見事なまでに揃った動きで、胸の前で両手を組んで息を吸った。まるでこれから歌うかのようだった。その通りだった。  長髪の妖精が飛んでいた。歌っていた。歌いながら、にっこりとした邪気のない笑みを浮かべていた。孝一を見届ける直前まで、思っていた――早く壊れて、人形になって。人間の玩具が欲しかったの。  見届けて、思っていた。思いは、踊りを激しくさせた。  フェアリーサークル。中心には、地面に突っ伏したまま動かなくなった孝一。歓喜の踊りは、孝一を殺せたことを祝っていた。  歌と踊り。その中には、クリスはいなかった。  歌う列からゆっくり後退する。声がきこえた。エルフの声、不必要になった人間とその人間の策で死んだ人間二人をどう料理するか話していた。フェアリーの声、自分達の歌を録れる機材に興味を抱いていた。エルフの興味もそちらに向いた。こいつは良い、こいつを使って人間をもっと呪って斬って食って復讐しようとエルフが笑った。予想外の収穫に宴だ宴だと皆が吠えた。踊った。歌った。人間を喰わんとした。  クリスは妖精達の宴に振り返る。残酷な美がそこにあった。クリス、流麗なボディラインを捻って宴の方に振り向く。足、踊りのステップを踏むように重心を複雑に移動して、結果、左足のあった場所へ右足が置かれ右足があった場所へ左足が置かれる。交差した足を解くように腰から下も捻られ、しかしその勢いがつきすぎたのか右足が遠心力に乗る――髪が舞う。髪が降りてしまうより先に右足が引き寄せられる。両腕も同じ力に揺さぶられているが、クリスはそれは引き寄せようとしなかった。  ゆるゆると、伸びる腕から手放される。手から投げられる。御守り。宙を飛ぶ間に小さな音をたてて金色のネジをひとつ外した。  そのネジは、ニ・三回ほど回転して――爆風によってどこかに巻き上げられた。  三つの死体は、エルフは、フェアリーは、クリスは、御守り――手榴弾の生む爆風に呑まれた。             『  神よ。おお、神よ。  あなたが手を差し伸べれば、幸福に飢えて朽ち果てようとする我々はきっと救われるだろうに。  あなたが言葉を囁けば、誤り続けて血の沼を作っていく我々が同胞は正されるだろうに。  あなたが赴けば世界は優しく照らされて、  木々は微々たる音をたてて笑って、  川は青空を映して輝き、  川をつくる水は切なくない冷たさを帯びて、  鳥達は声をあげて嬉しがり、  牙を持つ物も頭を下げるだろうに。  おお、神よ。あなたが憐れに思えてならない。  世界を創っておきながら世界をどうにもできないあなたが、憐れに思えてならないのだ。  おお、神よ。あなたは憐れだ。  救いを求める我々は、  救いを求める我々の同胞は、  救いを求める木々は、  救いを求める川は、  救いを求める水は、  救いを求める鳥達は、  救いを求める牙を持つ物は、  どうしようもなくなってただただあなたを呪ってしまうだろうから。                                                 』  日本ではないどこか別世界にある国の言葉、歌い上げられた詞は何処までも何処までも響き渡っていって、たった一人の処に届いた。  たった一人のために囁かれて、歌は自然と止んだ。  止んだ後に、雨が降り出した。空は晴天だ。だが雨に濡れる。  ――純一は泣いた。目の前の女は、もう壊れていた。純一の涙に濡れても、目の前の女はもう目を開けなかった。  純一の耳の奥で、歌が残響していた。  二度聞かされた、一度目よりもさらに孤独になってしまった二度目の御歌はつらくて痛くてたまらなかった。 『御主人様が御歌は嫌いでしたら、すみません』 「好きだよ……歌は好きだ……クリス――」  ――だから、また歌ってくれ。  急に胸がつまった。急に息苦しくなった。急にめまいが襲ってきた。  純一は気がつけば嗚咽していた。純一は気がつけば涙していた。  純一は気がつけば自分の信念が何なのかわからなくなっていた。